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2020年2月 2日 (日)

3708  最初に決断ありき3

そもそも現状を是認し、それに流されるのは論外として、国や社会として目指すべき目標があったとして、それを実現するには多分3つの要素が必要です。能力、行動に加えて環境です。能力(能力のある人材)が然るべき方向に向かって行動し、それを支える環境があれば目標に到達できる筈なのです。
しかし、残念ながらこの国にはそもそも国家百年の計は勿論、すぐ先10年後のビジョンさえ描けていない様に見えます。それは兎にも角にもこの国が「単年度予算制」であり、行政はそれを使い切り、それが次年度の予算立案の前提となっている(実績主義)システムが制約となっているからだと言えます。つまり、実績が無い新たな事業や予算は、いくらそれが素晴らしいものでも、なかなか前に進める事は出来ないでしょうし、ましてや10年後、20年後に実を結ぶかも知れない事業など、そもそも俎上すらされない訳です。つまり、どうやらこの国では、政治家も官僚も市民でさえ、国家百年の計を巡らし、それに近づこうとする意欲さえ起らない寂しい国だと言うしかなさそうなのです。
決断をするためには、先ずは青写真(目標)とそれを実現する「決断」が必要なのです。勿論、その目標は「正しい」ものである必要がありますが、それが正しいかどうかを判断する「正しい価値基準」が前提であるのは当然でしょう。しかし、正しい価値判断≒正義と仮定するならば、そもそも「一体誰にとっての正義か」という根本的な問題に直面することになるでしょう。そこに、エゴが入り込む余地が出てくるのです。つまり、極端に言うなら、先進国にとっての正義が、ほぼ間違いなく途上国の災難である様に、北の国々と南の国々では利害が対立することも多いのです。社会においても、生活に困っていない社会集団と、そうでない人々との格差・利害の不一致も大きいでしょう。
これを回避するには、視点を現在に固定するのではなく、地球全体更にはまだ見ぬ次の時代も視野に入れて判断・決断する必要があると思うのです。このブログでも何度も書きましたが、私たちは百年後も持続可能な地球環境を可能とする正義、7世代後の人々の安寧を願っての正義を「決断の際の正義」と定めて行動するしかないのでしょう。

 

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