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2020年4月23日 (木)

3749  都市山小屋論

振り返って自分のブログの原稿を眺めると、2006年には「○○論」とか「○○の法則」といったタイトルで、環境問題に関してかなりの数のブログを書いていた様です。その中で、我ながら「都市山小屋論」は今読んでもそれなりに(客観的にも)正しかった様に思われます。
それは、現代社会構造、取り分け都市に種々の機能が集積してしまった状況を「山小屋」に例えてみたものでした。投稿者は山好きですので、国内だけですが多くの山々に登ってきました。殆どの名が知れた山の山頂付近には山小屋が建てられていますが、その山小屋を運営するためには、ほぼ全ての資材や食料を麓から運び上げねばなりません。その方法としては、強力と呼ばれる人たちが人力で運び上げるか、多くの場合はヘリコプターやブルドーザの様な文明の利器を使う場合もあるでしょう。いずれにしても標高が高い場所に建てられた小屋では、飲み水の類までも運び上げ、不要になった容器やごみやし尿の類まで、麓に降ろさなければならないのです。
一方で、都市も山小屋と事情が何ら異なる訳ではありません。アスファルトとコンクリートに覆われた都市では、都市を動かすのに必要な物資、食料や燃料、電力、ガス、水道水に至るまで、海外や周辺地域から運び込まなければ、1日として社会生活が続かないでしょう。その意味で、都市と山小屋の相似性は明らかなのです。国内でも、道県レベルでは、食料やエネルギー自給率が100%を大きく超えている地域も多い事でしょう。例えば、東北の多くの県では食料自給率が200%を大きく超えていますし、福島県では、只見川水系の水力発電だけで県内の電力需要が賄えているにも関わらず、沿岸に首都圏向けに原子力発電所を設置され、あの原発事故に見舞われたのでした。それは、都市という山小屋生活を支えるために田舎が払った(払わされた)犠牲だったとも言えるでしょう。
山小屋が狭くとも便利で快適で済み易いという向きには反対はしませんが、標高の高い場所の山小屋の周りには草木すら無く、岩だらけの場所も多いのです。しかし、人本来の快適でココロ安らかな生活の場所は、緑深い麓や里のこそあると思うのです。若い時期に都市という山小屋に住むのは仕方がないのでしょうが、歳をとって(老齢者になって)までも住み続ける場所ではないと、(田舎にUターンした)投稿者は思うのです。そして、この都市山小屋論を再び書いているという訳なのです。

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