« 3675 災害列島 | トップページ | 3677 希望が持てない »

2019年10月15日 (火)

3676 命が軽い

何時の頃から人の命がこんなに軽くなってしまったのでしょう。かつて、人の命が失われる様な事件や事故は、マスコミでも日夜大きく取り上げられていた様な気がします。しかし、今や海外も含め、多数の人命が失われてしまった事件や事故でさえ、事件当日とその翌日に報道されれば、さながら何も無かった様に、スポーツや日常のニュースに切り替わってしまうのです。
逆を考えてみましょう。では、命に代わって一体何の比重が増してきたのかです。それは、間違いなく「お金」とそれを使った「エンターテイメント」、更に言えばパソコンやスマホに関連した「情報」でしょう。つまり、人々が実際のモノや風景に直接触れる機会や人との直接的な関わりが希薄になって、代わってよりバーチャルな仕掛けを重視する様になったしまった事が、命の軽さの背景に潜んでいそうな気がするのです。バーチャルのゲームの中では、失われた人の命だって簡単にリセット出来てしまうでしょうし、宝物も簡単にゲットできるでしょう。いくつかの人の命を奪った事件に関わった若者たちは、「自殺志願者」とネット上でコンタクトした上で、「人を殺してみたかった」などとコメントする事も多くなった様な気がするのです。そこまで行かなくとも、ネット(SNS)に関連しての陰湿なイジメや、その結果としての若者の自死事件は、最早日常になった感さえあります。
このまま、命の重さが軽くなった先には、一体どんな時代や社会が待っているのでしょうか。恋愛などもバーチャルになり、当然の事ながら生まれてくる子供の数の更に減り続けるでしょう。何しろ、生まれてくる新しい命の重さも軽くなる訳で、結果として生まれてからも子供の虐待事件も増加しそうな気がします。近い将来、「子供は宝である」、などとの表現は遠い過去のものとなってしまうかも知れません。
さて、この風潮をどうしたものかと考え込んでしまいます。投稿者のつたない経験を元に想像するに、やはり「核家族化」の弊害が大きかった様に振り返っています。大家族の中では、日常的に人の死や、赤ん坊の生まれる瞬間などに立ち会う経験をする筈です。その人の死や、誕生を「病院」や「介護施設」の中に「隠して」しまった事により、生まれること、そして人が死ぬことの比重が大きく下がってしまったと思うのです。沖縄における大家族の維持が、たぶん同時に出生率の高さを支えていることが、上記の推定が結構正しい事を裏付けてくれそうです。長い歴史の中に一瞬生まれる一つの命が、それを育む地球より重いとは言いませんが、少なくとも家族にとってはそう思える筈なのです。

|

« 3675 災害列島 | トップページ | 3677 希望が持てない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 3675 災害列島 | トップページ | 3677 希望が持てない »