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2020年5月14日 (木)

3760 近自然学の立場

余りメジャーではありませんが、近自然学の立場は、投稿者の考えに非常に近いため、注目してきました。その考え方は、天然自然と人間の活動に境界を想定し、特に人間の活動に近い自然を「近自然」と呼び、それを自然との折り合いがつくレベルで利用しようとするもので、基本的にはその使用で環境への相当の負荷を与えるハイテクを否定し、ローテクを基本に据えようとするものです。例えば、その製造に相当の資源やエネルギーを消費する太陽光発電は否定しますが、一方で太陽熱の利用は奨励します。里山や森林の材としての持続的利用は歓迎しますが、バイオマスを直接的に燃焼させて行う大規模なバイオマス発電は否定するのです。
つまり、あくまで自然を持続的な形で利用するとは否定はしないのですが、自然を何か一つの「資源」であるかの様に扱い、自然から「収奪」することは許さないという立場なのです。その意味で都市は、人間が一度全ての自然を完全に破壊してから、改めてコンクリートや鉄や、アスファルトで、街や商工業地域を建設し、オマケとしてささやかな自然っぽい公園や緑地などを「建設」した場所ということになるのでしょう。
田舎では、水田などの農業は、稲作が始まって以降数千年も続いている地域もあるのでしょうから、近自然的な営みであると言えるのでしょうが、近自然学からは、諸外国で行われている様な、地下深くの化石水や河川水を過剰に使った灌漑農業は否定されるべきでしょう。何故なら、これらの「反近自然的」な農業は、数年乃至は数十年内に、水資源の枯渇によって息詰まることが明らかだからです。自然から補給される量以上の水使用は、自然からの水資源の収奪に他ならないのです。
近自然学も投稿者の立場も同じですが、私たちは、自然と人間社会の間の距離を縮め、必要最小限のレベルかつ「持続可能な形で自然を利用させて貰う」以外にないと思うのです。当然のことながら、わたしたちのご先祖はその様に暮らして来た筈ですが、戦後取り分け高度成長期以降の人間の驕りは、どうやら限度をかなり越えているというしかなさそうです。

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