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2020年4月22日 (水)

3748  旅客機論

14年ほど前になりますが、3747と同じタイトルである「祭りの後論」を書いた前後に、この旅客機論を書いていたことを思い出しましたので再度同じタイトルで考えてみます。これは、私たちが今住んでいる社会を「飛行中の旅客機」に例えたものです。旅客機は、それ自体ほぼ完ぺきに数時間の生活をサポートするミニ社会でもあります。つまりは、かなり或いはそれなりに快適な衣食住が確保されている訳です。しかし考えてみれば、旅客機は積み込まれた燃料や食料・水の量を超えて飛び続けることなどできない相談でしょう。燃料が切れる前にどこかの空港に着陸しなければなりませんし、もし食べ物や飲み物が無くなったら客からブーイングが出る事でしょう。
しかし、私たちが暮らす地球上では、燃料(化石燃料)の限界が指摘され続けているにも関わらず、旅客機のスピード(=経済規模)をさらに上げて、景気を持ち上げようとする政府が多いのは事実でしょう。どの政府も、多分そのリーダーがその椅子に座り続けるのは、歴史の中の数年間だけなので、取りあえずは旅客機の窓から見る景色が普通に流れている限りにおいては、パイロットに加速を指示しても不安は持たないでしょう。しかし、旅客機の残り燃料(石油の埋蔵量)は有限であり、つまりは残りの航続距離も有限なのです。
私たちには大きくは二つの選択肢が残されていると言えるでしょう。その一、現状の速度を維持するかさらに加速して燃料が切れるまで飛び続けるか、その二、速度を落としてできる限り近くの空港にどうにか着陸する準備を始める、という二つです。前者の選択肢を選ぶ場合、残念ながら燃料切れが近づくと、速度と高度は急速に落ち、最悪の場合は地上にハードランディングすることにもなるでしょう。多くの犠牲者を覚悟しなければなりません。しかし、後者の場合には、どうにか乗客の命だけは助かるでしょうが、乗客のQOL(生活の質)は大きく低下させざるを得ません。地球上には、石油などの資源も食料も有限量しか残されていないからです。
一方で後者の選択肢では、着陸した場所(自分たちが住む地域や国)の周囲で、農業を行って食料を得て、林業などでバイオマス燃料を得て、太陽光や風力発電などでエネルギーを得るという質素でささやかな生活であれば、生き残った乗客の生活を支える事は十分可能でしょう。モノや食料が潤沢で快適な生活を送り続けて破局的な未来を迎えるか、あるいは速やかに質素な生活を志向しながら、農林業と再生可能型エネルギーを拡大する着陸態勢に入るか早急に選択をしなければならない時代に入っているのです。今回のコロナショックが、もしかすると後者の選択(軟着陸のシナリオ)の引き金になるかも知れないという予感はあります。

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