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2020年3月31日 (火)

3732  傾斜死亡率

今回のコロナショックの様な「災害」は、社会の弱者が誰であるかを露呈させます。人々の経済的基盤の強弱は、災害で社会活動(経済活動)が1-2週間止まるだけですぐ明らかになるでしょう。それが、1-2か月続くようになれば、事業を営んでいる人(自営業)や企業の体質の弱さが見えてくる筈なのです。体質の弱さの最大の要素は、多分その人や企業の蓄えでしょうか。食料やお金の蓄えがたっぷりあれば、1-2週間や上手くやりくりすれば、1-2か月間は耐える事が出来るでしょう。昔の人、とりわけ城を構えていた武士は、戦国時代には籠城に備えてかなりの蓄えを行っていたはずです。
しかし、現代の社会ではモノの供給は大量に日々行われているので、誰も敢えて蓄えをしようとは思わなくなってしまったのでしょう。しかし、時々自然災害に襲われるたびに、マスコミが備蓄の大切さを喧伝する時だけ少しだけ備蓄の重要性が議論される程度に終わるのです。さて、戦国時代に比べて爆発的に人口が増えてしまった現代社会では、備蓄も大変です。社会的備蓄という意味では、石油や余り気味のコメなどは、多分数か月分の量の蓄積は持っているのでしょうが、その他の食料とりわけデイリーフーズについてはほぼ蓄えは無い訳です。
さて、今回のコロナショックでは、社会的弱者とりわけ体力的弱者を露呈させました。それは、高齢者です。新型コロナウィルスの感染者の内、死亡者の年齢層を眺めると、ほぼ60歳以上に限定されている様です。人の命ははかないもので、昨日も、国民的なコメディアンがコロナ性肺炎で亡くなってしまいましたが、享年70歳でした。投稿者も、65歳到達時に肺炎の混合ワクチンの接種を受けましたが、これは裏を返せば高齢者は肺炎に罹りやすく、重症化し易い事への予防対策なのです。傾斜死亡率などという勝手なタイトルを付けたのは、もしかすると人類に対して、安易な高齢化社会礼讃への自然からの警鐘かも知れないと思ったからなのです。つまり、高度な?医療やケアシステムの充実は、体力的には弱い高齢者をベッドに寝かしたまま生かし続ける「やや歪んだ人口ピラミッド」を作ってしまう危険を孕んでいるいるという意味です。この国の様に、極端に頭が大きい人口ピラミッドは、社会的にはかなり不安定なものに違いありません。少ない労働人口で重い高齢者人口を支える事になるからです。自分が高齢者の立場なので敢えて言ってしまいますが、コロナショックはこのアンバランスを少し是正してくれる災害かも知れないとふと思ってしまったのです。
この国と同じような高齢化社会であるIタリアでの高齢者の大量死のニュースを聞くにつけ、私たちの社会でも間もなく同じような事態になるかも知れません。高齢者が多く入る施設にコロナが侵入した場合、それを抑える術(ワクチンや治療薬)を私たちはまだ手にしていないのですから。

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2020年3月30日 (月)

3731  集団免疫3

この国のコロナウィルス感染者のチャートを眺めていて気が付く事があります。それは、日ごとの陽性者確認数の推移を示すもので、どうやら1月末、2月下旬、3月中旬、3月末(現在進行形)にピークがありその感染者数レベルが、それぞれ1日当たりで数人、25人前後、60人程度、200人オーバーという様に確実にステップアップしているという事実です。陽性者が、次の感染者にウィルスを渡したとしても、このウィルスには約2週程度の潜伏期間があるため、ピークシフトが生じているということでしょう。
注目すべきは、感染者のピークが次第に高くなっていることで、ざっと言えば一人の陽性者が二人かそれ以上の人に感染を広げている計算です。さて、今起こっている3月末のピークが、自治体や政府の外出自粛要請が効奏して一応小康状態となったとして、その後の発生するであろう4月中旬のピークがどれほどの高さになっているかだと見ています。それが、3末のピークより低ければ、少しは安心が出来ますが、それがさらに高くなって(例えば4-5百人レベルになって)いた場合、この国でもいよいよ爆発的感染が現実のものになる可能性が高まったと考えられます。
ここでの結論としては、新型コロナウィルスの流行は、既に個別の感染ケースの追跡でブロックできる時期(フェイズ)を超えてしまい、既に疫学的(つまりは統計的)に流行を把握すべき時期(新たなフェイズ)に入ったと思うのです。今日は短く。

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2020年3月28日 (土)

3730  集団免疫2

Iギリスは、今度の新型ウィルスに対処するのに、初期にはどうやら集団免疫に期待する政策を取った様です。しかし、緩過ぎる対応でその後の急速な蔓延と、死者数の増加に対応できなかった結果それに耐えきれず、突然の厳しいロックダウン政策に切り替えた様なのです。それは、多分順番を間違えたとしか言いようがない結果だとは思います。つまり、集団免疫作戦は、感染爆発を起こしてしまってからの対応だとB漢市の二の舞になってしまうことを証明してしまったのです。感染に火が着いてしまってからロックダウンしたB漢市にしても、客船という箱をロックダウンの入れ物としていたクルーズ船にしても、一応管理されたロックダウンであった訳で、Iギリスの様に緩い管理では失敗に終わるという悪例になったと思うのです。
いずれにしても、有効なワクチンやウィルスの増殖を抑える薬ができるまでに私たちにできるのは、先ずはB漢市なり、クルーズ船なり、Iギリスのケースをしっかりと分析し、有効な教訓や知見を見つける事でしょう。もし、B漢市で本当に感染が終息していて、今後の同市での感染が逆に市外から持ち込まれたものであることが確認されるのであれば、その経過を正確にトレースすれば、IタリアやSペインなどの蔓延地域にも有効な指針になるでしょうし、今後爆発的に蔓延するかも知れないこの国にも良い情報になるでしょう。もしかすると、この国のやり方(つまりは、4日間の様子見を指示し、やたらとPCR検査を行わず、自宅での自然治癒を促す)が、一つの正解かも知れないので、可能な限りの追跡により陽性確認の経緯や感染の拡大傾向を正確に記録しておく必要もあるのでしょう。
ここでの結論としては、集団免疫政策を取るならば、感染のスピードを抑えつつ、長い時間をかけて集団免疫を形成すべき、というのがこれまでの教訓の様なのです。集団免疫作戦は、いずれにしても待ちの作戦の一つに過ぎず、ワクチンやウィルスそのものを抑える薬剤の開発などの攻めの作戦にも強く期待したいところではあります。勿論、人類と新たなウィルス(または病原菌)との戦いは、間違いなく今後も長くながく続く筈なのですが・・・。

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2020年3月26日 (木)

3729  集団免疫

検査数を絞り、表面上の感染者数の増加がボチボチであったこの国も、東京都の感染者急増の報を受けてにわかに風雲急を告げてきた様です。ワクチンも特効薬もまだ見つかっていない時点では、重症者を最悪の事態(死亡)させないための高度な対症療法が重要ですが、感染の終息は一に掛かって「集団免疫頼み」の状況ではあります。集団免疫とは、感染しながらも軽い症状だけで回復し、結果として免疫を獲得した人が、集団の中で大多数を占める様なることを指します。
例えば、横浜港に着岸したクルーズ船では正確な数ではありませんが800人ほどの感染者が確認されましたが、不幸にして亡くなった人を除けば、殆どの人が回復して退院したはずです。つまり、その人たちは間違いなく新型コロナに対する免疫を持った訳ですから、実行するかどうかは別にして、マスクもせずに堂々と街を闊歩して貰ってもOKでしょう。免疫を持った者同士であれば、「密集して」お祝いの「免疫獲得パーティ」をしてもらっても全く問題無いのです。
幸いにも?今回の新型コロナウィルスは、感染しても8割の人は普通の風邪程度の軽症で済む様なので、速やかに免疫を獲得できそうです。問題は、不幸にして重症化する2割の人達で、全体の数%の人(とりわけ高齢者はより高い率で)残念ながら亡くなってしまう様です。Iタリアでの高い死亡率は、同国が日本に次ぐ高齢化社会であることもある様です。加えて、彼の国では高齢者は大家族の中で自宅で過ごしている事があるでしょう。一方で、世界に冠たる高齢化社会であるこの国で、感染者や死亡者が余り多くない理由の一つは、多くの基礎疾患を持つ高齢者は、既に病院や介護施設に入っていることであると考えられます。
良い方に捉えれば、B漢市やクルーズ船の隔離政策は、ある都市で大量に感染者が発生した際のシミュレーションであったと見ることもできるでしょう。その隔離期間の中で、一定の率の人は重症化し、その中でも少数の人は亡くなってしまったのですが、他方で大多数の人たちは感染しなかったか(或いは知らないうちに感染し回復したか)、あるいは軽い症状で済んでしまい、結果として1都市や1客船での集団免疫例が確立された訳です。さて、特に東京・名古屋・大阪等の大都市の状況が今後どうなるか、地方に住む外野としては注目して事態を見守るしかありません。

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2020年3月20日 (金)

3728  コロナショック2

今回のコロナショックに限らず、リーマンショックだとか、9.11事件とか3.11の震災だとかの社会的ショックが起こる場合も少なくありません。当事者にとっては、まさに青天の霹靂であり、大事件ではありますが、少し引いた目で見ると、これらのショックは世の中を覆っているベールを剥がしてしまう作用を持っているのかも知れません。あるいは、平和という水に覆われている社会が、その水位がショックによって低下したために、水面下に隠れていた岩礁が現れた、とも表現できそうです。また人間で言えば、温和な人が急激に生じた極限の状況で「本性」が現れて、全く別の人格が見えてしまった状況とも喩えることができるかも知れません。
さて、社会へ与えるショックですが、分かりやすい指標は経済でしょうか。景気が良くて(あまり悪くなくて)お金が上手く循環できている時代には、多くの人がその恩恵に浴して、あまり困窮することなく平和に暮らせるでしょう。しかし、上に述べた様なショックにより、潤沢なマネーが剥ぎ取られると、困窮する人たちが急激に増加するでしょう。とりわけ、いわゆる「日銭を稼ぐ」業界、例えば飲食業とか旅客輸送業などの多くのサービス業ですが、は多大なインパクトを被る筈です。日々お金が入ってきて、それを燃料代や人件費や翌日の仕入れに回しているからこそ社会に一定量おカネが回っているのですが、その日々の収入が途絶える訳ですから、その翌日分の仕入れや人件費の源泉が失われてしまいます。
つまり、この手のショックによっては、社会の弱い部分から「選択的に」攻撃されることにつながるのです。社会に蔓延する「自粛ムード」の中では、子供を抱えた若い夫婦や日雇いや非正規の労働者、飲食業や旅客輸送従事者などは取りあえずその日の仕事が無くなる訳ですから、それなりに貯蓄があったとしても数か月で底をつくでしょう。そうなると、いよいよ社会の「本性」が顔を見せ始めるでしょう。つまり、弱者に優しい社会であるか否かという社会の顔です。災害によるショックは分かり易いでしょう。被害を受けた人と、そうでない人が比較的明確だからです。しかし、コロナショックの様な病気が引き起こす社会災害?は、被災者が多過ぎて、一体どうやって人々を救済すべきかという答えが見つからないのです。残念ながら答えは無い、というのが正解かも知れません。とは言いながら、人類は幾多のショックを乗り越えてきましたが、それを支えたのは知恵と工夫と助け合いのココロであったのは間違いないでしょう。

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2020年3月19日 (木)

3727  バブルの再崩壊或いはコロナショック

バブル崩壊と言えば、一般的には1990年代の経済のリセットあるいは景気後退現象を指します。しかし、AベノミクスやTランプの経済政策によって生まれた、「見かけの経済成長」がバブルではなかったのか、と問われれば、即座には否定できないでしょう。投稿者は、このブログでも度々してきた様に、「明らかなバブル」であると再度断言しておきましょう。理由は、実態の伴わないマネーによって、作り出された株高がさも景気が良くなって、さらなるマネーを生み出すという、AベノミクスやTランプノミクスは、まさに経済バブル政策そのものであり、株券や銀行券の増刷政策に過ぎなかった訳です。
経済現象がバブルだったか、そうでなかったかはそれが弾けた時に明らかになるものです。前回は、R-マンブラザーズという銀行が作り出した(債券=サブプライムローンという)バブル装置への信頼が崩壊が連鎖した結果、それらが紙くずになってしまった事が発端でした。さて、最近の(見かけ上の)好景気が何によって支えられているかを考えれば、それがバブルであった事が容易にわかるでしょう。Aベノミクスは、長い期間この国リーダーに座っているABCの楽観的な言葉と、それに完全同調したN銀のいわゆる異次元の金融緩和政策「だけ」に支えられていました。Aベノミクスは、その後B国の大統領の椅子に座った人物によって「承認」されたことによって追い風を受け、同時に安定的な円安傾向とC国の経済バブルなどによるインバウンド旅行者の急増、結果としてデフレ傾向へのブレーキによる好調な内需が重なって、今のバブル経済が膨らんできたのでしょう。
さて、そのバブルに冷水(氷水?)をぶっかけたのが今回の新型コロナウィルス騒ぎでしょう。感染拡大を抑制するための活動自粛は、例えば観光や経済活動のための人の移動に、急ブレーキをかけました。前回のインバウンドの急ブレーキは、実は9.11事件(2001年)後に見られました。「飛行機に乗るのは危ない」という風潮が、ビジネス以外の旅行客の足を止め、一時は旅行客が半減以下になったのでした。しかし、その後航空機搭乗の際のセキュリテイが厳格化され、テロの脅威も小さくなったこともあって、旅行客や経済活動のV字回復に漕ぎ着けたのでした。
しかし、今回のバブル崩壊は長引きそうです。新型のウィルスは一体どの様な状態になれば終息宣言ができるのか明確な基準など無いでしょうし、仮にジワジワと自粛ムードの緩和が進んだとしても、深くダメージを受けた世界の経済が急回復できるとも思えません。さらに言えば、多分10年後くらいに新・新型ウィルスが出現する可能性もかなり高いでしょう。どうやら経済人は、「本当に懲りない面々」の様です。何度バブルの崩壊を目撃しても、再びバブルが膨らむ期待を捨て去ることができない人達の様なのです。亡くなってしまった人達には申し訳ありませんが、今回の「コロナショック」は、(バブルではない)底堅い経済活動とは一体どのレベルなのかを考えてみるのに良い機会だとも言えそうです。

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2020年3月17日 (火)

3726 国境

国境は人間が勝手に引いた線です。勿論、この国の様な島国は、周りが海なので海岸線が国境にはなりますが、多くの場合には山岳や川や砂漠の中に勝手に引いた線(極端な場合には直線)になっている場合も多いのです。しかし、この国境にこだわるのは人間だけであり、植物や動物には事実上国境など存在しないのです。足の無い植物だって、鳥や動物に種子を運んでもらえば、国境を越えたり、海を越えて別の大陸に移動出来たりもする訳です。
それは、まさに「種子(核)」だけの生物?とも言えるウィルスにも言えることで、ヒトに感染するウィルスは、ヒトがキャリアの役割を果たしているのです。ウィルスの種子は、ヒトの上気道や肺で急速に増えて、新たな種子をばらまくのです。しかし、彼ら?の目的は、取り付いた宿主であるヒトを殺すことではありません。何故なら取り付かれたヒトの致死率が高すぎると、彼らの存続が果たせないからです。つまり、取り付いたヒトを生かさず殺さず、優秀なキャリアに仕立て上げる事こそが目的だと言えるでしょう。
さて国境です。ウィルス達の目的から言えば、人間が勝手に引いた国境は、繁栄には邪魔で邪魔でたまらないでしょう。しかし、彼らにとって幸いで、ヒトにとっては不幸な事には私たち人間は移動する生き物です。勿論、草食動物や渡り鳥や回遊魚などはかなりの長距離を移動はしますが、私たち人間は食べ物や繁殖以外の理由でかなり自由に移動を繰り返すのです。極端な行動としては、移動のための移動(つまりは旅行です)を繰り返す人達の例が挙げられるでしょう。最近ウィルスの脅威に恐れおののいて国境を閉鎖する国が増えてきましたが、どう考えても人の移動を長期間制限することなど誰にできないでしょう。少し、流行が収まってくれば、移動したくてウズウズしている人間がどっと動き出すでしょう。EUが好例ですが、今や国境は国内における県境程度の意味しかない存在になりつつあるのです。今後もウィルスや病原体はその姿を変えながら(変異を繰り返しながら)、越境を繰り返し10年ほどのサイクルでパンデミックを繰り返すのでしょう。国境を超える移動が好き過ぎる人類は、そのたびにパニックを繰り返すしかないのです。

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2020年3月15日 (日)

3725 時間軸2

時間軸を気にするという事は、つまりは時間を追った変化率を気にするということでもあるのでしょう。例えば、今全てのメディアで話題の中心である新型ウィルスにしたって、もしその感染が稀で、患者数や亡くなる人が結構少ない病気であったなら、こんなにも注目を浴びる事もなく、単なる「普通のウィルス疾患」として扱われていたことでしょう。しかし、残念な事に今回の新型ウィルスは、強い感染力を示しています。なんと、症状が出ていない保菌者(ウィルスは菌ではないので正確には陽性者=保ウィルス者)からも感染させてしまうという強者の様なのです。
今や患者数は、時間を追って全世界でうなぎ上りの状況で、場所によっては時間の二次関数的に増加している国さえあるほどです。勿論、どのような感染症であっても、その患者数は正規分布かχ二乗分布、あるいはその中間の様になり、増加してもやがてはピークアウトすることは、過去の感染症の歴史が証明しているところでしょう。つまり、ある感染症や害悪が、危険なものであるかそうではないかの分かれ目は、結局は時間軸に対する患者数や死亡者数あるいは害悪の時間軸に対する多さ(高さ)だけが問題になるというここでの結論になります。
その意味で、多くの感染症と環境問題には似ている点がありそうだということに気が付きます。環境問題も19世紀の石炭力による第一次産業革命から2百年余り、その後20世紀に入ってからの石油・電力による第二次産業から見ても100年もたっていない「短い時間軸」の中で起こった急激な変化は、まさに産業による利便性や快適性と呼ばれるウィルスが、急速に感染し、蔓延しつつある状況だ、という比喩も成り立つと思うのです。しかも、その感染はどうやら止まってはいない様なのです。つまり、学者が言うところの第三次、第四次産業革命が興って、そこから発生する害悪の山がさらに高くなっているらしいのです。
ウィルスの害悪は、その強い感染力と及ぼす毒性(症状の重篤さ)によって生じ、環境悪化という害悪は、人間の欲望とそれを満たすための「未熟な産業」によって引き起こされると言えそうです。前者に対する対策は、感染力をコントロールするワクチンと症状を抑える薬の開発ですが、さて後者に対する対策は何があるのでしょうか。少なくとも、欲望を有効にコントロールする薬や方法はまだ開発されていないでしょうし、環境負荷を全く与えない産業というものも非常に限定的でしょう。自然の水や太陽光に依存している筈の農林業ですら、現代では大型機械や灌漑ポンプや化学肥料や農薬など、環境負荷の高い技術に頼りきっているのですから・・・。環境人間である投稿者の悩みは尽きません。

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2020年3月14日 (土)

3724 時間軸

時間に関しては、このブログでも何度か書いた様な気もしますが、改めて考えてみても良いでしょう。環境人間として、時間に関しても想うのは、変化に掛かる時間の長さです。一般的な方程式としてはy=ax と表せるでしょう。aは係数ですが、これにxの要素が入ってくれば2次方程式や高次方程式になるのでしょうが、xに時間要素が入ってくると、yは時間の関数となってきます。今、温暖化やオゾン層の破壊や有害物質やプラスチック等の難分解物質あるいは原発からの放射性物質による環境汚染が問題になっていますが、それらの汚染は時間を関数とする変化で表せるでしょう。放射能は、もし人為的に操作して増やさなければ、半減期によって弱まっていく性質がありますが、その他の環境汚染は人間の活動が続く限り、かなりの努力を傾けない事には改善は難しいのです。
何故なら、環境汚染によって私たち人間が被る健康被害は比較的弱いものなので、汚染物質を出しながらも得られる便益(=快楽)に比べ、受ける苦痛は「我慢できる」レベルに留まっているからでしょう。確かに温暖化のの結果と思われる真夏の高温で、不幸にも亡くなる人は毎年かなりの数に上りますが、多くは高齢者であり元々体力が弱っていた可能性も高いのでしょう。従って、温室効果ガス(GHG)を出し続ける側の大多数の人達が罪の意識を感ずることも少ないのかも知れません。
もし、GHGを出し続ける行為を「長い時間をかけた殺人罪」であると断罪されたとすれば、私たちは化石燃料を使う事を控え始めるのでしょうか。これを、やや弱い言葉でGHGを出し続ける事は未来世代への罪だ」と叫び続けている北欧の少女の声は、瞬間的には世界の人々、特に若者には響いた様です。しかし、その声も目先の新型ウィルスの脅威を前にしては、吹き消されてしまうかも知れません。ウィルス騒ぎが一段落した場合には、私たちは失われた?経済損失を取り戻すために、急速に(短い時間内に)環境負荷の排出を拡大させるでしょう。何しろ環境の自己修復力は、多分高度成長期の辺りで、とっくに人間の出す負荷に追い越されているでしょうし、今以上の「時間軸を縮める様な」環境負荷は、環境に対して不可逆で決定的なダメージを与えてしまうことを危惧します。

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2020年3月13日 (金)

3723  パンデミック2

新型コロナウィルスについては、新たな知見が日々更新されている様です。その全てが正しいかどうかは別にして、最近のニュースで注目しているのは、このウィルスの感染力は、これまでのSARSやMERSなどよりは強そうだという報告です。理由は、ウィルスが細胞に取り付く際に使う受容体が、どうやら1種類ではなく複数ありそうだという情報です。つまり、ある人の受容体を使って細胞に取り付き発症させ、やがて完治したとします。その人には、ウィルスに対する「免疫」ができる訳ですが、その意味するところはそのウィルスの受容体を感知して体内の免疫系が攻撃を始めることなのです。しかし、ウィルス側に複数の受容体が存在する場合、新たにできた免疫系が新たな別の受容体の感知が出来ない結果、再度同じコロナウィルスに感染してしまう可能性があるのです。
つまり、新型のウィルスは免疫系から見ると、さながら複数のウィルスの複合体(ハイブリッド)である様に感ずる可能性が高いのです。これに関しては、頷ける事実も報告されています。つまり、一度陽性になって、その後回復して2度続けて陰性になった人が、その後再度陽性に戻ってしまったというケースです。勿論、「打率7割程度」といPCR検査の精度の問題もありますが、簡単な試算でも3回ほどPCRを繰り返せば、検知の確率は98%程度の向上しますので、この様な(再陽性)ケースは、体内の何処かに生き残っていたウィルスに再度感染した可能性が出てくるのです。
もし、この様なケースが稀ではなく、多数報告される様になるなら、私たちのこのウィルスとの戦いは、年単位の長期に亘る可能性が高まるでしょう。パンデミック状態も長く続くという事態に陥るかも知れません。それが終息するのは、多分ウィルス自身が「勝手に」弱毒化するか、複数の受容体という「矛」を収めて、普通のウィルスに戻るかどちらかでしょう。少なくとも、複数の受容体に免疫を作る様な、理想的なワクチンが開発される可能性は非常に低そうなのです。つまり、私たちがこのウィルスに対抗する手段を考えるなら、感染しても重症化しない様なより強力な「対症療法」を開発する事しかなさそうなのです。以上が、医学には全くの素人である投稿者の杞憂で終わることを祈ります。

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2020年3月12日 (木)

3722  パンデミック

ついに新型コロナウィルスの感染拡大が、パンデミックと呼ばれるレベルに達した様です。しかし、注意しなければならないのは、例えば感染後の患者の予後でしょう。不幸にして亡くなる人達にしたって、健康体で感染した人がそのまま死に至る様な重篤な症状になるケースが一体どれくらいあるのか、実際に亡くなったのはどれくらいの年齢層の人が、どのような基礎疾患があって死に至ったのか、科学的なデータを読み込むべきでしょう。確かに高齢者でしかも基礎疾患があって、免疫力や体力が弱った人たちが犠牲になってはいるのですが、その様な人たちは(既存のコロナウィルスの感染によっておこる)普通の風邪でもこじらせて、亡くなってしまうケースも多いのでしょう。
確かに、今度の新型ウィルスは感染力が強いのでしょう。罹患した場合にも毒性も強そうなので、予防には気を付ける必要があるのかも知れません。しかし、健康体の人達が過度な防衛策に走ったり、モノの買い占めに走ったりする必要までは無いはずなのです。罹患しても、無理をしないで通常の風邪やインフルエンザの様に、数日間安静にしていれば、やがて体内の免疫システムが作動して、新型ウィルスにだって新しく免疫を獲得できるでしょう。要は、咳や発熱などの初期症状に気を付けて、早く自分の免疫力を働かせることが肝要なのです。
パンデミックとは結局、保菌(ウィルス)者が街中をウロツキ、不特定多数の人たちにウィルスをばらまくことによって起こるのですから。何故か理由は分かりませんが、強毒性のウィルスも感染を繰り返す内に、やがて毒性が弱まる様に変異するものの様です。そうでなければ、ある新型のウィルスは、全世界の人に感染するまでは終息することなどありえないでしょう。弱毒化した「新型コロナウィルス」もやがては普通の風邪ウィルス並みの扱いになって、普通の対症療法で治療できる様になるのでしょう。
結局パンデミックとは、新型ウィルスに人類が治療薬やワクチンで対応できる様になるか、あるいはウィルス自身が弱毒化するまでの期間の大騒ぎであるとも言えそうです。そうでなければ、新型ウィルスの本家本元のC国が、感染者のピークアウトを迎え、多くの都市で新規感染者が出ていないといういわばパンデミックを克服しつつあるという事実の説明ができないでしょう。いずれにしても、野鳥⇔豚⇔ヒトという感染サイクルの中で、ウィルスが強毒性に変異するという事実は変わらないでしょうし、10年ほどのサイクルで「新たな新型ウィルス」が出現することは多分不可避でしょう。

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2020年3月11日 (水)

3721  震災の日に想う

震災時は、震源から遠く離れた岐阜県に在住していました。すでに自営業(フリーランス)になっていましたので、その日は家に居ました。ボーっと寝っ転がっていたら、なにやらゆっくりした大きな横揺れが、長く続いたと思います。いわゆる長周期振動でしょう。関西でも、超高層ビルでは数メートルの振幅の振動が観測された様ですから、実感では数十センチほどの振幅はあった様に感じました。その後の、地震による直接被害やすぐに襲ってきた津波のすさまじい被害のテレビ映像は、まるでパニック映画を見ている様な錯覚に襲われたほどです。
加えて、その後に発生した原発事故メルトダウン事故と結果として起こった水素爆発のすさまじさは、まるでゴジラ映画の破壊活動を見ている様にさえ感じたものでした。遠く離れていたため、当事者意識は薄いままで日々のニュース映像を見ましたが、中でも原発事故の悲惨さと重大さは、多分数世代を跨いでしか収拾できないほど甚大だと思ったものでした。英雄的な人々の身を挺しての活動で、当面の最悪な状況(つまりは格納容器のメルトスルーですが)は回避されたとはいえ、その後の汚染土壌の除去と汚染水との戦いは、9年経った今も終わりが見えないほどひどいものです。
その意味で、津波に対する備えである護岸であり、地盤のかさ上げ工事は完了したものの、避難によりバラバラになったコミュニティの復活(Re‐union)はまだまだ先の話でしょうし、ましてやかつての賑わいは、もしかすると二度と戻らないのかも知れません。それにつけても、溶け落ちた燃料棒の屑(デブリ)の取り出しは、やっと小さな塊を取り出す試験が完了したところであり、本格的な取り出し作業はやっと来年から始まるといったまるで亀の歩み様なペースです。それは、全ての作業をロボットの遠隔操作だけで行う必要があるためで、人間がまだまだ核物質や放射能をコントロールしてはいないという証左でしょう。いずれにしても、大震災の日とその結果として誘発された原発事故を想うにつけ、この国は改めて原発への離別を誓うべきだと改めて思いました。今朝のニュース解説で、再エネによる発電量が、石炭火力に次いで2位になったと言っていたのは、少しは明るい話題だとは思いました。

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2020年3月 5日 (木)

3720  読書

最近殆ど本を読んでいないと反省しています。そう思って部屋を見回すと、買ったきりでまだ読んでいない本が数冊出てきました。その中から、数学者でもあるM田真生のエッセイ集「数学の贈り物」を手に取り一気に読んでしまいました。著者である30代半ばの若い数学者は、ある時期以降「フリーの研究者」としての道を歩み始め、著作や対談や短文の寄稿と講演などを行いながら暮らし始めた様なのです。親の仕事で幼年期の殆ど米国で過ごし、帰国後改めて日本語や日本文化を学び直したほぼ完全なバイリンガルとして、そして何より論理だけで成り立つ数学の研究者としての立場から、日本と言う国の文化や海外文化との比較が、組織からは完全にフリーな立場から展開されるエッセイは読んでいてやや不思議な感じすら起こさせるのです。
その中で、面白いと思ったのは、氏は「数学は分からなくなってからが面白い」という主張です。多くの人は分数の加減乗除やマイナスの概念があやふやになった辺り、あるいはそこを通過した人たちも微積分や三角関数が持ち込まれた辺りから数学が「嫌い」になって、自分は「文系頭だ」などと言い張り始める様です。しかし、それは数学を頭から「憶え込もう」と足掻くからであって、その意味するところを「理解」しようとすれば、むしろ楽しくさえなっていくと、氏は強調するのです。そう考えた氏は、自分で数学塾を開き、子供たちに数学の面白さを気づかせている様なのです。
「フリーの研究者」ですから、氏は誰からも、何を研究するとも義務付けられてはいないので、研究や評論の視点は全く自由です。エッセイの話題は、洋の東西の古典から、新旧の哲学、最新の技術や経済の分析まで、時間軸も遠い過去から未来まで実に広いのです。まさに神羅万象です。投稿者も、時間がある時はほぼ毎日ブログを更新しながら、環境を軸にあれこれ考え、書いてはいるのですが、自分の頭の中だけの記憶や知識では不正確であり、思索のレベルも浅くなりがちだとはかねてより気づいてはいました。やはり、人間は読書を続け、あるいは他の人との対話の中から「刺激」を受け、新たな視野を広げるものの様です。それにしても、布団に入っての読書は10分も続かず、ストンと寝入ってしまうのは困ったものです。

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2020年3月 4日 (水)

3719 経済的正義?

Eテレでの哲学者の話を面白く聞きました。昨晩は、自由が作った善と悪が話題でしたが、その中で経済的な善と悪の話が頭に引っ掛かりました。つまり、経済が発展し皆が(あるいは上手く立ち回った人たちが)物質的に豊かになることは果たして善で、その様に世の中を動かすのが正義であるかどうか、という論点に引っ掛かりを感じた訳です。戦後、この国では所得倍増計画、日本列島改造論=新幹線+高速道路網で国土をカバーする事、最近で言えば外国人観光客激増計画などなどで、経済活動を高め、GDPさえ拡大すれば、そのおこぼれで国民皆が幸福になれるという論調が支配してきた訳です。その一つの象徴が、(今回ウィルス達に狙われた?)経済的成功者のための豪華客船クルーズだったという皮肉な見方もできるでしょう。
しかし、人はカネとモノだけあれば幸福になれるという論理には明らかに欠陥があるでしょう。それは、人々のココロが置き去りにされてしまっているからに他なりません。口を開けば「経済の活性化」しか口にしない政治家(屋)にこれ以上マツリゴトを任しておくわけにはいかないでしょう。このブログは批判を目的にはしていませんが、最近は愚痴っぽい投稿も増えてしまっている様な気もします。それも仕方がないかも知れません。世の中の活動の殆どをおカネ(経済論理)で判断されてしまう様な時代にあっては、人々のココロに寄り添うような活動は、儲からないという理由で経済的な正義からは外されてしまう様なのです。今の経済社会では、そのような活動は、人々の善意によるもの、、つまりはボランタリーな活動であると定義されてしまうからです。
人々のココロが置き去りにされた(経済)社会では、おカネにまつわる軋轢で人々は常にギスギスし、時にはその分配を巡って争い、そこで敗者となって社会からはじき出された結果閉じこもり、やがてココロを病んでしまう人を多く出してしまうことにもつながるのです。(野放しの自由主義)経済の規模が、人間のコントロールが及ぶ範囲を超えて巨大化した結果、今や誰にもそれを制御する事が叶わない状況になってしまった様なのです。「パンドラの箱」という表現がありますが、投稿者の目には現代の経済活動では、あらゆる種類の害悪(evil)が踊り狂っているようにしか見えないのです。20世紀後半の出来事を目撃してきた身としては、やはり化石燃料やウランや金属資源といった地下資源こそがパンドラの箱そのものであり、それを利用するための大規模な解放が、結果として温暖化の加速や鉱害や公害といった害悪の乱舞を許してきたのだ、と結論するしかなさそうなのです。パンドラの箱の蓋を開け続け、中からの害悪を出し続ける活動を、私たちは「経済活動」と呼んでいるのです。そしてそれを活発にすることだけが現代社会の正義の様なのです。残念ながら。

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2020年3月 3日 (火)

3718 ウィルスの戦略

ウィルスが、「微生物」であるのか、あるいは通常の細胞に様に細胞内器官を持たず核だけしかない「非生物」であるかについては議論のあるところではありますが、いずれにしても生物の歴史程度には長く存続している存在なのでしょう。彼らが増殖するには、他の生物に取り付き、その細胞を宿主として核分裂を行って増えていくという特徴を持っています。しかし、彼らが宿主である動物(など)にどの様に取り付き潜伏しているかについては、かなりの部分が謎となっている様です。何故、宿主である動物、例えば渡り鳥や野生動物などを病気にすることなしに潜伏が可能なのか、その宿主を出て他の野生動物に取り付き、更にそれを私たち人間に感染させるためには、ウィルスにどの様な変異が必要であるのか、以前謎の部分が残っているのです。
いずれにしても、ウィルスや病原菌を「異物」として認識し、それを排除しようとする「免疫システム」を掻い潜る様に、ウィルスは自らの表面状態をまるで忍者の様に変幻自在に変える能力があることは間違いないでしょう。だからこそ、インフルエンザウィルスにも「型」があり、同様にコロナウイルスにも型があるのでしょう。その型が、これまで人類が遭遇した型と同じものであれば、私たち自身の免疫やあるいは既存のワクチンが効奏するのでしょうが、いかんせん敵はその上を行っているので、私たちは何年かに一度は未知の新型ウィルスに遭遇する羽目に陥る訳です。
もし、新型ウィルスに都度対応し、検査キットやワクチンを開発し続けるしてもそれはまさにイタチごっこであり、キリが無いとも言えそうです。
そうではなくて、重篤になる肺炎などの症状を抑え、少なくとも亡くなる人が殆ど出ない様にする有効な対症療法を確立しさえおけば、新型のウィルスにもそんなに慌てる事はない筈です。今の国内外のドタバタを見るにつけ、ウィルスの戦略に翻弄され続ける私たち人類の「弱点」を見る思いです。つまり、私たちヒトは、ウィルスや病原菌の罹患によってDNAに変化を起こし、結果として進化によってヒトになり得たとも言えるからです。進化の立役者でもあるウィルスとは、正面切って戦うのではなく、攻撃をどうにか受け流しての「共存」を考えなくてはならないのかも知れません。

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