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2020年1月 1日 (水)

3698 置き去り

さて新しい年です。3697の続きですが、新年らしいコメントも交えます。近視眼的なビジョンについて書きましたが、これを別の見方で喩えると、それは「置き去り」だとも説明出来るでしょうか。科学が何を置き去りにしてきたかと言えば、それは人間としてのココロや幸福感の様な気がします。それは、科学が常に人間の先を行かねばならない必然性を背負っているからに他なりません。もし、科学が過去に遡るだけのものであったと仮定すれば、それはすなわち考古学であり歴史学になってしまうでしょう。もはや常に時代の最先端を走らねばならない学問になってしまった科学にとって、人間のココロや幸福感などに構っている余裕などないのです。ガムシャラに突っ走るしかないのです。
政治の世界ではどうでしょう。その前に、今の政治は経済に引っ張られ過ぎているいることを指摘しない訳にはいかないでしょう。経済が回って初めて、政府は税金が入り、予算が立てられる訳です。従って、政治は経済界に忖度せざるを得ないし、逆に経済界も政治を意識しないではいられないのです。しかし、その経済は規模が余りにも拡大してしまったが故に、どうやら一人歩きを始めた様なのです。つまり、経済の主体である「お金」が自分自身を太らせるために、ガムシャラに経済に拍車を掛けているという事の様なのです。そのために、お金がお金を生むための仕掛けを作りまくりました。GAFAと呼ばれるジャイアントを筆頭に、似たような仕組みが世の中の経済をリードし、あるいは牛耳っているのです。
ガムシャラに走っていると、車に乗っていても気が付くように、速度が上がるにつれて視野が狭く、より遠くに視点を送るしかないのです。そうでないと、早い速度に対応するハンドル操作が遅れてしまうからです。科学ももはや経済的パフォーマンス抜きには存続が出来にくい時代に入ってしまった様です。つまり「視野狭窄の二乗」と言えるでしょうか。この掛け算は、ココロと幸福感をさらに後ろに置いて、更に加速してしまうのでしょうか。車を運転していると仮定して、終わりの無い加速が何を意味するか想像してみると、ハンドルでコントロールできなくなってカーブから飛び出すか、あるいは車が速度に耐えられなくなって破壊してしまうかのいずれかでしょう。動き出した車は、やがて止まらなければならないし、離陸した航空機は間違いなく着陸しなければならないのです。停止したり、着陸したりする先は、人間のココロであり、幸福感という大地なのだと言うしかないでしょう。新年からやや暗い論調になってしまいましたが、科学や経済がそのスピードを緩めて、足元を確認するだけで視野は急激に広くなるはずなのです。

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