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2019年10月29日 (火)

3682 職が少ない

これは5年前に取り上げた表題なので、この時期は少し景気が停滞していたのかも知れません、今は、確かに見かけ上の求人倍率は、1.6前後でかなり高いのですが、実情はと言えば、企業側は時給の安い雇用者を強く求めてはいますが、条件の良い優良な職という目で見ると、求職者にとっては決して良い状況だとも言えないのでないかと想像しています。想像するしかないというのも、投稿者としては55歳で早目にサラリーマンを辞して以降、求職活動をした事も、実際に再度サラリーマンになった経験も無いからです。
さて、給料の安い職はそれなりにあるが、将来も見通せるような条件の良い職が少ないと言う事態は、何を意味するのでしょうか。必然的に、人は現在の暮らしの満足度を上げる事だけに集中し、将来のビジョンが描きにくくなっている事を意味するのだと思うのです。投稿者の若い頃、一応大企業と呼ばれる会社に就職し、給料も物価の上昇を超えるスピードで順調に上がって行ったのでした。人並みの年齢で結婚し、倹約が趣味の家人のお蔭もあって、40代で借金も無しに家が買えました。しかし、今の人達が同じ様な人生を送れるかと問われれば、多くの???が湧いてくるはずです。第一、いわゆる昇給は、殆ど停滞していると言うしかないでしょう。確かに物価の上昇率は低いのですが、一方で企業の体質は、大企業と呼ばれる規模の会社でも非常に脆いと言うしかありません。それほど、世の中の、世界の動きが、日進月歩ならぬ「秒進、分歩?」で目まぐるしく変化しているからなのです。
その中で、安定した職が少ないと言う事態は、いわゆる「少子化傾向」にとっては、ますます強い向かい風になるだろう事は容易に想像できます。不安定な人生を送るカップルが、多子をもうける事など望むべくもないからです。振り返ってみれば、事態は「岩盤規制の破壊」をスローガンにあのリーダーが椅子に座って以降始まった様に思います。それまでの、定年まで勤めるという日本型の正社員を基本とした「雇用習慣」を「ぶっ壊して」、不安定な派遣や有期の契約社員のタガを殆ど外してしまったのでした。企業にとっては、確かに短期的には経済的メリットもあったとは思いますが、中長期的に見れば例えば企業に対する「愛社心」などと言うものは、どこかに吹き飛んでしまったに違いないのです。株主だけを向いた短期的経営方針は、間違いなく企業の体質を脆くし、世の中の激しい動きにも対応しきれなくなったと想像しています。
優良な職が減り、結果企業の対応力も弱ると言う「負の連鎖」の問題は、今後も続くと見ています。残念ながら。

 

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2019年10月25日 (金)

3681 天候が激甚化する

今回の台風15号や19号の被害状況を見るまでもなく、近年の台風被害や豪雨被害は、激甚化してきている事は否定できないでしょう。台風や低気圧の卵は、季節にもよりますが、週一くらいには発生している筈です。しかし、それらが発達するかどうかは、海面の水温に大きく依存しているのです。これまでも、海水温が高い傾向は続いていましたが、近年は例えば水深50mほどの深さでも、かなり高くなっている事が分かっています。これは、海に潜ったり浮上したりを繰り返す計測機器(例えばアルゴフロートなど)で、海面だけではない水温も計測できる様になった事が寄与しています。
海表面だけの水温上昇であれば、海水は台風の強風などによってかき混ぜられ、高温が続く事はないのですが、深い水深まで温度が高い場合には、台風はパワーアップし続ける事になるのです。高い海水温は、台風ばかりではなく「普通の低気圧」にも、湿った空気を供給し続けるのです。しかも、高い海水温は、日本のすぐ近海まで押し寄せていますので、結果として、豪雨を伴う台風の上陸やいわゆる線状降水帯を発生させ、災害をもたらす事につながる訳です。
もちろん、近年の異常気象や気象の激甚化の原因は、太平洋の海水温上昇だけではないでしょう。例えば、日本が冬場に寒冷化するか暖冬になるかは、遠く離れたバレンツ海に生ずる気団の強弱に支配されると言われています。その寒気が、ジェット気流に乗って、シベリア経由で日本上空に運ばれてくると、日本は寒冷化し豪雪に見舞われる事になるのです。つまり、温暖化が原因と言われている気象の激甚化は、単に平均気温の上昇で、夏場に異常高温が頻発する程度のぬるい影響などではないのです。
大気が平均的に抱え込める水蒸気の総量は、ある程度決まっていますから、ある場所で豪雨や豪雪が起こると言うことは、別の場所では全く雨が降らないと言う旱魃被害が起こっている筈です。それが、世界の穀倉地帯である中緯度のステップ地域で発生した場合には、間接的な影響としての食糧不足が引き起こされる事にもなるでしょう。実際、中長期的な視点で眺めた場合、小麦などの乾燥地帯に適した作物はもちろん、より多くの農業用水を必要とするトウモロコシや大豆などの収穫量が、一貫した右肩下がりで減少しているデータが示されているのです。天候の激甚化は、まさに人類の生死の問題であり、しかもその傾向は年々悪化している様なのです、残念ながら。

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2019年10月23日 (水)

3680 農が細る

今の日本が抱える問題の続きです。就農者が年々減り続けている事は、間違いなくこの国の大問題です。足りない食糧は、工業製品を輸出して、そのお金で輸入すれば良いとの安易な主張をする人が居ます。現実の食糧自給率を見れば、その様な主張が多数を占めていると言えるかも知れません。
しかし、農業が持つ多面性を考える時、食糧自給率などはホンの一部分の議論でしかないとも言えるのです。農業の持つ最重要な側面としては、持続可能な形での「環境維持業」であると言う点だと思うのです。山間まで耕された棚田は、沢からの水の流れを貯留する人口のミニダムの様なものだと言えるでしょうし、低地の田んぼは、いざという時には洪水の際の遊水池としての働きもあるでしょう。養分がたっぷり含まれた沢水を使う水田農業は、人が施す肥料をあまり必要しない弥生時代に始まる「持続可能型農業」であると言う点は、この国の農業を考える上で、非常に重要な点でもあるでしょう。
その農業用水を涵養するのは、実は祖先が守り続けてきた、広葉樹林帯である点も忘れてはならないでしょう。現在多くの山々で観察される針葉樹林帯は、決して天然林などではなく、戦後復興に大量に必要となった建築用材を得るために、国の政策で植林されたものが大部分を占める筈です。登山をしていると、時々ツガの人工樹林帯を見かける事がありますが、それは製紙業の大手企業が、国産のパルプを確保するために植林したものだったりもするのです。しかし、農業用水に不可欠なのは、ブナ林の様に数メートルにも及ぶ厚くフカフカの林床を作り、降った雨を長い時間保持し、ゆっくり流し続ける涵養紅葉樹林帯なのです。
林業を厚くし、それが麓の農を活発にし、結果的には大水害から街を守ると言う、良い循環を取り戻す必要があると思うのです。ささやかな森林税を設定している県もあるにはありますが、補助金をエサにした場当たり的な政策ではなく、長期的に林+農業を復活させる息の長い取り組みが求められるのです。農に関して5年前より状況が好転している兆しは、残念ながら見当たりません。

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2019年10月22日 (火)

3679 インフラは劣化し続ける

インフラが劣化し続けるのを誰も止める事は出来ません。しかも、高度成長期に建てられた建物や構築されたインフラが、半世紀以上の年月を経て、大規模な改修や作り替えが必要な時期に来ている事実にも目をつぶる事は出来ないのです。インフラの基本的な材料は、鉄(及び鉄筋)とコンクリートですので、鉄の酸化(サビ)とコンクリートの脱灰やひび割れ、あるいはその複合により、強度的には寿命の時期を迎えつつあるという訳なのです。
以前にこの同じ問題を取り上げてから5年を経過して、問題は拡大しこそすれ、解決に向かった例は非常に少ない様に思えます。もちろん、老朽化に耐えられなくなって、既に建て替えられたインフラもそれなりにはあるでしょう。五輪というきっかけがあったにせよ、大騒ぎの結果確かに国立競技場も更新されました。しかし、今回の台風19号で引き起こされた水害の過酷さを見るとき、インフラの劣化以外にもインフラ建設の設定条件が崩れかけている可能性も否定できないでしょう。これは、ある意味では、環境の変化によってインフラの設定条件そのものが古くなってしまった結果とも言えるでしょう。同様の例で言えば、例えば交通インフラが、増加する車や旅行客数を支えきれず、高速道の新設や、電車ダイヤの過密化などでどうにか対応しているケースがあります。
しかし、現状のインフラの劣化や能力限界近くでの運用には、かなりの危うさが内在している様に思えるのです。気候変動の結果、過酷化した気象も考慮しなければならないでしょうし、負荷オーバーによって、重要な交通インフラが突如破綻してしまう危険性も孕んでいると見なければならないでしょう。例えば、高速道路の多くの橋やトンネルあるいは新幹線の高架などの鉄筋コンクリートが、既にかなりの程度劣化しているのは事実でしょうから、大きな地震や水害で突如通行止めなどの障害に陥る危険性はますます拡大傾向にあると言うしかないのです。既に、首都圏のゼロメートル地帯に住んでいる大勢の人達の、イザという時に「広域避難」しようにも、交通インフラの停止で「絵に描いた餅」になった事は、19号の際の様子から分かる様に現実のものになったのです。ゼロメートル地帯を、水害にも耐えれる様に数メートル嵩上げする様な、インフラの作り替えは不可能である以上、問題は現在そこに住む人達が、如何にして「広域移住」できるか、という問題になりつつあると思うのです。

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2019年10月20日 (日)

3678 システムが肥大化し続ける

戦後、多くのシステムが作られ、それらが肥大化し続けて来たことは論を待たない事実でしょう。経済システム、金融システム、流通システムなどは言うに及ばず、インフラシステム、交通システム、教育システム、電力システムからインターネットを使った情報システムに至るまで、およそ「システム」と名前が付くものは、ほぼ例外なく一貫してその規模が拡大してきました。その一方で、その便益を享受して来た側としては、一方的にそのシステムへの「依存度」を高めて来たこともまた事実でしょう。
もちろんそれは両刃の剣であった点は看過できません。システムの重要度が上がるにつれて、システムの安定性や冗長性も議論され、整備も進んで来たでしょう。しかし、多くは完璧というレベルからは程遠い位置にあるとしか言えない事も否定できません。新幹線も、地震や豪雨の前では運休せざるを得ないでしょうし、航空機の運休の頻度はそれよりかなり高くなります。送電線が倒木で寸断されても、停電が長時間に亘る事は不可避です。同様に、災害による光ケーブル破断や停電に伴って基地局がダウンし通信手段が絶たれ、パソコンやスマホが使えなくなった場合、人々はまさにパニックに陥って、依存し過ぎたシステムからの情報不足で右往左往するしかないのです。
システムを構築するに当たっては、少なくともシステムを二重以上にする「冗長性」と災害に抗う「ロバスト性(強靭性)」を重視する必要がある事は、改めて銘記しておく必要がありそうです。電力に関して言えば、今の電柱による配電システムは、戦後の間に合わせ電力網の延長線上にある打たれ弱いシステムである事を改めて認識した上で、電力会社の送電網から受ける電力以外に、電気自動車や太陽光発電+バッテリーを使った、「オフグリッドの電源」も確保する理想形を目指すべきだと思うのです。これは、(お金と時間ばかり掛かる)電線の地中化などより安価なので優先順位をグンと高め、補助金や優遇税などで誘導しながら整備を進めるべきでしょう。これは、実現すべき「巨大システムの分散化による強靭化」の方向のホンの一例に過ぎません。

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2019年10月16日 (水)

3677 希望が持てない

希望は、現在の生活の状態に関わらず、社会の将来展望が明るい時に抱くものの様です。取り分け、現在の生活状態があまり良くない時には、より良い生活を夢見る希望が湧いてくるのでしょう。しかし、それもこれも社会が今より良くなるというと言う確信があってのことではあります。しかし、昨今の社会情勢は、必ずしも希望が持てる状況とは言えそうもない様です。つまり、皆がそれなりに衣食住が満たされ、一方では経済の閉そく感が社会を覆っている状況では、とても将来に明るい夢は抱けないのでしょう。
しかし、これはあくまでも「経済」を指標にして考える場合である事には留意する必要もあるでしょう。つまり、自由に使えるお金がある事が目標で、それが幸福だと思い人にとっては、確かに夢が持てない社会情勢と言えるでしょう。しかも、その意味においては、世の中の情勢は右肩下がりで悪化していると言わざるを得ないと見ています。
とはいえ、人の抱く希望は良い懐具合に関わる訳ではないでしょう。人が、「より良く生きる」にお金がそれほど重要ではない事は、これまでの偉人の例を引くまでもなく、人々の達成感や満足感は、実はお金に無関係な部分で獲得されていると思うのです。一番重要なポイントは、結局人は、他の人のために何が出来たか、それによって感謝の言葉がどれくらい受けられたかに掛かっている様な気がするのです。他の人の中には、当然の事ながら自分以外の家族も含まれますし、知人の範囲も含まれますが、人が最も多幸感を得るのは、たぶん如何に多くの見知らぬ人達からの称賛を受けるかなのだとも思います。だからこそ、人々は競ってSNSに投稿し、一人でも多くの「いいね」を受けるために、血道を上げるのでしょう。
しかし、SNSは当然の事ながらネット上の出来事です。そうではなくて、理想的を言えば私たちは体を動かしてあるいは知恵を絞って(行動して)額に汗かいて、その結果を多数の人達に評価して貰いたい筈なのです。それこそが、あのスーパーボランティア(O畠春夫氏)が、かなりの高齢にも関わらず「体を張って」活動するエネルギー源にもなり得るのでしょう。人々の幸福の物差しを、これまでの「経済的豊かさ」一辺倒から、それ以外の「多様な物差し(群)」に変更する必要がある時代になった様です。投稿者としても、世の中のために何ができるか引き続き考え続けていく事といたします。

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2019年10月15日 (火)

3676 命が軽い

何時の頃から人の命がこんなに軽くなってしまったのでしょう。かつて、人の命が失われる様な事件や事故は、マスコミでも日夜大きく取り上げられていた様な気がします。しかし、今や海外も含め、多数の人命が失われてしまった事件や事故でさえ、事件当日とその翌日に報道されれば、さながら何も無かった様に、スポーツや日常のニュースに切り替わってしまうのです。
逆を考えてみましょう。では、命に代わって一体何の比重が増してきたのかです。それは、間違いなく「お金」とそれを使った「エンターテイメント」、更に言えばパソコンやスマホに関連した「情報」でしょう。つまり、人々が実際のモノや風景に直接触れる機会や人との直接的な関わりが希薄になって、代わってよりバーチャルな仕掛けを重視する様になったしまった事が、命の軽さの背景に潜んでいそうな気がするのです。バーチャルのゲームの中では、失われた人の命だって簡単にリセット出来てしまうでしょうし、宝物も簡単にゲットできるでしょう。いくつかの人の命を奪った事件に関わった若者たちは、「自殺志願者」とネット上でコンタクトした上で、「人を殺してみたかった」などとコメントする事も多くなった様な気がするのです。そこまで行かなくとも、ネット(SNS)に関連しての陰湿なイジメや、その結果としての若者の自死事件は、最早日常になった感さえあります。
このまま、命の重さが軽くなった先には、一体どんな時代や社会が待っているのでしょうか。恋愛などもバーチャルになり、当然の事ながら生まれてくる子供の数の更に減り続けるでしょう。何しろ、生まれてくる新しい命の重さも軽くなる訳で、結果として生まれてからも子供の虐待事件も増加しそうな気がします。近い将来、「子供は宝である」、などとの表現は遠い過去のものとなってしまうかも知れません。
さて、この風潮をどうしたものかと考え込んでしまいます。投稿者のつたない経験を元に想像するに、やはり「核家族化」の弊害が大きかった様に振り返っています。大家族の中では、日常的に人の死や、赤ん坊の生まれる瞬間などに立ち会う経験をする筈です。その人の死や、誕生を「病院」や「介護施設」の中に「隠して」しまった事により、生まれること、そして人が死ぬことの比重が大きく下がってしまったと思うのです。沖縄における大家族の維持が、たぶん同時に出生率の高さを支えていることが、上記の推定が結構正しい事を裏付けてくれそうです。長い歴史の中に一瞬生まれる一つの命が、それを育む地球より重いとは言いませんが、少なくとも家族にとってはそう思える筈なのです。

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2019年10月14日 (月)

3675 災害列島

今回の台風19号の挙動を見て、この国が改めて災害列島である事を認識せざるを得ませんでした。地理的に見れば、この国はまるで大陸を防護する「防波堤」の様に横たわっています。これは、列島の成因が、巨大なプレートによって大陸の端に出来た「シワ」の様なものである事から来ていますが、気象学的に見ても太平洋が引き起こすあらゆる気象現象を第一線で受け止めざるを得ない運命を負っているのです。
今回の強大な台風も伊豆半島を直撃して、関東から東北南部を縦断して、多大な被害を引き起こしたのでした。15号がコンパクトな風台風だったのに比して、サイズの大きな今回の19号は、さながらカリブ海のハリケーンの様に巨大で、強力だったのですが、結果としては国交省の想定を大きく超える量の雨をもたらしたのでした。大量の降雨は、かなりの数のダムでさえ決壊を防ぐために放水せざるを得なかった訳で、水防の役割を果たせなかったのでした。嵩上げが繰り返されてきた各地の堤防でさえ、簡単に横溢しついには決壊に至ったのでした。横溢や決壊に至るであろう場所の特定は、実は素人が考えても明らかです。山から流下した急流が、勾配の小さな場所に至って、急に流れのスピード(=流量)が低下する場所、あるいは2本の川が合流するする点、更に言えば川の流れが大きくカーブしているポイント、ということになるでしょう。つまり、そこは他の場所より堤防の高さや幅を補強しておかなければならない筈なのです。
台風襲来の真っただ中、千葉を震源とする地震が発生した事は、この国が災害列島である事を更に印象付けました。大陸端にプレート移動によって出来たシワ(であり)、気象上も天然の防波堤であるこの国は、改めて地震や風水害への備えを補強しなければならない時代だと言えそうです。
アイデアはあります。例えば、各戸の屋根を風速50mにも耐える様に補強するついでに、屋根に太陽光発電パネルを設置するのです。バッテリーと組み合わせれば、各家庭のオフグリッド化が実現できるでしょう。電力会社からの電力網が寸断されても、影響は最小限でしょう。電柱の地中化に1㎞当り5億円も掛かる事を考えれば、この改造にそれなりの補助金を出してもペイするでしょう。水害に対しては、時間は掛かりますが、上記の危険個所の補強を行うと同時に、針葉樹の人工林を、保水力の高い照葉樹林に少しずつ植え替えていく以外にはなさそうです。

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2019年10月13日 (日)

3674 経済頼み

3673にも関連しますが、今の時代はあまりにも(貨幣)経済に頼り過ぎの様な気がします。国も財界人も口を開けば「景気の善し悪し」、「株価の昇降」、「インフレ率」、「経済成長率」など、景気指標の話題に終始します。国会の予算委員会などは、もはや税の使い道を議論する場などではなく、さながら政治家が景気のよもやま話をする場かあるいは、週刊誌記事をネタに新閣僚の「身体検査」の場になっている感があります。
特に、今のリーダーが椅子に座ってからは、N銀の金利やマネー操作と赤字国債の乱発にだけ頼り切った何とかミクスの効能を、口を開けば自慢げに披露するのを聞くたび、この国の行く末にひどく憂慮せざるを得ません。今のこの国の好況は、単に欧州の勢いが減退したのとB国のバブル的好況に引っ張られてのものである事に、経済の素人の投稿者でさえ気づいてもいるのですから。N銀の買い入れた資産は、今やこの国のGDPをはるかに超えるレベルに到達している様です。余りにも、経済頼み、貨幣経済頼りに陥ってしまったこの国将来は、ひどく暗いものになりつつあるのです。なにしろ、「金兌換」ではないN銀の資産など考えてみれば、ただの紙の紙幣であり、紙の債権でしかない訳ですから、いざそれらの紙の価値が下がった場合には、ただの紙屑になってしまう恐れも十分考えられるのです。
経済活動を確固たるものにするには、それを裏付けるモノが必要です。かつてドルは、金と交換可能でした。今の価値の円はそれなりの価値があり、確かに食糧やエネルギーやその他の資源と、比較的良い条件で交換(輸入)が可能ですが、その価値がこの先も変わらない保証は何もないのです。でも、たとえば国内で供給可能な食糧は、どの様な時代になってもこの国の台所を潤し続ける筈なのです。経済頼み一辺倒から脱却し、ぜひモノ、取り分け国内産を減らさない努力が必要な時代になったと言っておきましょう。それを軽視する様な政治は、間違いなく国民を窮地におとしめる事になるでしょう。この国の価値を保証するのは、この国の信頼性を高めると言うただ一点に掛かっていると思うのです。

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2019年10月12日 (土)

3673 田舎が取り残される

田舎が取り残される傾向も、やはり加速していると言わざるを得ない様です。ココロ無い政治家の「大震災発生が、人口密集地ではなくて、不幸中の幸いだった」発言(失言)を引用するまでもなく、中央集権が極限まで進んでしまった中で、田舎が取り残されている感はますます強まっていると言うしかないでしょう。なにしろ、税金を納めているのは、大都市住民と企業であり、田舎は地方交付税と高齢者福祉費を「消費」するばかりなのですから、政治が軽視するのも納得は出来ませんが想像はできるのです。
しかし、これはお金(経済)だけで物事を推し量る、現代の政治・経済の仕組みが正しくないのであって、田舎の無い国は、さながら都市国家であるSンガポールの様に振舞う必要が出てくる筈なのです。つまり、観光立国であり流通・交通の拠点であり、経済の交差点であるという特徴をフルに生かして、必要な資源やエネルギーや食糧などを全て他国に依存する国を目指すと言う道のことです。しかし、この国には狭いながらも恵まれた森林資源や水資源、田舎を眺めれば耕作放棄された田畑もかなりの面積で見つかる筈なのです。
一方田舎に住む者は、地方創生などという「お役人言葉」で誤魔化されてはならないでしょう。田舎は、人口の割には、恵まれた食糧自給率やエネルギー自給率など、中央の経済活動とは別の重要な資源を持っている訳ですから、何も交付税ごときで頬を引っ叩かれる必要はないのです。豊富な食糧や森林資源や風力などの再エネを活用しながら、資源も食糧もお金も地域内で循環する仕組みを作れば良いだけです。何も、ゼロから始める必要はありません。つい50年前を思い出し、人々が田舎でどうやって(つましい)暮らしを永く営んでいたかを思い起こすだけで良いのです。その頃、街には周辺の農家が作物を持ち寄って「朝市」が立ち、商店街は賑わっていたのですから、徐々にその方向に向かえば、今更「創生」などしなくとも、地方は良い方向に復活できる筈なのです。このまま、中央におんぶに抱っこのままで手をこまねいていては、田舎の空洞化が加速するばかりでしょう。何もGDPや納税額の多寡でカウント・評価されなくても構わないのです。ぜひ「物々交換経済」や「地域通貨経済」をバンバン活性化させ、中央のお金(日本銀行券)では評価できない田舎ならではの豊かさを享受したいものです。

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2019年10月11日 (金)

3672 エネルギー不足

この国のエネルギー自給率が低い事は、数度のオイルショックで思い知らされている筈ですが、これまでも喉元過ぎればそれを忘れてしまうのが、この国の人々の特性の様です。原発停止で、6%程度に落ち込んでいた国産エネルギーの割合(自給率)も、原発稼働再開で8%を回復し、国や電力会社も更なる再稼働を目論んでもいます。
しかし、一応原発は「国産エネルギー」には位置づけられているとはいえ、燃料であるウランは100%輸入に頼っていますし、原発で燃やした後に残る強い放射能を帯びた燃料棒を始末する方法が見つからず、原発内のプールで冷やし続けている事実を見ても、原発は出口のない核物質の貯蔵場所になりつつあると言えます。そもそも地震や津波の頻発する場所であるこの国には、安全な核廃棄物の捨て場所など存在しないと考えるべきでしょう。このままでは、核廃棄物は動かすこともできず、原発=核物質貯蔵所=核物質廃棄場所になってしまうでしょう。これこそ、子孫にとっての「負の遺産」でなくて何だと言うのでしょう。
従って、いわゆる再生可能エネルギーを格段に増やす以外に、この国の国産エネルギーを増やす方策は無いと断言できます。景観は多少犠牲にはなりますが、洋上風力発電も含め増やして行かなければなりませんし、メガワットクラスの太陽光発電ではなくて、各戸や各事業所の屋根には、それなりの規模で太陽光発電を義務付ける必要もあるでしょう。山で眠っているバイオマスも、熱エネルギー源として活用すべきでしょうし、廃食油や生ゴミ、畜糞なども直接燃焼やバイオガス化などでエネルギー利用を進める必要があります。先ずは、再エネ=国産エネが50%を占めるまで増やすのが当面の目標になるでしょう。
同時に、家庭、産業、輸送とも例えば3割程度の大幅な省エネを進め、輸入される原油やLNGを大幅に削減すべきでしょう。それによって、いわゆるエネルギーの安全保障も大幅に改善するする筈なのです。国民も国も忘れている(国は忘れたフリをしている?)様ですが、2030年に2005年比でエネルギーを26~28%削減すると言うのは「国際公約」でもあるのですから、3割削減は、実は必達目標でもあるのです。この5年、省エネ目標がますます達成困難になったと言うしかなさそうです。

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2019年10月 7日 (月)

3671 作るものが無い

この5年間で、いわゆるメーカーのあり様もかなり変わってきた様な気がします。この国のメーカーは、戦後一貫して、品質の高い製品を、1円でも安く作る事に専念し、得意にしてた来たと言えます。その中で、一時期はWークマンに見られる様な小型化や精密化を進め、モノ作りとしては限界を極めたと言っても良いでしょう。しかし、その一方でモノの持つ機能やデザイン(所有する喜び)の様なものは、二の次の位置に置かれ、気が付けば得意分野だった、携帯電話やスマホ分野でもAップルやK国、C国の後発メーカーに水を開けられ、赤字を積上げた結果、事業として浮き上がれなくなってしまい、ついには海外に身売りを余儀なくされる企業も出てきたのでした。
一方で、車メーカーは、ハイブリッド化や電気自動車化やスマアシ化や自動運転化にも、それなりに対応し、何とか面目は保ってはいますが、N産のドタバタ劇も含め、必ずしも将来は明るいとも言えない状況でしょう。今後10年、20年のレンジで見て、今ある様な鉄の塊りである「車」が、売れ続けるのか、立ち止まって考えてみるべきですし、メーカーは、もっともっと製品を作る目的、つまりは製品の持つ機能やデザインや使い勝手など、いわゆる製品の「クオリア」を重視すべきだと思うのです。.
人々がモノに餓え、メーカーがモノを作れば売れた時代昭和や平成の初めまでで、それは既に終わりを告げたと断言できます。これからは、品質が高く、機能やデザインに優れ、それを所有する者に喜びを与える様な製品を、手入れをしながら、出来れば世代を超えて永く使い続けるといった風潮が重視される時代に入ったと考えるべきでしょう。モノづくりはベテランが担うにしても、デザインに関してはアニメやフィギュア等に慣れ親しんだ若い世代が活躍する筈です。人類が存続する限り、最低限の食糧やモノを生産する事は無くなりません。問題は、十分に長いレンジで展望して、何を作るか、作り続けるのかをじっくりと考えてみる必要があると思うのです。もし、それを怠れば、この国の産業も土台からの瓦解が避けられないでしょう。

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2019年10月 5日 (土)

3670  少子高齢化

少子高齢化は、この5年で明らかに悪化(加速)していると言えそうです。国の統計でも、2005-2010年の5年間では97万人の人口減でしたが、2010-2020年の5年では、なんと177万人も減るとの推計なのです。推計とは言っても、来年までの推計ですので確度は高い数字でしょう。つまり、生まれる人の数より亡くなる人が多い結果生ずるこの国の人口減は、間違いなく加速しているのです。
一方で、逆ピラミッド型で頭でっかちになっている人口年齢構成(人口ピラミッド)は、当然の事ながら少子化傾向を如実に示してもいます。出生数は2015年頃に100万人を割って以降、着実に減少を続けていて、2065年には何と56万人にまで減ると推計されているのです。
結果としてみれば、少子化による人口減とますます長寿命化した社会は、必然的に高齢化を加速する事になります。現在30%を僅かに切っている高齢化率も、2025年には30%を突破する予測になっているのです。平成4年の「楽観的な予測」では、高齢化率が30%を超えるのは2040年頃とされていたのですから、予測も15年ばかり前倒しになり高齢化もかなり加速していると見るべきでしょう。などと書いている投稿者自身も、この統計では高齢者に区分されているのですから、笑うに笑えません。
しかし根本的な問題は、社会を支える肝心の労働人口が、もっと極端に減り続けている事です。2015年から2020年に向けては、15-64歳の労働人口は、なんと223万人も減る様なのです。人口減より、労働人口が激しいと言うことは、この国では現役世代への負荷がますます強まり、結果(未婚率も上がり)少子化にも悪影響を与えると言う「人口減少の悪循環」に陥っているのです。小手先の、保育料無償化程度のささやかな政策では、この悪循環を断ち切る事など到底出来ない事は全く自明です。姥捨て山ではありませんが、天寿に近い高齢者を可能な限り(介護負担の重い)寝たきりにしない施策と、子育て所帯にはかなりの額の奨励金を送るなどして、少子高齢化に歯止めを掛けなければ、この国の未来はドンヨリと暗いものとなるでしょう。

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2019年10月 3日 (木)

3669 問題点

5年ほど前のブログ原稿を読み返していたら、投稿者としてこの国の問題点としては、次のような点を挙げていました。ここで改めてその問題点が、果たしてその後軽減されたのか、あるいは重篤化したのかを考えてみる事にしましょう。それらは、
・少子高齢化
・作るものが無い
・エネルギー不足
・田舎が取り残される
・経済頼み
・命が軽い
・希望が持てない
・システムが肥大化し続ける
・インフラは劣化し続ける
・農が細る
・天候が激甚化する
・職が少ない
・医療費が肥大化し続ける
・高齢化福祉費が増え続ける
・税の不公平が拡大(増税のタイミングなので今回追加)
でした。個々の議論は次回以降に続きます。

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2019年10月 2日 (水)

3668  消費税ではなくVATで

昨日から消費税の2%アップがスタートしましたが、以前の3%増税の時にも感じた「違和感」がさらに強くなった様な気がします。そもそも、消費税とは消費者が消費する瞬間に掛かる税金ですが、当然の事ながらこのシステムでは消費にブレーキが掛かることは自明です。なにしろ、年間の消費金額が、明らかに税率分だけ増加する訳ですから、収入が増えない人は、消費額を抑えざるを得ないからです。
一方、VAT(付加価値税)は、時に消費税と訳される事もありますが、考え方は全く異なります。VATは、ざっと言えば、企業において仕入れと売り上げの差額(企業が付加した価値)に対する課税ですから、企業に税の納入義務が生ずる事になります。従って、VATが増税された場合でも、もし企業が売り上げ数量を減らしたくないのであれば、仕入れ値を抑えるか、原価を絞るなどの企業努力でそれを吸収しようともがく筈です。しかし、消費税のアップであれば、売る側の企業や店舗は、間違いなくそのままのアップ税率を表示し、消費者に負担をお願いすれば済む訳です。投稿者にとっての(たぶん多くの消費者にとっても)税の違和感とは、よく考えれば消費者の重税感と恵まれた企業の低い税率の間の「不公平感」なのです。
つまり、消費税は消費者に厳しく、VATは企業に厳しい税制と言える訳です。今の政権も、福祉費や国の借金の返済のため、兎に角税収は増やしたいばかりなのですが、それを一方的に消費者につけ回していると言えるでしょう。消費税は二桁になってしまいましたが、支払いの時暗算がし易く分かり易い10%は仕方がないにしても、一方では将来的にはVATの考え方を導入し、企業にも一層の努力を求めなければ、企業と消費者間の不公平がさらに拡大してしまうでしょう。税制における基本のきは、支払者側の限りない「公平感」しかない訳ですから。

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2019年10月 1日 (火)

3667  積上げ方式2

3666で述べた、エネルギーの色分けについて、補足しておきます。絶対不可欠のものを「青」、一見必要そうだが、無くても何とかなるものを「黄」、惰性で使っているが考えてみるとムダなものを「赤」とするのです。黄や赤は、サッカーなどで審判が使う、イエローカード、レッドカードにたとえれば分かり易いでしょうか。黄は警告、赤は一発退場なのです。
では、具体的にエネルギーの色分けをどの様に進めるか、企業活動を例に考えてみましょう。企業活動の場合にキーワードになるのは「付加価値」でしょう。付加価値とは、メーカーで言えば原材料を加工して製品に仕上げる過程で、材料の持つ価値に製品としての価値を付加したものを指します。例えば、100円で仕入れた材料を加工して1,000円の製品として出荷した場合は、900円の付加価値を加えたと勘定するのです。900円の中には、加工に携わった人の人件費、加工に使ったエネルギーや資材などの原価に加え、設備の減価償却や維持費あるいは会社として経費として製品価格に乗せられる、いわゆるオーバーヘッドも含まれるでしょう。
青エネルギーとは、この付加価値を乗せる際に絶対不可欠なエネルギーを指すのです。しかし、黄エネルギーとは一見すれば、必要な様に見えても、よく考えればそれによって1円の付加価値の増加につながらないものなのを指すのです。例えば、材料や製品の工場内での横移動を考えてみましょう。倉庫から材料を設備の傍に運ぶ、あるいは仕掛品をA工程から次のB工程に運んだとしても、そこに付加価値の増加は全く無いのです。つまり、モノを移動させるために使ったフォークリフトのガソリンやLPG、あるいは天井クレーンやコンベアの電気代にはイエローカードを出すしかないのです。工場内の空調エネルギーはどうでしょう。空調は、工場内の作業環境を整えるには必要ですが、空調エネルギーで製品の付加価値が上がる訳ではないので、取り敢えずは「黄エネルギー」と仕分けするしかありません。しかし、黄エネルギーには何らかの代替手段が存在する事が多いのです。例えば、工場を高気密断熱建屋に改装すれば、冷暖房に関わるエネルギーは少なくとも半減以下に大幅に削減可能でしょう。あるいは、そこにお金が掛けられない場合、作業員が身に付ける「空調服」を支給するのも一方法でしょうか。黄色エネルギーこそ削減余地は非常に大きいのです。先ずは、環境負荷を積上げてそれを仕分けしてみる事です。

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