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2020年6月12日 (金)

3774  コロナ後2(経済から人へ)

今の野党が与党であった時期に「コンクリートから人へ」といったキャッチフレーズが持て囃されました。その類型で言えば、コロナ後は「経済から人へ」となるべきだと投稿者は思っています。そもそも、経済とは人間社会が上手く機能するための手段として、発展した来たはずですが、近年はその規模が、もはや人知の及ぶ範囲を超えて膨張してしまった様な感があります。極端に喩えるならば、巨大な生き物(或いはモンスター)に成長してしまった様でもあります。
勿論、その経済モンスターも膨らみ過ぎて自ら破裂する場合(いわゆるバブルの崩壊です)もあるのですが、それが喉元を過ぎるとまた新たなバブルが膨らんでくるのが常でした。かなり前では石油バブル、造船バブルもありましたが、近年は不動産バブル、株・債券バブル、ITバブルなどと手を変え品を変えてバブルは繰り返すのです。計画経済ではない、自由主義経済下では、誰かが小さなバブルを仕掛けてたんまり儲けても、ルールを守っている限りにおいては違法ではありません。柳の下の2匹目3匹目のドジョウを狙って、別の誰かが同様のビジネスで後を追い、次第に世の中全体がお祭りムードとなって浮かれ出して、やがて大きなバブルを巻き起こすのでしょう。
しかし、私たちはここで「経済活動は手段であって目的ではない」という事実を確認しなければならないと思うのです。経済活動を通じて財を成し、それなりの財産を持つことが、現代の成功者であるとの20世紀型の価値観は、今世紀に入ってかなりの時間経過した現在でも殆ど変わってはいないのです。20世紀を通じて、経済といる手段が「完全に目的化」してしまったと見るしかありませんが、その価値観に私たちはまだしがみついているのです。言わずもがなですが、社会の主人公は、経済(お金)ではなく人でしょう。お金が余り無くとも、人は人らしく生きる事は十分可能でしょう。但し、それは完全に経済化した都市空間では実現は出来ない相談です。それは、地方(田舎)でしか実現できないのです。それは、経済がまだ手段っぽく残っている地域でしか考えられない価値観だからです。ここで提案する「経済から人へ」は、別の言葉に代えて、例えば「都市から地方へ」、と言ってしまっても殆ど意味は変わりません。

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