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2020年3月 5日 (木)

3720  読書

最近殆ど本を読んでいないと反省しています。そう思って部屋を見回すと、買ったきりでまだ読んでいない本が数冊出てきました。その中から、数学者でもあるM田真生のエッセイ集「数学の贈り物」を手に取り一気に読んでしまいました。著者である30代半ばの若い数学者は、ある時期以降「フリーの研究者」としての道を歩み始め、著作や対談や短文の寄稿と講演などを行いながら暮らし始めた様なのです。親の仕事で幼年期の殆ど米国で過ごし、帰国後改めて日本語や日本文化を学び直したほぼ完全なバイリンガルとして、そして何より論理だけで成り立つ数学の研究者としての立場から、日本と言う国の文化や海外文化との比較が、組織からは完全にフリーな立場から展開されるエッセイは読んでいてやや不思議な感じすら起こさせるのです。
その中で、面白いと思ったのは、氏は「数学は分からなくなってからが面白い」という主張です。多くの人は分数の加減乗除やマイナスの概念があやふやになった辺り、あるいはそこを通過した人たちも微積分や三角関数が持ち込まれた辺りから数学が「嫌い」になって、自分は「文系頭だ」などと言い張り始める様です。しかし、それは数学を頭から「憶え込もう」と足掻くからであって、その意味するところを「理解」しようとすれば、むしろ楽しくさえなっていくと、氏は強調するのです。そう考えた氏は、自分で数学塾を開き、子供たちに数学の面白さを気づかせている様なのです。
「フリーの研究者」ですから、氏は誰からも、何を研究するとも義務付けられてはいないので、研究や評論の視点は全く自由です。エッセイの話題は、洋の東西の古典から、新旧の哲学、最新の技術や経済の分析まで、時間軸も遠い過去から未来まで実に広いのです。まさに神羅万象です。投稿者も、時間がある時はほぼ毎日ブログを更新しながら、環境を軸にあれこれ考え、書いてはいるのですが、自分の頭の中だけの記憶や知識では不正確であり、思索のレベルも浅くなりがちだとはかねてより気づいてはいました。やはり、人間は読書を続け、あるいは他の人との対話の中から「刺激」を受け、新たな視野を広げるものの様です。それにしても、布団に入っての読書は10分も続かず、ストンと寝入ってしまうのは困ったものです。

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