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2020年7月30日 (木)

3799 堤防の高さ基準で

隣県の水害の様子を見るにつけ、改めてこの国は水害(災害)列島なのだと深く認識しました。隣県ではほぼ全てが最上川の流域になりますし、川の全長が長いので、降雨と水害発生に時間差が生ずるのが今回でも河川水害の特徴だと思いました。水害で、何時も感ずる違和感は、堤防が越水を始めると、それが直ちに住宅地の浸水に繋がり、被害が大きく広がってしまうと言う事実です。つまり、人々は平時の河川の水面を基準として、そこから何メートル増水したかを確認する訳ですが、多くの場所では人々は堤防の上面より低い地面に、住宅や工場などの社会インフラを構築している筈なのです。
これでは、堤防から水が溢れた直後から、浸水被害が生ずるのは仕方がないと言うしかないでしょう。極めつけは、各地のゼロメートル地帯や干拓地やいわゆる天井川となっている輪中地帯に住んでいる人たちは、日頃から水害に敏感でなければならないでしょう。実際、輪中地帯の伝統的な住宅では、敷地の中に堤防の上面に相当する高さに石垣を築き、そこに「舟屋」と呼ばれる避難小屋を建て、丁寧にも軒先に小舟を吊り下げて、何年か何十年かに一度の水害に備えているのです。勿論、舟屋の中には日持ちのする保存食や水も備蓄してあることは言うまでもありません。
堤防は、多分30年に一度程度の水害を想定して補強されて来た筈です。一方、最近の水害は100年に一度級のものも散見されているのです。また、国交省が管轄する大河川や本流ではなく、補強が追いつていない中小河川や支流で発生する水害が多発していることを考えてみなければならないでしょう。私たちは、ハザードマップの浸水域を眺めて豪雨の度にクヨクヨ心配するより、ぜひ堤防の上面より標高が高く、土石流や浸水予想域の外に家や工場を建てて、安心して暮らしたいものです。勿論、水田などの農地は全体を嵩上げする訳にもいかないのでこの限りではありませんが。投稿者も、今の住居を建てる際には、比較的川に近いことを考えて、堤防よりは高い土地を求めましたので、一応水害に関してはリスクは最初から低いとは思っています。

 

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2020年7月28日 (火)

3798 ミニ線状降水帯

3797でウワサ(投稿)をしてすぐですが、昨晩この地域が線状降水帯に襲われました。1時間に100㎜にも上る豪雨だった様です。恐怖に襲われる様な大きな雨音に、通常夜間に目を覚ます事の殆ど無い投稿者も、起きて外の様子を見てしまいました。幸い、豪雨は1時間ほどしか続かず、トータルの降水量は7月の1か月分程度だった様で、県内では中小の河川が越水を起こした場所があったものの、被害は限定的で済んだ様です。
まさに、昨日の投稿の様に、この国では何時、何処で豪雨災害が起こっても不思議はない事が証明された様な気がします。スマホで雨雲の様態を確認すると、幸いにもこの線状降水帯は、幅が狭く、長さも短い様だったので、少し安心して再度寝入りました。とは言いながら、予報の画面でかなり大きな雲の塊が示されていて、少し南の隣県に掛かる様だったので気になりました。就寝する直前の天気予報では、こんな豪雨は予報されていなかったので、この様な線状降水帯は、短時間の間に発達し、迫ってくるものの様で、油断が出来ません。
気象がこの様に激烈になってしまったこの時代、私たちに出来そうな事は、線状降水帯の発生と動きを検知して、一刻も早く警報を出す事なのでしょうが、では真夜中にその警報をどの様に受け取り、どの様な(避難)行動に移すかを考えた時、やはりそれは決定的な対策にはなりそうもない、とも思います。前兆も殆ど無いまま、突然発生する豪雨水害については、その対策について引き続き考えてみる事にします。

 

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2020年7月27日 (月)

3797 ゲリラ豪雨

昨晩は、時間は短かったもののビックリすほどの豪雨でした。この時期、梅雨前線はたっぷりの水蒸気を蓄えて横たわっていますが、前線に近い場所で異なる方向からの風の流れがぶつかるところでは、集中的な降雨が起こります。同じ場所に雨雲が連続的に発生する場合は、線状降水帯などとも呼ばれますが、いずれにしても大気中に水分(水蒸気)が十分に蓄えられており、それが飽和水蒸気量に達しているか、それに近いにも拘らず水として凝縮していない状態、つまりは「過飽和水蒸気」の状態になっている場合、何かのきっかけで一度凝縮が始まると、連鎖的に凝縮して大粒の雨粒になって豪雨をもたらすと考えられます。
結局、温暖化によって南の海水温が上昇し、前線に送る水蒸気量が増えている事が、梅雨時期に集中豪雨が頻発する根本原因になっているのでしょう。従って、ゲリラ豪雨は前線の位置によって、全国何処にでも起こり得る時代になったと考えるべきです。しかも、線状降水帯による攻撃を受けた地域では、狭いエリアに豪雨が長時間続く結果、中小河川が短時間で氾濫を起こす災害にもつながるのです。勿論、沢や河川が許容できる流量の限界を一気に超えた場合、土砂災害も頻発する事になります。
豪雨災害で悲惨なのは、沢や中小河川の下流に建てられた家々が、土石流に巻き込まれて崩壊する災害の頻発です。現場を上空から撮影した写真を見ると、間違いなくそこは氾濫原であるが素人にも分かります。何故少しでも、氾濫原から外れた場所に家を建てなかったのかと悔やまれます。100年に一度と言われる水害が頻発するこの時代、改めてその地域の水害の歴史を100年くらいまで遡って、ハザードマップを作り直すべきだとは思います。

 

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2020年7月26日 (日)

3796 沖積平野の宿命

太古の昔から川が土砂を運び続け、それで出来上がっている平野を沖積平野と呼びますが、砂漠の無いこの国では、その意味では平野と呼ばれる地域のほぼ全てが沖積平野でしょう。山がちのこの国では、急峻な山を流れる急流が岩を削り、粗い土砂を運んで作るのが扇状地ですが、もっと細かい砂や粘土はさらに下流まで運ばれて、川の流速の低下度合いに応じて、沈殿し「河床を高く」していきます。しかし、それは同時に流域に過剰な降雨があった際に、川の氾濫が起こり易くなることも意味します。かつては、河床を下げる意味もあって川の土砂を浚渫することも盛んに行われていたのですが、砂利需要の低迷もあって今は殆ど見られなくなった様です。それに代わって行われたのが堤防を高くする工事です。それをある時期から「国土強靭化」などと呼びならしている様ですが、今回球磨川流域で起こった様に、堤防を数メートルも越水する様な洪水に堤防は無力です。
それどころか、堤防を高くするにつれて、人々がかつて氾濫を繰り返した危ない場所(氾濫原)に好んで家を建てる様になってしまい、それが近年の大規模な水害を招いてしまっている点は忘れてはならないでしょう。平らな土地は、道路や建物を作って街も広げ易いのですが、水害の頻度が高まってから慌ててハザードマップを作っても、人々の「正常性バイアス」は如何ともしがたく、また時間や予算の都合上、都市計画の急激な変更も出来ないこともあって、毎年の様に大規模な水害発生を防止できないで来たのです。
異常気象が日常化してしまった今、百年に一度の豪雨が、どの地域を襲っても不思議はない時代に入ったと考えるべきでしょう。であるならば、堤防の上面より低い土地に住居を構えている人たちは、改めて自身の家の安全性を見直してみるべきでしょう。問題は、地方より大都会でしょう。河口近くのゼロメートル地帯にどれだけの人々が群れて住んでいるかを考えた時、殆ど絶望的になります。もし、このまま彼らが住み続けるのであれば、低層の戸建て住宅をを諦めて、高僧集合住宅に建て替えなければ、近い将来大量の水害難民を生み出す結果を招く筈です。近年、台風や豪雨による水害は毎年の様にこの国を襲っていますが、その地域が異なっているため、一地域で見れば、やはり災害は忘れた頃に襲ってくることになりますが、もし線状降水帯がほんの数十キロずれていれば、我が事になっていたことを忘れるべきではないでしょう。対策は、平常時にこそ打つべきなのです。水害が作った沖積平野に密集して住む私たちは、その宿命から絶対に逃れる事は出来ないのですから。

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2020年7月22日 (水)

3795 大河の一滴2

水は、雲・雨・川・海・雲と循環し、生きとし生きるものの全てを潤しますが、一方でその偏在は酷い災害も引き起こします。殆ど水循環の恩恵が受けられない地域では、干ばつ被害が起こるでしょうし、逆に降雨の程度が過ぎると、水害が起こってしまいます。最近は、そのメカニズムには諸説ありますが、統計上は数十年に一度と言われた災害が、毎年の様に起こっている事はやはり注目するしかありません。気候や気象の変動を時系列に並べてカーブで表すなら、多分山谷のある曲線になるのでしょうが、例えば大気中の二酸化炭素濃度の様に、季節変動の細かいカーブが全体としてみれば急激な右肩上がりのカーブを描いている様な例は、やはり危険な兆候と見るべきでしょう。つまり現象にブレーキ作用が効いていない様に見えるのです。
ブレーキが効かない現象を、「暴走」とか「発散」などと呼びますが、二酸化炭素濃度とそれを引き金とすると思われる温暖化傾向は、もはや気象の暴走と呼ぶしかないでしょう。さて、今問題となっている各地の水害です。数十年に一度と言われる豪雨が、地域を限定せずに、突然発生する訳ですから、それまでの経験に基づく治水対策などは、簡単に打ち破られることになります。堤防で言えば、決壊や越水が頻繁に起こってしまう訳です。道路や橋もいとも簡単に流出し、わずかな平地に身を寄せる様に広がっている住宅地も2階が浸水するほどの水害に見舞われる訳です。
記憶にある限り、数十年前までは、1時間当たりの降雨が100㎜を超えるような事は、大型の雨台風でも来ない限りあり得ない事態でした。しかし、今はそれが日常茶飯事になりつあります。台風による豪雨は、続いても数時間程度ですが、近年の豪雨災害は、いわゆる線状降水帯により豪雨状態が半日~1日と長引く傾向にある様なのです。降雨に関する限り、私たちは大河の一滴などと悠長に構えては居られない時代になったというしかありません。今や、豪雨は頻発し、川は氾濫し、堤防は決壊、あるいは容易に越水すると言う前提に立って、地域を設計し直し、住む場所を考え直さなければならない時代になってしまったのです。便利で住みやすいと言う理由だけで低い土地に住み、「想定外の」水害に見舞われて途方に暮れ、水害ごみや床下の泥出しを繰り返す事にピリオドを打たなければならないでしょう。

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2020年7月21日 (火)

3794 大河の一滴

I木寛之の「大河の一滴」を読んでいます。思春期の命からがらの終戦、引き上げを経験した昭和一桁生まれの著者の、永く生きてきて諦観したような、しかし戦中・戦後の混乱を生きのびた者としての責任感と言うか生き恥に苛まれてきた著者の苦悩も感じられる内容でした。いずれにしても、氏の長く変化に富んだ人生経験と、抜群の記憶力と、人間観察力には驚嘆するしかありませんが、取り分投稿者の様な凡人と異なるのはその記憶力でしょうか。彼が読んだ書物のエッセンスは勿論、数多く重ねた対談相手のコメントなどを細かに記憶する能力は、やはり驚くべきものだと思います。
さて、大河の一滴ですが、この著作の中で、自身の事を繰り返し大河の一滴に過ぎず、その一滴はやがて海に出て、太陽光に照らされて蒸発し、雲となって再び地上に降り注ぎ、また小川から大河に流れ込むと流転を、いわゆる輪廻転生に重ねているのです。そう考える方が、頭でっかちになり過ぎて、自分の人生についてクヨクヨ悩むより、よほど精神衛生には有益でしょう。つまり、どうせ、自分はちっぽけな存在なのだから、その人生で起こる出来事もちっぽうけなものに違いない、といった割り切り方だとも言えます。
大河の中の一滴が、たとえ急流に巻き込まれようが、魚に飲みこまれようが、巨大な滝壺に落下しようが、所詮たった一滴の水の身の上に起こった、ささやかな出来事だと考えれば、確かに気は楽になりそうです。それに気が付いたのは、勿論著者だけではなかったでしょう。方丈記でも、見事に人の人生を流れに浮かぶ泡沫に例えているではありませんか。泡の様に偶然にこの世の中に生を受けて、最後は泡がパチンと消える様に人生を終えると例えるのも、I木の様に人を大河の一滴に例えるのも、全く同様の見方でしょう。さて、ここにも居る大河の一滴は、今日は何をして過ごしましょうか。たった水滴一滴にできる事など本当に限られてはいますが。一滴が出来る範囲内でチョッピリでも人の役に立つことをしたいものです。

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2020年7月20日 (月)

3793 コロナ疲れ

昨晩のニュース番組に、あまりテレビに露出していなさそうな医療の専門家が出演していて、「新型コロナは比較的マイルドなウィルスだ」と断定していました。確かに、感染し易さ(感染力)と言う面では強めではありますが、一方で重症化する人は2%ほどで、その人たちは基本的な免疫力が弱いか、あるいは高齢だとか基礎疾患があるとかで、元々ウィルス一般に弱みをもっていた人達であるとも言えそうです。そういわれてみれば、普通の風邪やインフルエンザで、例えば肺炎を併発して亡くなってしまう人たちは、想像ですが今回COVID-19で亡くなった人の人数とあまり変わらないでしょう。むしろ前者の方が多いかも知れません。最初にニュースを賑わした、クルーズ船の集団感染にしても、重症化した乗客の多くは裕福な高齢者であったことを思い出します。
そうであれば、私たちはコロナ包囲網を少しは緩める事が出来そうだと言えます。つまり、重症化に対する対策さえしっかり打っておけば、98%に当たる一般の人たちの「自粛度」は下げても構わない筈なのです。確かに、新しい生活様式は。感染症一般に対しては安全サイドの行動であることは間違いありませんが、それを忠実に守るには、かなりの息苦しさを感じてしまいます。これを守って暮らすのは、正直疲れてしまうのです。
正しく恐れると言うのは、初期段階では正しい行動でしょうが、新型ウィルスの正体が明らかになるにつれて、「少しずつ大胆」になることも大切でしょう。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではありませんが、新型コロナウィルスは、これまでのコロナウィルスよりやや感染力や毒性が強い程度の普通のコロナウィルスだと思い直せば、私たちの暮らしもかなり楽になるのではないでしょうか。いい加減コロナには疲れましたので、このブログでのコロナ関連の投稿も一区切りといたします。

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2020年7月19日 (日)

3792 COVID-19の致死率

3791で新型コロナの弱毒化について書きましたが、しかし発表されるデータを冷静に眺めてみると、この国の国内における陽性者数の致死率は、他国、例えばBラジルなどと比べても、有意な差は無いように見えます。いずれも4%を挟む数値で、1ポイントも違わないのです。勿論、彼の国は若者社会であり、この国は超高齢化社会であることを考えれば、少し前のニュースを賑わした、病院や高齢者施設でのクラスター感染も多くあり、両国に致死率にそれほどの差が無い事も頷けます。それでもなお、Bラジルではスラム地域での感染が主体であり、その地域では多分貧弱な医療体制であることを考え併せれば、彼の国の致死率は、(想定より)かなり低いとも言えそうなのです。
想定より低いという事は、彼の国の爆発的な感染の中で、COVID-19が確実に弱毒化しているとの証左とも考えられますが、逆に言えばこの国の致死率が、先進国としてはかなり高めであるとの見方もできる訳です。それも、これも受け身と言うしかない行政の対応姿勢によるところが大なのですが、つまりは患者受け入れ側の対応が出来ないとの理由だけで、PCR検査数を抑制した、初期対応の拙さに象徴されるでしょう。つまり、PCR検査の入り口で数を絞れば、見かけの感染者数は少なめに出る筈で、いわば時間稼ぎ作戦であった訳です。これが、誰の知恵であったかどうかは今となってはどうでも良いと言うしかありませんが、「臭いものには蓋をする」と言うこの国の行政マンの考えそうなシナリオではあります。
さて、そうではあっても最近は、COVID-19による死亡者数のカウントの増え方が、めっきり遅くなっています。これは、感染者の中心が若者になったこともありますが、やはりウィルスの弱毒化が大きく関係しているのは間違いなさそうです。それにしても、某有名コメディアンのCOVID-19死などが報道されていた時期にあれほど注目され、待望された既存薬の治療効果に関してのニュースがめっきり減ったのは、新型コロナによる「熱さ」が喉元を過ぎつつあるからなのでしょうか。いずれにしても、COVID-19による致死率が下がったのは良い傾向である事は間違いありません。

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2020年7月18日 (土)

3791 コロナの弱毒化

3790でも言及した様に、医学的にも統計学的にも、強毒性の「株」は、死亡者と共に消えてしまう結果、感染を繰り返すたびにウィルスは弱毒化の変異を遂げます。ここ1週間のニュースは東京を中心とした感染の急拡大ですが、その一方でCOVID-19による死亡者数は6月に入るとめっきり少なくなっている事に気が付きます。つまり、今回の新型のコロナウィルスは、明らかに弱毒化してきている証左と言えそうです。
米国やブラジルやインドなどでの感染の急拡大は、このウィルスの感染力の強さを示すのでしょうが、不幸な事にこれらの国々で猛威を奮っているウィルスは、どうやら強毒性の」「株」の様で、致死率が高いまま推移してい様にも見えます。しかし、上に示した「原理」によれば、やがてこれらの「株」も弱毒化が進むと期待できるのです。
それにしても、風邪が万病のもとである様に、免疫力が弱い人たちや基礎疾患を持っている人たちは、勿論感染防止に最大限の努力を払うべきなのでしょうが、普通の人たちは間もなく普通の「風邪対策」だけで普通の暮らしができる日も近いと、期待を込めて思うのです。しかし、日々感染者に接し、治療に当たっている関係者は、そんな「安易な」予測になど容易にには賛同できないとも思います。何しろ彼らは患者の命を預かっていますから、どうしても安全サイドの対応をせざるを得ない立場だからです。
しかし、科学や医学は上記の様に明確にウィルスの弱毒化を示唆していますので、そのスピードが加速することを期待して、待ちたいものです。とは言え、逆のケースも考えられる訳で、手放しの期待も禁物かも知れません。つまり、突然の大変異によって、再度の強毒化の可能性です。そのメカニズムは、現実に今回の新型コロナ株を作り出し、COVID-19を世界中に蔓延させた訳で、新型が新々型に変異するか、あるいは全く別の新々型ウィルスが出現する可能性も否定できない訳です。どう考えても、ウィルスと人類の戦いは続くと見るしかありません。今後とも、Withコロナで進むしかなさそうです。

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2020年7月17日 (金)

3790 コロナの変異力

昨晩、ネットを通じて感染症の専門家の話を聴く機会がありました。その中で、講師は薄々は理解していましたが、ウィルスは、感染し増殖の過程で小さな変異を繰り返し、今この国や欧米で感染が拡大しているウィルスの型は。武漢で猛威を奮っていたウィルスの型とはかなり異なっていることを改めて指摘されていました。つまり欧米に広まったウィルスの型は、致死率が高いもので、その後アジアや日本に広まった際には、致死率は比較的に低いものに変異していた可能性があると言うのです。
確かに、致死率の高い型は、亡くなった人で感染はストップしてしまう訳で、広く感染してしまった型は、徐々に弱毒性に変異していたはずです。
その様にして、強毒性で致死率高かったウィルスは、徐々に弱毒性になり、やがては普通の風邪ウィルスになっていまうのでしょう。しかし、更に考えてみれば、その様にして弱毒化したウィルスも、自然界で水鳥や豚や野生動物の間で感染=変異を繰り返す中で、また突然強毒化の変異を起こし、COVID-XXとしてまたぞろ猛威を奮う可能性も十分高いのです。そのサイクルは、10年ほどとも言われていますので、2030年前後には次の「新々型コロナウィルス」などのニュースを聞くことになるのでしょうか。投稿者がその頃まで生きている保証もないのですが・・・。
いずれにしても、生物の歴史と同じくらいの長い歴史の中で、ウィルスが「生きのびて」来たのも、ひとえにこの忍者の様な変異力によるのでしょうから、例えば今度のウィルス検出用のPCRキットやワクチンの開発が行われたとしても、例えばその検出精度や抗体を作る能力などすぐに低下してしまうと想像できるのです。この稿で言いたかったのは、もしかすると私たちとしては、新型コロナウィルスは、既にバージョンアップを完了してしてしまっているのではないか、と言う疑いを持ちながら対峙しなければならないと言う点なのです。

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2020年7月16日 (木)

3789 コロナ下の価値観3

コロナ下で感じた価値観の変化をもう一つ挙げておきます。それは、コロナと言う人類共通の「敵」の出現によって、それまでの人間同士のいさかいが、やや影を潜めた感が出て来たという変化です。ある国で、コロナ感染が急激に広がり、亡くなる人の数も日々積み上がると言うニュースに接しても、多くの人々は自分たちの状況に引き寄せて考え、何らかの共感を持った筈なのです。つまり、人間対人間との対立に、第3の軸である感染症が加わった、3項関係が出来てしまったという事でしょう。3項それぞれの対立より、人類対コロナと言う対立軸が強いために、人間の間の対立が見かけ上弱まったというのがより現実に近いのかも知れません。
これは千載一遇のチャンスでもあるでしょう。いさかいを繰り返してきた集団同士が一時休戦をして、最終的には仲直りできるチャンスでもあるという事です。しかし、大きな海を隔てた隣人であるB国のリーダーは、コロナ禍さえも対立軸に祭り上げ、もう一つの大国との関係に火種を提供している様です。実情は、B国はそれを利用しようとしたコロナに逆に支配されて、苦しんでいる様に見えます。
やがて、有効なワクチンが開発されて、来年の今頃は新型コロナも、普通の流感の様な扱いになるのかも知れませんが、その時には人類は喉元の熱さを忘れ、また利害が対立する民族間でのいさかいを繰り返す、きな臭い世界に逆戻りするのでしょうか。どう考えても、人類というものは「経験に学ばない」しょうがない存在の様なのです。そうでなければ、何度も人口が大幅に減るほどの感染症や戦争を経験しておきながら、何度も同じ失敗を繰り返す状況が説明できないのです。今更指摘するのも気が進みませんが、それもこれもマツリゴトに関わる人たち(政治屋)のポピュリズム、それもたった今の支持率を重視するあまり、将来ビジョンなどと言うものを無視しがちな風潮が根本原因だと言うしかありません。一方で、マツリゴトを眺めている一般大衆の政治に対する無関心の度合いも年々強まっている様にも感ずるのです。その意味でもコロナ禍は、水面下に隠れていた様々なものを露出させてくれたような気がしています。

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2020年7月14日 (火)

3788 コロナ下の価値観2

コロナ下で価値観が変化したものを改めて考えてみると、2787で言及したもの以外に、都市と言う存在への見直しがあった様に思います。都市に住むことのメリットとしては、例えば、容易な職探し、教育機会の豊富さ、文化的な華やかさの享受、中央省庁や本社の集中による豊富な情報量、多彩な食や旬の製品や服飾が容易に入手できるなどなどが思い浮かびますが、しかしそのメリットの陰に隠れてしまっては居たものの、他方で様々なデメリットもあった筈です。
デメリットとしては、密で住むことによって、狭くてコストの嵩む住居費があるでしょう。かといって、郊外に住むと、密集の代表である通勤地獄が待っています。便利で何でも手に入る一方で生活コストは、取り分け食費などは割高になって居たはずです。かなりの数の人たちが、コロナ下で否応なしのリモートワークを余儀なくされ、結果的には「それなりの快適さ」も感じられたとも想像しています。取り分け、通勤に要する時間や体力の浪費が無い事は。最大のメリットだったでしょう。ではリモートワークのままで、地方に移住すると言う選択肢はどうかと問われれば、かなりの割合の人が、近い将来の選択肢として頭の中の可能性が大きくなった筈なのです。普通に考えれば、田舎でのリモートワークの方が断然QOLが高いのは自明でしょう。
問題は、これから職を求めようと考えている若者がどう行動するかでしょう。コロナ騒ぎが一段落して、新しい日常が、古い日常に逆戻りしてしまった場合には、喉元の熱さを忘れて、またぞろ人々が都市に群れて暮らすことを選択してしまうのでしょうか。コロナ(COVID-19)と言う伝染性の災害をただただやり過ごすことを考えるのではなく、一つのチャンスとして、私たちの(20世紀型の)価値観や生活スタイルを見直すための、絶好の転換点と考えたいものです。

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2020年7月13日 (月)

3787 コロナ下の価値観

今朝のラジオで心理学者が分析していたコロナ下の価値観の変化に聞き耳を立てました。彼によると、コロナ騒ぎで多くの人の時間の感覚がすっかり狂ってしまったとのこと。確かに、C国のB漢で最初の感染が報告され、それが野生動物起源で清潔でない市場から広まったらしいこと、その後大型クルーズ船が横浜に入港してコロナ感染者が見つかったというニュースなどが、何か数年前の遠い出来事の様な気がしています。その後、日々報告された感染者の数字や、世界中に広がるパンデミックになったこと、自粛要請、自粛解除などが前後の脈絡なく記憶されてしまっているのです。明らかに、コロナ下では多くのイベントが中止に追い込まれ、自粛生活を私たちの時間に「区切り」が無くなった結果、エピソード記憶の「時間の目盛り」が刻めなくなってしまったのがその原因だと思われます。
もう一つ彼が指摘していたのが、人間関係です。一つの社会システムでは、人は組織や学校などの決まりにより、強制的に会社や学校に通わざるを得ず、そこで好きな人とも、そうでない人とも顔を合わせざるを得なかったのです。それを、この心理学者は「対面の暴力」と呼んでいましたが、確かに会いたくない人と顔を合わせざるを得ない状況は、一面では強制力=暴力とも呼べるかも知れません。ましてや、人付き合いが苦手な人にとっては苦痛に感ずることも多かった筈です。しかし、コロナ下のリモートワークやオンライン授業では、随分快適な思いを経験した人たちも少なからず居たと想像しています。勿論、人と交わることが好きで得意な人はかなり寂しく感じたのでしょう。いずれにしても、コロナ騒ぎは人と人との関係(距離感や密接度)に関して、改めて考え直すきっかけにはなったと思われます。
問題は、今後です。有効なワクチンや治療薬が開発されて、もはやコロナがただの風邪になった暁に私たちに何が起こるかです。相変わらず、上記の視点を引きずるのか、あるいはまったくコロナ以前の「三密大好き社会」または「観光お祭り騒ぎ社会」に戻るのか、上記2点に興味を寄せながらしっかりウォッチしていくことにします。

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2020年7月11日 (土)

3786 水害考5

3785に書いた直後ですが、投稿者が住む東北の日本海側の地域にも、洪水警報が発令されるほどの降雨がありました。梅雨前線と低気圧の組み合わせで、集中豪雨となった様です。県内の他地域では、時々水害を起こす中小河川の流域では避難指示が出た地域も出たようです。この川は、流域面積の広い割には川幅が狭いので、中流域の堤防で時々越水するのです。九州や中部地域の水害を、遠い話の様にニュースで見ていたのですが、まさによそ事ではなかった訳です。
梅雨末期にまつわるKWとして、湿舌と言う気象用語があります。太平洋高気圧の縁を回る様にして、フィリピン沖辺りから北上してくる、暖かく非常に湿った空気の流れを指します。その気流が、梅雨前線に十分過ぎる量の水蒸気を補給する結果、集中豪雨を発生させるのです。これは、ほぼ毎年の事ではあるのですが、問題は太平洋高気圧とオホーツク高気圧とのバランスによって、この湿舌の攻撃を受ける地域が変わってくると言う点です。今年は、九州が集中攻撃を受けている様ですが、少し前には中国地方の雨無し県が集中攻撃を受けたこともあったのです。同様に、関東北部や東北地方の南部にその魔手が伸びたこともあったのです。
何度も書きますが、この国でこの魔手から逃れられる地域は、もはや存在しないと言うしかないのです。しかも、人工的な構造物で(つまりは堤防やダムなどですが)水害を100%防ぐことには無理があるのです。私たちは、集中豪雨下では、堤防は決壊や越水を起こすもので、ダムはイザと言う場合には、下流の状況に関わらず緊急放水をせざるを得ないという前提に立って、全ての行動を決める必要があると思うのです。つまり、アジアのモンスーン気候の影響を受ける北の端の列島に住み、しかもその列島には多くの急で短い川が存在し、気象=海洋の温暖化で、数十年に一度と考えられていた集中豪雨が、日常的に発生する時代に生きる私たちの宿命になってしまったからです。

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2020年7月10日 (金)

3785 水害考4

先に述べた様に、ある時期以降水害の原因は、大型台風からゲリラ豪雨、または線状降水帯によるものに変わって来たのでした。最近の水害を思い返しても、昨年は台風による水害がありましたが、ここ十年で考えるとほぼ8割方が線状降水帯に起因するものではないかと見ています。その多くが、国交省や自治体の想定を超える降水量で、河川の容量を超える水量によって、堤防が越水したり、決壊したりして広い範囲が水没するパターンに陥っています。
それに加えて、元々川底が高い地域では、河川の水量が増え、水面が高くなると地域に降った、降雨を河川側への排水が間に合わなくなって、結果的に河川からの越流が無いにも関わらず冠水してしまう、いわゆる内水氾濫で住居地域が水没してしまうパターンも目立ちます。最悪のパターンは、ポンプ場が比較的低地に設置されているため、ポンプ場そのものが水没してしまって、全く機能しないケースも散見されます。このパターンは、実は福島の原発事故でも経験済みのものだったのです。つまり、地下室に設置された原子炉の冷却ポンプが、水没によって全く機能しなかったあの事故です。少なくとも、排水ポンプの原動機(モーターやエンジン)や配電盤は、水害時の想定水面より十分高い場所に設置されていなくてならないでしょう。
この項のまとめとしては、私たちは既に「想定を超える降水量」を何度も経験してしまっているのですから、もはや堤防やましてやダムで水害が防止できるなとと言う「幻想」を捨て去らなければならない時代に入ったと知るべきでしょう。その上で、どうすれば人の命を守れるのか、真剣に考えなければならないのです。山間の集落は、簡単に孤立してしまうし、低地の住宅や川の合流地点は短時間で冠水してしまうとの前提で、今後の街づくりや自治体運営を考えて行かなくてはならないでしょう。何しろ、今後ともかつて経験したことが無いほどの降雨が、何度もしかもこの国の何処でも起こり得る時代になったからです。不幸にして、最近冠水した地域は、残念ながら今後も水害を受ける可能性が大ですし、そうでない地域も水害は、同じ程度の確率で起こると考えなければならない筈なのです。

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2020年7月 9日 (木)

3784 水害考3

水害のニュース映像を見ていて気が付いたことがあります。それは、氾濫した地点の共通点でです。多くの氾濫地点は、実は本流と支流の合流場所に集中している様なのです。これらのパターンは、本流の水位が高いために、支流からの流れが抜ける事が出来なくなって、結局支流が氾濫してしまうというものです。これをバックウォーター(逆流)とも呼んでいる様ですが、要するに支流が溢れてしまうと言う現象なのです。通常、本流は多額の予算をつぎ込んで、堤防の補強に余念がないのですが、支流は後回しにされがちです。
しかし、ニュース映像を良く見てみると、支流が交わっている地点の上流と下流で本流の幅は、殆ど変わっていない様なのです。本流の水量に支流の水量が加わる訳ですから、素直に考えれば合流地点から下流は、支流の水量分だけ川幅は広げなければならない筈なのです。しかし、多くの場合本流の両岸は堤防道路になっているか、主要な道路になって居たりするので、川幅の拡幅はなかなか難しい相談だとは思います。しかし、たとえそうではあっても合流地点から下流の拡幅が行われない限り、豪雨に伴う河川の氾濫災害の多くは防ぐことが出来ないと見ています。
拡幅の際に重要な事は、本流に水の流れを制御する「導流提」を付加して、支流からの流れを誘引する(引き出す)様に設計すべきだという点です。つまり、本流の流れが速くなるほど、支流の水をスムーズに引き出してやる様な設計を指します。実際、投稿者が住む地域でも、支流が良く越水を起こしていましたが、導流提は無いものの、川幅は合流地点から下流で拡幅されました。理想的に言えば、本流と支流は直角で交わるのでなく、支流が本流に対して角度をもって交わらせて欲しいのです。理想は、川同士の作る角度が30度より鋭角であれば、流れはスムーズに合流して、支流の水位上昇は防止できる筈なのです。合流地点には、多くの場合集落が出来ているかも知れませんが、度々の水害を受け入れるのか、あるいは住居移転を選ぶかと問われれば、多くの場合は後者を選ぶ筈です。長い距離の堤防を補強する工事費と、支流の付け替えと部分拡幅工事費を天秤にかければ、多くの場合後者に軍配が上がると見ています。

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2020年7月 8日 (水)

3783 水害考2

最近の水害の原因として頻繁に耳にするのは、「線状降水帯」でしょう。かつては、水害の原因はもっぱら台風だった様に思い返していますが、ある時期以降は「主役」が交替してしまった感があります。その背景としては、2つあると見ています。一つには、温暖化傾向の中で、日本の南部の海水温が、年々上昇傾向にある事は間違いないでしょう。もう一つは、逆説的ですが、投稿者は偏西風の弱体化にあるのではないかと見ています。偏西風は、極を中心として、地球の自転に伴って生ずるコリオリの力によって生ずる強い西風ですが、温暖化に伴って極地域の気温が上がり、極から吹き出す風も弱くなってしまった結果、偏西風(ジェット気流)のスピードが低下し、その緯度も上がってしまった様なのです。
ジェット気流は、気象の変化にも大きく関わっていて、例えば低気圧や高気圧が西から東に移動する際の主な原動力にもなっていいるのです。ジェット気流が高い山(例えばエベレスト)にぶつかると、下流に渦が出来て、それが低気圧や台風の卵になるのですが、それが弱いと必然的に渦も弱まるでしょう。しかし、一度渦が出来ると気温の高い南の海でたっぶりと水蒸気が供給され、台風として発達もするのですが、ジェット気流が弱いとそれに流されにくくなり、動きも複雑となる「迷走台風」になり易いのです。また、梅雨前線についても、梅雨の末期には十分に温度の高かまった海水面からたっぷりと水蒸気が供給されるため、いわゆる線状降水帯が出来易くなるというメカニズムが生まれたのでしょう。
いずれにしても、温暖化は減速は可能かも知れませんが、もはやストップは出来ないでしょう。であるならば、私たちは来るべき水害時代に備えなければならないでしょう。例えば、濁流が堤防を乗り越えた場合でも、命だけは守れる様に、より高い場所に家を構える必要がありますし、かといって土石流が心配される様な山際や崖下には住むべきではないでしょう。百年単位で見ても、水害に襲われていない地域を地域の「ハザードマップ」をしっかり眺めて見定める必要があります。不幸にして、危険地域に家を構えている人たちは、水害の発生を前提に、日頃から非難訓練を何度も繰り返しておくべきでしょう。

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2020年7月 7日 (火)

3782 緑のダム

今回の九州豪雨で、またぞろ「ダムを造っておけばこんなことには・・・」論が高まっている様です。問題の球磨川支流の「川辺川ダム」は、前の政権の際に仕分けの対象となり、地元の意向もダム反対が多かったこともあり計画自体が消滅することととなったのですが、その球磨川が今回複数のヵ所で氾濫してしまった訳です。しかし、川辺川ダムが実現していたとしても、今回の水害が防止できたかは甚だ疑問と言わざるを得ません。何故なら、川辺川は球磨川の一支流に過ぎず、流域面積で言えば人吉市のある大きな盆地のホンの2割程度を占めているに過ぎないのです。つまり、球磨川流域に降った雨の2割をダムが食い止めたとしても、合流地点の上流の水害を防ぐ事は無理ですし、結局ダムも満水になれば緊急放流する訳ですから、時間は稼げるにしても水害は防ぎきれないのです。
問題は、山の保水力だと思うのです。今回、九州の山を巡る中で気が付いたことがあります。それは、公有林(町有林や村有林など)が多い事とその内のかなりの部分が、多分戦後に植林された針葉樹であったという点です。勿論、宮崎県のえびの高原の様に自然林が多い場所もあるのですが、ある晩ここで一晩で400㎜程度の強い降雨に遭遇したのです。翌日、霧島山に登ったのですが、沢の水が増えているという印象は全くなく、水も濁っていなかったのです。これは、落ち葉が厚く積もった広葉樹雨林の林床の保水力と浄化力の賜物でしょう。一方、人工林の多い球磨川流域は、日本でも指折りの急流であることもあって、集中豪雨後アッと言う間に川が氾濫してしまったと見ています。
林業の衰退は、保水力の弱い針葉樹林の放置を招きました。理想を描くなら、林業を復活させ樹齢の高い木は伐採して材木やバイオマスとして積極的に利用すべきなのです。その上で、日が差す様になった林床には、昔からあった広葉樹を植えて「混交林」として維持すべきだと思うのです。自然林であった広葉樹林は基本的には手入れは不要です。薪などとして利用しても、実生再生や萌芽再生で速やかに復活するからです。つまり、急峻な山からの水害を防止する緑のダムは、針葉樹林などではなく、絶対に昔からその地域に自生していた樹種による広葉樹林であるべきなのです。

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2020年7月 6日 (月)

3781  水害考

つい先日山を巡ったばかりの、九州(南部)が激甚な水害に襲われています。水害の度に湧き上がるのが、ダムによる治水論です。K磨川は、日本でも有数の急流としても知られていますが、水害に度々襲われる地域に共通するのは、川の最大流量に比して、流域面積が広いと言う特徴を持っている事だと見ています。例えば、先の阿武隈川の水害や度々水害を引き起こしている鬼怒川などが思い浮かびますが、鬼怒川上流には先の政権で白紙撤回されましたが、その後計画が続行され完成した八ッ場ダムがあり、完成後の鬼怒川流域の集中豪雨では殆ど災害が起こらなかったことから「ダム治水の勝利」とマスコミで持て囃されました。しかし、注意を要するのは現地で高さ100mもある八ッ場ダムをこの目で見て感じた事は、貯水量が少なそうという感想でした。八ッ場ダムの周辺は、谷は深いものの、川幅が狭く、面積X高さで考えても貯水量は限定的なのです。
先の鬼怒川豪雨でラッキーだったのは、ダムが完成直後であり、試験貯水の初期段階で、ダムが殆ど空だったという点です。もし、満水状態だったと仮定すれば、集中豪雨に合わせて慌てて放流しても、結局は間に合わず、実際の豪雨時点ではダムを守るための緊急放流を実行せざるを得なかった筈です。もし、球磨川の一支流の川辺川にダムが完成していたと仮定しても、今回の水害が防げたかは甚だ疑問なのです。
さて今回の球磨川や西日本豪雨や阿武隈川の水害です。確かに、水害列島であるこの国では、毎年予算を組んで、各地の大小の河川の堤防を補強してきたのは事実です。しかし、根本的な問題として、私たちは自然のままの河川で言えば「氾濫原」に家を建てて住んでいるという点を忘れてはならないでしょう。いくら堤防を高くして厚くし、それなりのダムを築いたとしても、結果として超えるを超えるほどの水量をもたらす集中豪雨に対しては、全く無力です。水害から命を守るためには、豪雨の度にハザードマップを頼りに安全な場所に避難するしか方法は無いのです。ハザードマップの危険地域の古い住宅に関しては、予めスクラップ&ビルドで、安全な高台への移住も進めるべきでしょう。人的被害で問題になるのは、寝たきりで動けない独居世帯や病院や高齢者の避難でしょう。仕方がないので、それらの人達に関しては、緊急避難の必要が無いように、予め2階以上の高い部屋に入ってもらうしか良い方法は無さそうです。水害列島でもあるこの国では、大きなダムでも高くした堤防で囲っても、絶対的に安全な場所など無いと、考え方を改めるべきでしょう。それにしても、昔からあったかどうか記憶が定かではありませんが、「線状降水帯」と言う水の爆弾の発生する頻度が上がっていると感ずるのは投稿者だけではないでしょう。集中豪雨の頻発は、どうやら温暖化=高温湿潤化のなせるワザの一つである可能性がますます高まっている様です。

 

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2020年7月 5日 (日)

3780 レジ袋考

山旅から自宅に戻り投稿再開です。さて、今回の山旅の途中、山の行動食や非常食を仕入れるコンビニでも7月1日から突然レジ袋が有料になりました。勿論、環境カウンセラーとして、ごみを入れたまま、駐車場の端にポイと捨てられたレジ袋や道路で風に舞っているレジ袋を見るにつけ、腹立たしく思ってはいました。自分も、確かに食料や着替えをザックに入れる際に、レジ袋を便利に使っていますし、小さいものはごみ入れに使って、申し訳ないのですがコンビニで食料を仕入れる際にごみ箱に入れさせて貰っていました。
このレジ袋が、1枚数円の有価となったわけで、それとなく見ていると何人かのトラックドライバーが少量のお菓子や飲み物などを買った際に、レジ袋を断る姿を目にしました。投稿者自身も手の平に載る程度の少量の買い物では、以前からレジ袋は断ってはいました。問題は、今回の「容リ法改正」があまりにも「ささやか過ぎる」と言う点だと思うのです。プラスチック全般の生産量は、世界中で年間4億トンとも言われ、その打ちの3億トンがごみとして処分されます。1/4の1億トン程度は、確かにリサイクルされてはいるのですが、PETの様なマテリアルリサイクルの優等生はごく一部で、殆どは燃やされる「サーマルリサイクル」なのです。ごみとなるプラスチックの殆どは、その中身と言えば包装ごみであることは容易に想像できます。その容器をできるだけリサイクルしようと言うのが「容リ法」の趣旨なのですが、これはあまりにも後ろ向きな法律だと言うしかありません。
作るならばそれは「容器減量法」でなくてはならないでしょう。プラスチックごみの1%にも遠く届かない量のレジ袋(ある試算では、この国では石油換算にして40万トン程度の消費量の様です)を禁止するのではなく、単に有料化しただけで、投機ごみや海洋プラスチックごみがどれほど減らせるというのでしょう。単なる環境行政のジェスチャー(素振り)としか見えないのです。3Rの順番の最初は、Reduce(減量)であると定めたのは、お役所自身である事を忘れてはならないでしょう。行政は、先ずメーカーに対し、容器に使われるプラスチックを先ずは半分にする努力義務を負わせなければならないでしょう。飲み物は、欧州の一部の国の様に、PETを逆に分厚くして、20回程度再使用する様な法律にすべきでしょう。勿論、容器を返却すれば10円程度のデポ料が返金される様にすべきでしょう。数円のレジ袋を買う人は多いのでしょうが、10円を道端に捨てる人は居ないでしょう。何なら、デポ料を100円くらいにすればポイ捨ては完全ゼロにできるでしょう。名指しをするなら、K境省もK境大臣も、環境悪化の防止にあまりにも消極的過ぎると言うしかありません。レジ袋=プラスチックは環境に放置されると生き物にとっては完全に有害な物質です。環境行政には、環境中では短期間で完全に分解される材料のレジ袋を法制化するか、あるいはレジ袋を例外なく完全に禁止する法制とするくらいの指導力を発揮して貰いたいものです。

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