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2020年6月11日 (木)

3773 コロナ後

今度の新型のコロナウィルスは、感染力や毒性の強さ(=重症化率や致死率の高さ)において、SARAやMERSを上回り、社会取り分け経済活動に多大なインパクトを与えました。過去を眺めてもスペイン風邪ほどではないにせよ、香港風邪とは並ぶほどのインパクトの大きさだと言えそうです。古くは、インフルエンザの流行に関しては、自然免疫=集団免疫任せでしたが、近年ののインフルエンザの大流行に関しては、ある程度「型」を予想した上でワクチン接種や対症薬の投与で何とか乗り切って来たのでしょうが、今度の新型ウィルスや今後現れるであろう「新新型」ウィルスへは、また新たな対処方法を編み出さなければならないでしょう。
しかし、いずれにしても今度のコロナ禍は、これまでの(20世紀型の)社会の仕組みに大きな警鐘を与えたことは間違いないでしょう。それは、大規模システムとその集約化への警鐘です。大規模化して集中化を図れば、物事の効率は高まり、経済活動の規模も拡大し、より大きなお金が動く(経済が拡大し景気が良くなる)という20世紀の神話に基づいています。しかし、それは新型コロナウィルスの「思う壺」だとも言えるでしょう。ウィルス達は、渡り鳥、豚(または野生動物)、ヒトの間で感染を繰り返し、その感染に伴う変異を利用して牙(毒性)を磨いてきました。とは言いながら、ウィルス達は宿主を皆殺しにはしないでしょう。それは、ウィルス自身の消滅に繋がるからです。宿主は、生かさず、殺さずという戦略です。
いずれにしても、コロナ後の社会の在り方については、ここで立ち止まって冷静に考えてみるべきであることは明確です。Withコロナ下で、とても社会が20世紀型の価値観を維持できるとは思えないからです。ならばどうすべきかですが、結論は自明でしょう。20世紀型=大規模型=都市型社会を少し前に引き戻す事です。少し前とは具体的には、高度成長期の「ある時期以前」と言っておきましょう。勿論、高度成長期以前、つまりは戦後の荒廃期に戻ることはできませんが、例えば1970年代の中盤、具体的にはこの国のエネルギー消費量が現在の約半分であった時期はポイントとして頭に置くべきでしょう。描くべき未来の姿を、過去と重ねるのには異論もあるでしょうが、闇雲に前に進むことは、結果としてカオスや破局を意味することも多いのです。長期レンジであるべき社会の青写真を描き、しっかりとしたマイルストーン(道標)を置いて考えるべき時期ではあります。

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