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2019年8月20日 (火)

3642  時間は価値ではない

時は金なりとはよく聞く諺の一つです。時は貴重なものになったのは、一体何時からでしょうか。例えば、動物たちや植物などが、時間を気にしてソワソワしているのを見たことは無いでしょう。彼らには、たとえば1日や1年という時間の塊は重要ではあるでしょうが、1分や1秒などという人間が作った時間単位には興味も無いでしょうし、気にもしていない筈です。つまり、時に価値を与えているのは、時を気にする人間だけである言えそうです。
取り分け、時が金銭と等価であると言う風潮が固定した背景には、もちろん「時給」と言う制度が定着して以降の事でしょう。いくら働こうが、年俸制である限りは、人々が時間を気にしてあくせく働くモチベーションは生まれにくいでしょう。自分のペースで働くことも可能でしょう。月給制も年俸制に近い仕組みではありますが、月給を労働日で割り算をして考えやすいので、実質は日給や時給制とムードはあまり変わらないでしょう。
ここで議論したいのは、もちろん自分の時間を売って、給与を得る制度の是非ではありません。むしろ、時間は価値ではないとの視点を強調したいのです。時間は、ある一定の時間例えば、地球の自転の時間を均等に割る事によって定められました。たまたま、12進法を採用していた国が時間の物差しを決めたので、一日が24時間に決まった訳です。
もし、時間ではなく人々が働いた代価を誰もが同意できる方法で正確に評価できる仕組みが発明されたと仮定すれば、時間給や月給などという時間の価値は消滅してしまう筈なのです。もちろん、難しいのは労働の代価の測り方そのものなのですが、取り分けその代価が一体誰にとっての価値であるかは、事実上誰にも決められないのです。と言うのも、ある人にとっての利益は、時として他の人の損失の上に実現して事も多いからです。とは言うものの、時間が自動的にある価値を生む、などと言う風潮はソロソロ終わりにしなければならないとは思います。特に、自然環境が変化しない事こそが価値だとすれば尚更そうでしょう。

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