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2020年7月13日 (月)

3787 コロナ下の価値観

今朝のラジオで心理学者が分析していたコロナ下の価値観の変化に聞き耳を立てました。彼によると、コロナ騒ぎで多くの人の時間の感覚がすっかり狂ってしまったとのこと。確かに、C国のB漢で最初の感染が報告され、それが野生動物起源で清潔でない市場から広まったらしいこと、その後大型クルーズ船が横浜に入港してコロナ感染者が見つかったというニュースなどが、何か数年前の遠い出来事の様な気がしています。その後、日々報告された感染者の数字や、世界中に広がるパンデミックになったこと、自粛要請、自粛解除などが前後の脈絡なく記憶されてしまっているのです。明らかに、コロナ下では多くのイベントが中止に追い込まれ、自粛生活を私たちの時間に「区切り」が無くなった結果、エピソード記憶の「時間の目盛り」が刻めなくなってしまったのがその原因だと思われます。
もう一つ彼が指摘していたのが、人間関係です。一つの社会システムでは、人は組織や学校などの決まりにより、強制的に会社や学校に通わざるを得ず、そこで好きな人とも、そうでない人とも顔を合わせざるを得なかったのです。それを、この心理学者は「対面の暴力」と呼んでいましたが、確かに会いたくない人と顔を合わせざるを得ない状況は、一面では強制力=暴力とも呼べるかも知れません。ましてや、人付き合いが苦手な人にとっては苦痛に感ずることも多かった筈です。しかし、コロナ下のリモートワークやオンライン授業では、随分快適な思いを経験した人たちも少なからず居たと想像しています。勿論、人と交わることが好きで得意な人はかなり寂しく感じたのでしょう。いずれにしても、コロナ騒ぎは人と人との関係(距離感や密接度)に関して、改めて考え直すきっかけにはなったと思われます。
問題は、今後です。有効なワクチンや治療薬が開発されて、もはやコロナがただの風邪になった暁に私たちに何が起こるかです。相変わらず、上記の視点を引きずるのか、あるいはまったくコロナ以前の「三密大好き社会」または「観光お祭り騒ぎ社会」に戻るのか、上記2点に興味を寄せながらしっかりウォッチしていくことにします。

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