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2020年8月31日 (月)

3822 宇宙開発???

3821,3822で空飛ぶ車を切りましたが、返す刀で宇宙開発も切っておきましょう。これも何度か取り上げた表題です。「宇宙開発」などとボンヤリ書くと、何か大きな夢のあるプロジェクトの様に聞こえます。確かに、各種の測地衛星や通信衛星、GPS衛星などの様に、もはや日常生活に不可欠になった成果も多いのですが、一方で単に人を宇宙空間に滞在させるプロジェクトや、月や火星に衛星や人を送ろうとする「国威発揚」プロジェクトは、多額の費用やリスクの割には、得られる成果は少ないと感じています。例えば、国際宇宙ステーション(ISS)を見てみましょう。2024年まで運用を続けると仮定した場合、その費用は15兆円を超えると見積もられています。その費用を、新型コロナウィルスを始めとする、各種疾病の撲滅のための研究や、山積する地球環境問題に振り向けることができれば、どれだけその恩恵に与る人々が増えるかを考える時、勿体無さに軽いめまいを感じてしまいます。
ISSの運用開始(2011年)からのそこでの各種実験結果が、今世の中の役に立っている技術に応用されていると主張する人が居るなら、その「費用対効果」の理屈をじっくり聞いてみたいものです。天文学的な費用を掛けた実験の中身は、金よりも何桁も高価な数グラムの合金作成であったり、高額過ぎてとても人には使えない薬剤の製造だったり、単なる無重力下での動物や植物の飼育実験だったりするのです。実験者を宇宙に送る費用や、滞在のための物資を送る費用を考えると、一人当たり、1日当たりの滞在費用たるや、軽く億円単位になると想像しています。
増してや、単に再度人類を月に送るとか、数年を掛けて人を火星に送るなど、莫大な費用と宇宙飛行士の精神破壊などのリスクを考えれば、一体何を考えているのか、本気で言っている人たちの頭の中身を疑いたくなります。
宇宙には、真空と無重力と宇宙塵や強烈な「宇宙線」しか存在しないのです。ISSに長期滞在した人たちのその後の健康状態に対する報告は少ないのですが、長期の無重力状態やISSを突き抜けてくる宇宙線を地上の2桁も多く浴びることが健康に良い筈がないでしょう。トータルで考えても、衛星打ち上げ以外の宇宙開発は直ちに縮小か中止にして、人材と費用を地上の問題解決にこそ振り向けるべきです。特に、かつてISSに滞在した人たちが、宇宙開発を美化し、徒に子供の宇宙飛行士になりたいなどの夢に駆り立てるのは、無責任な罪でもあると言っておきます。私たちの住む(住める)世界は、この美しい地球の表面にしかないのです。

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2020年8月30日 (日)

3821 空飛ぶ車2

空飛ぶ車における本質安全とは何でしょうか。矛盾はしますが、それは空飛ぶ車を高く飛ばさない事しかありません。飛び上がるためには、当然の事ですが機体(車体)を飛び切り計量に設計しなければなりません。という事は、今の車の鉄の車体の様に衝突時には変形して、衝撃を吸収する様には設計できません。精々、乗員や運転者の全身を包み込むような「エアバッグ」で守るしかないでしょう。しかし、高い高度で飛ばすためには、車体を重く頑丈にして、安全装置を何重にも準備しなければならないので、そもそも重すぎて離陸できなくなってしまうでしょう。現在のメタル構造の旅客機も、軽量化のためにグラム単位の「肉抜き」を行って、一人でも多くの乗客を乗せようと血の滲むような努力を傾けているのです。それでも、旅客機がトラブルでハードランディングした際の惨事は、年に何回か事故ニュースの映像で目にしますが、場合によっては機体が原型を留めない程ひどく壊れている事も多いのです。
結局、空飛ぶ車の本質安全を考えるなら、ハードランディングをしても、乗員の命を脅かさない様な高度で飛ばすと言うルールにしなければならないのです。つまりは、現在でも少しは使われている「ホバークラフト的」な乗り物とするしかないのでしょう。ホバークラフトなら、滑らかな道路さえ作れば、数センチから十数センチほど車体を浮き上がらせるだけで済むので、エンジンが停止して着地しても衝撃は最小限で済むでしょう。勿論、早いスピードで移動している場合に、路壁や他の車や人に衝突する危険については、今の車の事故と全く変わらないレベルになってしまいます。
とは言いながら、ホバークラフトが、今走っている車や人と混在する交通システムは事実上考えられないと言うしかありません。空飛ぶ車は、道路との摩擦を使って急停止する事ができず、数十メートルの滑空後にしか停止できません。空飛ぶ車はあまりに危険だと言うしかありません。結局、今の道路とは平面交差しない空飛ぶ車専用の道路を建設し、それを使わせるしか方法はないので、鉄道よりはやや建設費が少なくなるものの、新たなインフラを建設するしか方法は無さそうです。
何処かの駐車場から、目的の駐車場まで、自由に空を飛んで移動できる車など、どの道筋で考えても実現性はほぼゼロだと断言しておきます。早くその事に気付き、空飛ぶ車開発の人材と多額の予算を掛けるなら、今足元にある地球環境問題の解決にこそ振り向けるべきでしょう。

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2020年8月29日 (土)

3820 空飛ぶ車???

ニュースで空飛ぶ車の映像が流れました。見れば、ドローンに人が跨った様なものでした。このブログは批判を目的にはしていませんが、発想の貧弱さにかなり落胆してしまいました。例えば、ヘリコプターは揚力は専ら上部に取り付けられたローターにより発生し、重心はかなり下にありますので、さながら機体がローターによって吊り下げられている様な形態ですが、ドローンに跨る乗り物では、揚力の中心に比べて重心がかなり上になるので、飛行時に風などの外乱が入ると、姿勢が不安定になるのです。ヘリの場合だと、揺れても振り子の様になるだけで、ひっくり返ってしまう事は無いでしょう。無人のドローンで荷物を運ぶ際には、荷物は機体の下に吊り下げるのが原則になっている筈です。
一方で、エンジンが停止した時の非常時を考えても、ドローンは不安定です。つまり、4ローターの場合、ローターの1個が停止してしまうと、残りの3個の揚力で機体を支えることになり、揚力中心が突然移動し、重心との間にズレが生じ、つまりモーメントによって機体が傾いて、結果としては墜落につながるのです。他方でヘリの場合には、エンジンが停止した際には、ベテランのパイロットであれば、急降下の際の気流を利用してローターをフリーローテーションさせ、地上に近づくと、ピッチを変えて揚力を発生させて、地上との激突を回避できるでしょう。
空飛ぶ車が、地上1m以上高度の走行を認めないと言う法律でもできればまだしも、例えば100mの高度で機体にトラブルが発生した場合、間違いなく乗っている人たちは、パラシュートも開けないで高度でもあり、間違いなく命に関わる事態に陥るでしょう。もし、1mと言う高度規制を設けるなら、殆どそれはこれまでに開発されたホバークラフトと何ら変わらない乗り物になってしまうのです。
つまり、全く新しい発想で、本質的に安全な乗り物として開発しない限り、空飛ぶ車など夢のまた夢になってしまうシロモノなのです。このプロジェクトを大手車メーカーが後押ししている様ですが、優秀な人材とお金の無駄使いにならない様に、基本設計の段階での熟考が必要でしょう。空飛ぶ車っぽいモノを、先ずは(マスコミ向けに)形にする事だけを考えた末の思考停止は厳に慎むべきでしょう。

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2020年8月27日 (木)

3819 1+3R?

昨日県内の高校で、環境出前授業を行ってきました。事前に要請のあったテーマが、廃棄物減らしや3Rでしたが、敢えてタイトルを「1+3R」としました。追加の1RとはRefuse(拒否)です。最近の例で言えば、コンビニやスーパーでレジ袋の要否を尋ねられた場合「要りません」と断ることが挙げられます。ごみを減らすたりリサイクルしたりする前に、先ずはごみになるものを買わない、消費しないと言う事なのです。
PETボトルはリサイクルするから、ごみにならないから、何の考えも無しに自販機のボタンを押すのではなく、家から保温マイボトルで飲み物を持って出るか、保温瓶がやや重いと感ずるのであれば、一度使ったPETボトルを洗って、水やお茶を詰めて持ち歩けば良いだけです。これによって、その日はPETボトルをReuseしてその消費を1本減らし、Refuseも出来たことになります。当然の事ながら、行動としての優先順位はRefuseが筆頭で、以下Reduce、Reuse、Recycleとなりますので、リサイクルを頑張って、ごみを減らしましょう、などと喧伝するのは正しくないキャンペーンと言えます。
勿論、3818で言及したグリーンサイクルを回して、例えば木材繊維(セルロース)やデンプンなどから作られた飲料瓶を使えば、石油が節約できて、ごみになってもやがて微生物に分解されて水と炭酸ガスに戻るのかも知れませんが、それにしても自然素材は、地下資源にもまして貴重で、コストも嵩む筈なのです。
やはり、私たちの努力は「使い捨て」を(拒否して)無くすこと、つまりは消費量を如何に減らすかに集中するしかないのです。その意味では、最初の1Rの比重は、他の3Rに比べて何倍も重くせざるを得ないでしょう。これからの私たちの行動のキーワードは、「ごみになるので要りません」でなければならないと思うのです。高校生たちがどの程度理解してくれたか気になる出前授業ではありました。

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2020年8月26日 (水)

3818 グリーンサイクル

「グリーンサイクル」に対し明確な定義がある訳ではありませんが、投稿者なりの定義では、「太陽光を含む自然の営みだけで成り立つ持続可能な(人間活動の)サイクル」とでもなるのでしょうか。勿論、人間の活動を除外すれば、太古の昔から自然の中ではこのサイクルは「完全な形」で動いてはいました。増えすぎた人間が、このサイクルを歪めたのです。このグリーンサイクルでは、今ある環境のバランスを改変することなく、太陽光、太陽熱、植物の光合成や生物活動の結果得られるものと、太陽光が形を変えたエネルギーだけを使い、木材など再生産可能な自然材料だけを使うのです。勿論、既に地上に掘り上げてしまった金属材料などは、リサイクルを繰り返して使い続けます。
このサイクルを回す駆動源は基本的には太陽光だけなので、自然環境を改変しない限りにおいては、100年後も持続可能だと言えるのです。自然の生物が太陽光を使って増やした有機物(バイオマス)は、毎年増やした分だけは使う事が出来ます。使った後の有機廃棄物は、元々水と炭酸ガスから合成された自然物であるため、適正に自然に放置すれば水と二酸化炭素に戻る筈です。
バイオマスの主な中身は、人間が作った農産物と林産物及び海産物などの自然からの収穫物、となるでしょう。繰り返しますが、1年間で使えるのは、過去1年間に自然が増やした量の範囲内です。勿論、木材の様に生育に数十年かかる場合は、その数十年で帳尻が合う様に計画しなければ持続可能性は崩れてしまうでしょう。
当然の前提として、モノを運ぶにもエネルギーが必要ですので、太陽光から得られたエネルギー以外は殆ど使えませんので、石油燃料を使うトラックで長い距離を運搬する事は出来ません。結果として地産地消が原則とならざるを得ないので、基本的には殆どのモノの供給を域外に依存する今の都市での生活は、このグリーンサイクルには全く馴染みません。人口や都市機能の地方分散の強力な政策が不可欠であることは言うまでもありません。

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2020年8月25日 (火)

3817 国体論を読んで

S井聡の「国体論」を読み終えました。今の時代「国体」などと時代がたったタイトルに興味を惹かれ手に取った文庫本でありましたが、厚みもありなかなか読み応えがありました。この種の評論を読む際には、右寄りなのかあるいは左から見ているのが問題で、それを割り引いて読む必要があるのですが、筆者は最初に極右も極左もバッサリと切り捨てていますので、一応中道的立場で書いているとは感じました。それよりも、国体と言う視点で明治維新から、現在(2018年時点)までの、近現代史を総ざらえしていて、改めて近現代史を学び直した感があり、戦後の時代を肌間隔で知る身である投稿者としても良い振り返りになりました。
著者の視点としては、戦後75年経っても、アメリカに抱かれた日本と言う戦後構図から全く抜け出せていないと言う点で、それは取りも直さず戦後アメリカが天皇の戦争責任を問わず、象徴天皇としてまつり上げることによって、日本人の心に(都市空爆で飽き足らず原爆を2発も落とした非道なB国に対する恨みに)蓋をする方便としたという視点でしょうか。B国はそれによって、この国の「国体」を維持させて、混乱の無い占領を実現しようとしていたと言うのです。100%著者の立場には賛成できないまでも、客観的に歴史を振り返れば、それはかなりの部分当たっていると認めざるを得ないでしょう。それが戦後レジームの象徴の一つでもあった訳で、戦後75年を経ても、戦争被害を被った東アジアの国々が、戦争中のこの国の非道を避難し続けているのも、まさしくこの国が戦後レジームを引きずり続けている事の証左でしょう。
この国の、政権歴史上最長の期間、椅子に座り続けているリーダーは、「戦後レジームからの脱極」を旗印として掲げていましたが、結果として彼の行いを振り返るに、まさしくそれは「戦後レジームの堅持」以外の何者でもなかったのでした。北方領土問題でも、慰安婦や強制労働や北の拉致問題でも、何ら進展が無いのは、戦後生まれでありながら、家柄も含めて彼こそがまさに戦後レジームそのものを体現していたのであり、それから脱却するためには、自分自身を政治の世界から消し去らねばならないと言う自己矛盾の運命を背負っているとも言えるのでしょう。考えてみれば、かわいそうな運命を背負っているのかも知れません。いずれにしても、天皇家を尊敬しているポーズによって、この国の国民に嫌われることを回避して、今なお親米感情をプラス側に保っているB国の戦略を見透かした上で、ではこの国は今後世界の中でどの様な立ち位置で動くべきかなどとは、全く何も考えていない様にさえ見える与野党の政治屋を見るたび、暗澹たる思いに苛まれます。

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2020年8月24日 (月)

3816 航空便の数

コロナ禍から学ぶことはいくつかありそうですが、私たちは国際間の人の移動に関しても考えざるを得ませんでした。コロナ前までは、この国のリーダーは、景気の浮揚を優先するあまり、インバウンドの観光客をドンドン増やす政策に率先して激しく旗を振り続けていました。昨年は3千万人を超えたことを、さも自分の手柄でもあるかの様に喧伝していたのでした。勿論、良識ある人々は、人々の交流は同時に病気や違法なドラッグや各種の密輸などの好ましくないものも入ってくることを懸念していたことでしょう。そして懸念は現実のものとなった訳です。
その意味で、私たちは海を渡ることに関しては、もう少し慎重であるべきだと思うのです。税関や検疫と言った水際の活動は、3千万人もの人々の洪水には十分には対処できないでしょう。殆ど素通りのチェックで済ますしかないのです。若い頃の海外出張での記憶ですが、入管や検疫では結構しっかりチェックを受けた様な気がしますが、数年前の渡航では、殆どノーチェックだった様な気がします。何度も書きますが、航空需要の底堅い部分は、現在の半分ほどだと考えられます。残りの半分は、格安航空チケット狙いの「物見遊山」需要だと考えられるのです。もし、航空チケットが正規料金だけになったと仮定するなら、海を渡る人の数は見事に半分ほどに減ると思うのです。つまり、現在の航空便の数は明らかに「バブル」だと言っても良いでしょう。海外旅行は、行きたいときに行くのではなく、日頃からお金を貯めておき、意を決して出かけるものだと思うのです。繰り返しますが、国際便の便数は、ピーク時(昨年)の半分が妥当だと言っておきます。
国内旅行に関しては、新幹線での移動に限定しても全く問題ないはずです。ローカルの飛行場から市の中心部に出るのにバスで1時間も掛けるくらいであれば、新幹線で中心にある駅に直接乗り入れる方が便利に決まっているでしょう。それにも関わらず、各県に最低1ヵ所、場合によっては2か所もあるという事実は、明らかに航空行政のミスガイドでしょう。日に1-2便しか飛ばないローカル空港の存在意義など極めて薄いでしょう。コロナ後、航空旅客が5割程度に回復した時点で判断して、もし採算ラインを大きく割っている路線は、早晩淘汰されるべき不採算空港であり路線だと断定しても良いでしょう。

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2020年8月22日 (土)

3815 コロナ後の社会3

3813でやや書き足りなかったの補足します。コロナ後の社会で何が最も大切かと言えば、それは経済の再生ではない事は間違いありません。経済秩序の再生は、重要な課題ではありますが、その前に経済秩序そのものの「再設計」が必要だと思うのです。コロナ禍で、ある程度経済循環が棄損、あるいは部分破壊された今が、再設計のチャンスでもあると思うのです。例えば、交通システムは多大な損害を被りました。旅客数が、大幅に減ったからです。記憶では、9.11事件の直後、航空旅客は45%程度まで落ち込んだのでした。航空機が乗っ取られると神風特攻の様に空飛ぶ爆弾になることが証明されてしまったからです。
しかし、今回のコロナウィルスによる自粛では、旅客数は国際線ではほぼゼロに、国内線でも前年比では一桁%にまで落ち込んだのでした。9.11ショックの比ではありません。これは、まさしく壊滅的な減少です。では、航空機による交通システムをどの様に再設計すれば良いのでしょう。少しは航空機業界を知る立場として、航空輸送システムへの提言をしてみます。航空運賃は、物価の変動に関わらず一貫して低下してきたと言う事実は重要です。つまり、航空機の大型化、軽量化の技術と相まって、一人当たりの輸送単価を下げ続けてきたと言う事なのです。単価が下がった結果、庶民でも海外旅行に出ようと言う気になり、日々7000便ものフライトが飛び交う時代になったのです。しかし、これは航空輸送バブルだと見なければなりません。9.11テロ後、旅客数が45%に落ち込んだと言う事実は、底堅い需要としては、半分の3500便程度と想定できるのです。この話題については稿を改めます。
またモノの流通では、資源の大量採掘、大量生産、大量輸送、大量廃棄、大量廃棄時代への総括と強い反省が必要です。戦後一貫して善であるとされたこの傾向は、持続可能ではないと言う1点だけでも否定するに十分でしょう。資源の枯渇、地球温暖化やごみ処分場のひっ迫などと言う問題点も、「大量時代」の当然のツケだと言えます。資源を消費(廃棄)しないためには、このブルグでも再々言及しているグリーンサイクルへのシフトが最も有効です。これに関してもこのブログで繰り返し投稿してつもりです。
ここで書きたかった結論は、コロナ後の社会の再設計の最重要課題は、持続可能な形での人々の幸福で、そのためには健康寿命をより長くする活動が欠かせません。エネルギー問題の解決や経済活動の再活性化はそのための一手段に過ぎないと考えるべきでしょう。勿論、より多くの人々の幸福の達成のためには、富の分配の公平性の確保が必須です。

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2020年8月21日 (金)

3814 技術者倫理

科学とはまさしく学問であり、真理の追求が建て前になっています。建て前と書いたのは、大学が独立法人化されて以降、学問や研究の「成果主義」が協調されるあまり、本音ではその研究がどの様に実用化(企業化)され、その結果いくら儲かったのかがその先の研究費の額にも影響を与える様な時代になってしまった様なのです。まるで、学問こそがこの国の経済力を高めるためにある、と言った偏った考え方を示す傾向そのものでしょう。
側聞ですが、ノーベル賞を貰ったN依氏は、「科学は中立だが、科学技術は経済性と言う明確な偏向性を持っている」と言った意味の発言をしている様です。上に述べた背景もあり、これに100%賛同は出来ませんが、確かに「技術」は、誰かの役に立って、結果いくら儲けてナンボの世界である事は間違いないでしょう。中身が素晴らしくても、それが経済的に成り立たない技術など、あっという間に社会から駆逐されてしまうからです。しかし、そもそもノーベル賞そのものがA.ノーベルがダイナマイトを実用化し、莫大な利益を手にした結果創設されたものであり、その化学賞受賞者が科学の中立性を殊更協調するのは、やや自己矛盾気味であると感じてしまいます。
ここで書きたかったのは、科学の中立性ではなく、技術(者)倫理の話です。技術には、大きく分けて「良い技術」と「悪い技術」があるからです。勿論、技術に関してその様な憲法や法律がある訳ではないので、誰かに害さえ与えなければ、多くの場合技術を実用する事に関しては障害は無いのですが、その善悪を何に照らすかと言えば、ややボンヤリしてはいますが、それは技術(者)倫理だと思うのです。投稿者なりの解釈では、ある技術が持続可能性が十分高く、それが(子孫を含む)大多数の人々の幸福につながるなら、技術(者)倫理の吟味にもパスする様な「良い技術」と言っても良さそうです。
実例で示すなら、核爆弾の技術はあってはならない巨悪でしょうし、原発も過去の過酷事故の結果に照らせば、かなり黒色に塗られるでしょう。では車はどうでしょうか。石油の採掘が持続可能性が低いこと、温暖化を加速するだろうと考えれば、かなり濃いグレーに塗らざるを得ません。バイオマスの利用技術は、自然が毎年産生できる範囲内の利用、と言う条件付きですが善であると太鼓判が押せます。同様に、太陽光の電力変換や、太陽光が形を変えた水力や風力の利用も、自然を改変しないと言う条件付きではOKとなるでしょう。結局、技術の善悪の判定には、かなりの程度持続可能な時間のファクターが重要となるのでしょう。つまり評価するスパンが10年では善となっても、それを100年に広げると悪となるグレーな技術が結構多いという問題なのです。

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2020年8月20日 (木)

3813 コロナ後の社会2

このブログでも再々書いてはいますが、今後のあるべき社会を考える際には、先ずは「目的と手段」を明確に峻別して考えて行く必要があります。コロナ禍での議論として、感染の抑え込みか経済再生かなどという二元論がまかり通っていますが、そもそも経済活動は、社会を動かしていくための手段であり、決して目的などにはなり得ないと言う点を銘記しなければならないでしょう。勿論、感染の抑え込みは目下の最重要課題であり、目的ではあります。
では何が人間社会の目的として最適かと問われれば、それは人々の幸福とその持続である、と言っておきましょう。人間中心に考えJ.ベンサム風に言うなら、「最大多数の最大幸福の追求」とでもなるのでしょうが、今時は環境問題は避けて通れないので、それに「持続可能性の最大化」も加えなければならないでしょう。つまり私たちは、環境への負荷を最小化しつつ、人々の幸福(感)を最大化すると言う連立方程式を解かなければならないのです。
しかも、人々の幸福を「現世代の幸福」に限定する訳にはいきません。年金問題でも議論される様に、今の制度で現世代がある程度満足しているとしても、少子化が進んだ子や孫世代が負担に苦しむ様では、はなはだしい世代間の不公平が生じます。結局、人々の幸福を論ずる際とはまだ生まれていない後の世代の幸福まで抱合して考えなければならないのです。コロナ禍では、国は大盤振る舞いの補正予算を組んで対応しようとしてはいますが、その原資は国債であり、将来世代からの借金そのものだと言えます。一方で、現世代の高齢者は、将来不安から貯蓄に励み、銀行マネーや郵貯マネーを増やし続けてもいるのです。政府の借金は1,000兆円を超えていますが、日本人の貯蓄の総額は軽くそれを超えているのです。
国は景気浮揚に向けて徒に借金を重ねるのでなく、高齢者に将来に安心感を持たせて死蔵されている貯蓄を吐き出させて、生きたお金として社会の中で回し、役立たせるべきでしょう。高齢者の不安は、衣食住と病気で倒れた時の介護や医療費でしょうか。その解決には先ずは、国は明確な政策を立てて、人々の田舎回帰を誘導し、かつての様な大家族を奨励すべきでしょう。何より田舎には、多数の空き家があり、農地も遊んでいます。今は、人が住む予定の無い住宅をリフォームすれば、昔の様に三世代が同居しても十分暮らせる家を増やせるでしょう。子育ても、高齢者の介護も、大家族であれば助け合えるので、病院や介護施設に頼る機会も減らせるのです。現在は国の支出で大きな部分を占める医療や介護費を半分に出来れば、新規国債の発行も、消費税の更なる増税なども考えなくとも良い筈なのです。年寄りには、大家族の中で役割を持たせ、生き甲斐を感じさせながら、寝たきりにしない生活スタイルを普通のものとする事が、医療や介護費を減らす事こそ、財政の健全化のためにも最重要なのです。私たちは、今回のコロナ禍を、その方向に舵を切るための一つのきっかけとする事を必死に考えるべきでしょう。

 

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2020年8月18日 (火)

3812 コロナ後の社会

「コロナ後の世界」と言う文庫本を読みました。世界の賢者と呼ばれる6人へのつい最近のインタビューなどをまとめたものです。示唆に富むコメントばかりですが、必ずしもそれぞれが100%賛成できるものでもありませんでした。勿論、共通ししており賛同できるコメントもありました。それは、コロナ禍から得られる教訓として、今を今後の社会のあるべき姿を熟慮するためのプラスの機会と捉えると言うコメントです。
その上で、投稿者なりの想いを少し書いてみようと思います。勿論、世界の行く末を論ずるほどの見識は持ち合わせていない浅学の身としては、取りあえずは身の周りの生活や、自分自身の生き方程度しか考える事は出来ませんが、それでもやはり今回のコロナ禍では、考えるところも多かった様な気がします。
さて私たちは、近年でもAIDSやエボラ出血熱やMERSやSARSの様な、致死率の高い疾病の流行に襲われては来ましたが、医学の発達や病原菌や、ウィルスの伝染力が限定的であった事や、国際的な協力体制もあり、どうにか限定的な範囲の感染拡大で抑え込んできました。しかし、今度のウィルスは、その上を行くしたたかさを持っていたようです。その感染力、その毒性、加えて多分その変異の素早さにおいてです。その結果、この種の疾病は、私たちの経済活動にも大きな影響を与えずには置かないことも改めて銘記させてくれたのです。
何より、私たち社会、とりわけ日本は、世界でも冠たる「密社会」である事実を再認識せざるを得ませんでいた。関東エリアだけに人口の1/3(4千万人以上)が密集して暮らすと言う密社会の構築を、戦後一貫して続けて来たのです。それは、経済成長や社会の(ヒト、モノ、カネを動かす)効率としては確かに良かったのでしょう。一時は世界第二位の経済大国にはなれた訳ですから。しかし、それはその間に局地紛争以外の大きな戦争が無かったこと、同様に今回のコロナウィルスの様な「凶悪な疾病」に襲われなかっただけの幸運な時期が重なっただけだとも言えるのです。結局、多くの自然災害の直後にも思うのですが、私たちはあまりにも平和な時代を過ごし、「平和ボケ」が極度に酷くなった国民だったと反省しなくてはならないでしょう。
事態はまだ進行中ですが、先ずは私たちに必要な事は、データに基づいて今回のコロナ禍を正確に評価し、では今後の同様な、あるいは異なる災害に対し、日頃から何を考え、何を準備すべきだったかを熟考する事が必要でしょう。医療体制、ロックダウンや自粛の範囲や程度、医療体制を含む社会的備蓄の種類と量、教育制度や人材の育成の在り方などなどです。しかし、考えてみれば、この様な事は、日頃から政治家やマスコミや日常の会話の中で、自然発生的に議論されて然るべき内容だとも思うのです。私たちは、あまりにも自分たちの社会の「青写真」に無関心でビジョンをを持たな過ぎると、強く反省すべきでしょう。続きます。

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2020年8月17日 (月)

3811 モーリシャス座礁事故

モーリシャスの座礁事故の第一報が入った時、タンカーの事故で積み荷の原油が漏れ出したのだと想像しました。しかしそれは正しくなくて、とうやら鉱石を運ぶオアキャリアが空荷の状態で座礁し、燃料油のタンクが割れてC重油が漏れ出した事故だと知りました。海上油井やタンカーからの「原油」漏洩事故はこれまでも度々報告されてはいますが、では今回のC重油の漏洩事故とは何が違うのでしょう。
それは原油とC重油の性状の違いが大きく関連します。一般に重油とは油井から取り出した状態では、不純物も多くドロドロしたものの様に想像しますが、実際は常温で不通に流動するものが多く、想像よりサラサラしているのです。理由は、原油の中にはガソリンやナフサや灯油分の様な軽質成分も多いため、比較的粘度が低いのです。一方、C重油はそれらの軽質分を抜き出した後に残る「粘性が高く重い石油」で、硫黄分や灰分などの有害成分も多く含む、より「汚い石油」だと言えるのです。つまり、海面に浮上して漂う油膜の他に、いわゆる「原油ボール」の様な、厄介な半固形分の浮遊の他に海中への沈降にも対処する必要があるため、単なるオイルフェンスだけでは拡散を防げないのです。
また、海運をそれなりに知る者の常識として、積み荷が少ない時の操船は、船体が浮き上がっている部分が大きいため風に流されやすく、より慎重に行う事が求めれますが、今回はそれを抜かって島に近い航路を進んでいたと想像できます。南の島の周囲ではサンゴ礁が発達しているため、浅瀬が多く座礁事故が起こり易い海域でもある訳です。
更に船の構造上「から言えば、タンカーでは座礁や衝突事故での漏油事故を軽減するため、いわゆる二重底の船体構造とすることが義務付けられていますが、燃料タンクについては、貯蔵量も少ないこともあって、船体に直接作り付けられており、船体に亀裂が入ると今回の事故の様に直ちに漏油事故につながるのです。漏油事故は、重大な「環境事故」でもあるため、一海運会社が起こした問題とせず、国が強力にバックアップして事後処理を急ぐべきでしょう。評判の悪い神社の参拝などに出かけてないで、環境大臣の力量こそ試される事案だと認識すべきでしょう。

 

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2020年8月16日 (日)

3810 二階建て高気圧

この夏の気候の特徴としては、やはり長かった梅雨と異常な高温が挙げられるでしょうか。なんと北日本では、梅雨明けの宣言さえ見送られてしまいました。つまり、オホーツク高気圧と太平洋高気圧の押し合いによって生ずる梅雨前線が、夏場には太平洋高気圧が勝って、日本を夏空が覆うという方程式が崩れていたのです。代わって顔を出しているのが大陸育ちのモンゴル高気圧と呼ばれる、熱く乾いた高気圧です。厄介な事に、これが太平洋高気圧と重なって、二階建ての高気圧として(東北北部と北海道を除き)日本を安定的に覆っている状況が長期間続いているのです。
比較的湿度が高く温度の低い(=重い)太平洋高気圧は低層を、温度が高く乾いている(=軽い)モンゴル高気圧は上層をカバーすると言う棲み分けをしているので、二階建て高気圧は安定しており、上空10㎞ほどまで高温の大気が続いてるのです。従って、いつもの夏だと、強い昼間の日照で午後に発達する「お約束」の積乱雲の出現も制限されてしまう様です、従って、連日体温を超える様な異常な高温状態が各地で頻発する事にもなるのです。
今回の様な気象傾向は、数年前にも現れた様な気がするので、もしかすると近年の異常な気象現象のパターンの一つなのかも知れませんが、気象の専門家によるとこれには、ラニーニャ現象と、もう一つはインド洋のダイポールモード現象の異常(逆ダイポールモード)が絡んでいる様なのですが、いずれにしても地上や海表面だけの気象だけでなく、高高度の上層の気象現象との関連を詳しく知る必要がありそうです。
素人なりの見方ですが、根本的にはやはり夏場の北極気団(の子分であるオホーツク高気圧)の退潮が、モンゴル高気圧を引き込んでいる様な気がするのです。その分、太平洋高気圧が今年の様にあまり強くならないにも関わらす、異常に高い気温の日が続く事になるのでしょう。極気団の退潮は、いわゆる温暖化傾向から繋がる長期の気候変動によるものと考えられ、今後とも今年の様な異常高温が、当たり前の夏の気候となると覚悟しなければならないでしょう。暑さに弱い人は、出来る限り早期に北国への移住を検討すべきかも知れません。

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2020年8月12日 (水)

3809 エアロゾル感染?

コロナウィルスによるCOVID-19については、市中感染の割合の増加につれて、以前から取沙汰されている「エアロゾル感染」の可能性が高まったと言う専門家の声が大きくなってきた様です。エアロゾルとは、気体のブラウン運動によって、沈降せずに長く留まる様な液体または個体の微粒子の事ですが、ウィルスのキャリア(感染者)が咳や発声時に飛ばす飛沫には、かなりの割合でエアロゾルも含まれることがシミュレーションでも明らかになっています。
密閉空間に限らず、外気中でもウィルスを含むエアロゾル発生者(=感染者)に接近した際には、運悪くそのゾルを吸い込み、感染してしまう可能性がある事は否定できません。むしろ、全く身に覚えのない感染者は、人込みを普通に歩いている時にエアロゾル感染した可能性が高いのです。エアロゾルを出す感染者も、それを貰ってしまうかもしれない陰性者も、マスクをしていれば感染の可能性は低減は出来るのでしょうが、それで勿論100%防げる訳ではないでしょう。マスク(衣服を含む)に付着したウィルスは、1週間程度は感染力を保っていたと言う事実が報告されている限り、また市中に無症状の感染者の割合いが増え続ける限り、今後市中感染はますます広がりを見せるでしょう。
頼みは。感染を繰り返す内にウィルスが弱毒化して、普通のインフルエンザ並に大人しくなってくれるか、既存、新規開発を問わず重症化を抑える薬による有効な治療が確立されるかですが、ワクチンにより予防に関しては、投稿者はかなりの疑問を持っています。利益優先の開発競争で他を制する事に集中するあまり、極端に短期間で開発され、結果として効果や安全性に問題を抱えたままの「粗悪ワクチン」が市場に出回る可能性も高いからです。いずれにしても、この国政府は対策を急ぐあまり、大枚をはたいて粗悪なワクチンを掴まされない様に留意すべきででしょう。私たちは、いくつかの安全性の低い粗悪なワクチンの副作用によって、死者や重篤な障害者を生みだしてしまった苦い過去は忘れるべきではありません。

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2020年8月11日 (火)

3808 猛暑考2

猛暑は人間だけに影響を与える訳ではありません。むしろ、それはホンの一部に過ぎません。例えば、農作物や植物です。樹木や植物も気候の変動に対応して、動く事は可能です。とは言いながら、植物自身が能動的に動く訳でありません。種子を鳥や動物に運んで貰い、移動した先で発芽する必要があるのです。従って、植物が動ける速度は多分数キロ/年程度だと推定されます。飛べる昆虫や、運動能力の高い動物は勿論それ以上動く事は出来ますが、何しろ植物の移動スピードが遅いので、それらに依存している限りにおいては、そんなに急いで移動しても仕方がありません。
一方で、温暖化が進む最前線を、温暖化前線と仮に呼ぶなら、その北上のスピードは年に10㎞ほどだと言われています。10年ではなんと100㎞、50年では500㎞に及ぶのです。500㎞と言えば、東京の気候が仙台辺りまで北上する勘定です。農作物も、勿論植物なので、温暖化の影響を直接受けるのですが、勿論温暖化に対応するための品種改良も行われてはいますが、対応が遅れているのが実情でしょう。例えば、イネは既に九州での夏場の高温に耐えきれず、米粒の白化などの生育障害を起こしています。
動物や昆虫などの生き物を眺めても、温暖化に対応しての北上が続いているのです。冬場の積雪が少ない地域にしか住めない筈のニホンジカやイノシシが、白神山地や東北の北部で目撃される様になってきました。冬場の積雪が減った結果、それらの動物が越冬できる様になってしまったからです。昆虫の北上も、特に目立ちやすいセミやチョウなどで良く目撃されています。投稿者が指標生物として注目している昆虫は実は「ダニ」なのです。ダニは、自身での移動距離は短き、代替わりのサイクルも短い上に、環境の変化に敏感であるが故に、指標生物としては理想的なのです。
生物と温暖化の関係で、最も好ましくないのは、生物の多様性が阻害されることでしょうか。日本は、いわゆる四季がはっきり分かれていると言う気候的特徴がある国ですが、これが東南アジアの様な蒸し暑い夏と、寒気が弱い冬と言う「二季」になってしまうと、春秋の気候に馴染んでいた植物や動物の棲む環境が消えてしまうでしょう。東南アジアの毒虫(蚊や毒クモなど)も越冬出来て、繁殖する事でしょう。同時に、それらが媒介する病気の蔓延も懸念されます。温暖化北上のスピードをどうやって減速させるのか、待った無しで全世界の知恵を結集させるべき時代に入ったと言うべきでしょう。やや不謹慎かも知れませんが、コロナによる経済減速もでさえも、これを逆手に取って温暖化減速の絶好の機会と捉えるべきなのです

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2020年8月10日 (月)

3807 猛暑考

猛暑の直接的な原因は、間違いなく夏場の北極気団の縮小です。極気団は、この地域の低温故に冷やされた大気が降下、堆積し高気圧の塊(気団)が形成された結果です。そのままでは、気団から風が吹き出し、比較的短期間に気圧が下がるのですが、その吹き出した風が地球の自転によってもたらされる「コリオリの力」によって、気団の縁を回るジェット気流となって、気団をキリリと縛っているため、気団としての安定性が確保できる訳です。
当然の事ながら、極地方の気温が上がると、極気団の形成も弱く、従ってジェット気流も弱く、結果として容易に蛇行が始まってしまいます。極気団の外を回るジェット気流は、通常は上から見るとほぼ円形なのですが、蛇行が酷くなるとまるでクローバの様な形になってしまいます。クローバの葉と葉の間(ジェット気流の谷間)に入ってしまうと、南の温度も湿度も高い大気が、高い緯度まで上がってきて、猛暑となるのです。
一方で、猛暑の原因は他にもあると、投稿者は疑っています。それは、大気中の絶対的な水蒸気量とPM2.5を含むエアロゾル濃度の上昇です。水蒸気は、CO2を軽く上回る温暖化効果ガスなのですが、一方で人間の活動が起源のPM2.5や火山活動などが起源のエアロゾルもガスではありません(微粒子です)が、温暖化の効果があるのです。つまり、太陽からの熱を、大気中に閉じ込める働きが、この二者で年々強まっていると考えられるのです。水蒸気量の増加は、近年の過酷な降雨でも裏付けられているでしょう。時には、線状降水帯を形成して、各地で水害を引き起こしても居ます。他方で、PM2.5はヒトや生き物への健康被害は取沙汰されてはしますが、温暖化効果の評価はこれからの課題でもあります。とは言いながら、前者も後者も年々大気中の濃度は増加傾向であることは間違いないのです。
いずれにしても、この傾向は今後も続くのは間違いなく、真夏の猛暑日の連続は、ごく普通の気象となっていまうでしょう。東京以西の西日本の夏は、その意味で今後はますます過ごしにくくなるのでしょう。酷暑の西日本や首都圏から、夏場に涼しい北海道や北東北への移住が増えそうな予感が、ホンのチョッピリだけですがあります。

 

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2020年8月 9日 (日)

3806 チョウトンボ

年甲斐もなく、よく些細な疑問が湧きます。例えば、チョウトンボを見かけると、何故翅の先だけが透明で、根元は黒っぽいのかと言う疑問が湧きます。つまり何故、他のトンボの様に全体が透明ではないのかと疑問です。自然物の形や色には、必ず「必然性」があると思っていますので、黒い色には意味があって、その様に進化し、翅の先が透明なのはやはり意味があるのでしょう。しかし、全部が黒くなく、あるいは透明ではなく、一部がそうなっている理由は簡単に説明が出来そうにありません。素人として無理に訳を考えてみると、チョウトンボを遠くから見ると、先端の透明な部分は殆ど見えないので、さながら翅が短い昆虫の様に見えるかも知れません。トンボは細長い胴体と、やはり細長い4枚の翅が特徴的ですが、チョウトンボはその名の通り、遠目には蝶にも見えるかも知れません。
黒い蝶の中には、毒のある植物を食べて、体内に毒を蓄える種類もある様(例えばジャコウアゲハ)ですので、あるいはそれらの蝶の擬態で、外敵から身を守っている可能性は考えられます。いずれにしても、チョウトンボという種が確立して以降、進化の中で多様性が生まれた過程で、たまたま翅の先っぽだけが透明な系統がそうでない種より繁栄出来たのでしょう。
昆虫は、間接・直接の関りはの違いはあっても、100%植物に依存して生きています。植物の多様性もまた、投稿者の疑問の出発点でもあります。ほぼ同じような環境(例えば田んぼあるいは堤防の土手)でありながら、何故この様な植生の多様性が生まれるのか、全く不思議です。背丈が高いとか、多数の種子を作るとか、地下茎で伸びるとか、植物毎に他の種より優れている点はあるのでしょうが、結果としてその環境を独占すること無しに他の植物との棲み分けが出来ていますから、他の植物は優勢な植物の繁茂を抑え込む、見えない作戦(例えばアエロパシー物質の放出)を展開しているのかも知れません。いずれにしても、それらの多様な植物は、受粉のために多様な昆虫を必要としており、昆虫の多様性も保証している訳ですから、自然の仕組みの観察は飽きることがありません。投稿者が「環境人間」に脱皮した所以です。

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2020年8月 8日 (土)

3805 原爆とコロナ

8月6日は75回目の広島原爆の日でしたし、8月9日は長崎原爆の日です。原爆による死者数は、広島では直接間接を含め10数万人、長崎では7万人とも言われますが、一方で新型コロナによる肺炎(COVID-19)による死者は、直近では全世界では70万人に達したとの報道がありました。そう考えると、原爆は人間が作り出した最強の殺戮兵器の一つですが、多くの病原菌起源の疾病が克服されてきた中で、強毒性のウィルスはさながら自然が差し向けた最強・最終の殺戮兵器だとも言えるかも知れません。
ウィルスは、常に私たちが作り上げた「密社会」を狙っています。東京を始めとする、国内・国外の大都市は、密に暮らすことを前提に、人々を吸収し拡大し続けてきました。集合住宅や地上や地下に高密度に張り巡らされた交通システムと通勤ラッシュ、繁華街や歩行者天国に溢れる人波、海外では最悪の3密とも見えるスラム街の存在などなど。何処かの野生動物の体内で、毒性の牙を磨いていたウィルスは、ある日突然にその密社会に入り込み、猛威を奮う訳です。
原爆もウィルスも、一度トリガーが引かれると、無差別で防ぎようがない点も共通です。その被害から逃れるには、前者だと核シェルター、後者だと陽圧に保たれた無菌室にでも籠もるしか方法がありません。しかし、都会で多くの人々がそんな行動が出来る筈もありません。スペースと多額の費用がそれを許さないでしょうし、そんなことをすれば社会生活そのものが成り立たないでしょう。
私たち人類は、核爆弾ですら、投下から75年を経た現在でも、その製造や保管や「最悪の場合は」その使用を、完全に禁止する国際間の枠組みは作られていないのです。ましてや、インフルエンザを含むウィルス病は、ウィルスが忍者の様に姿や病気を引き起こす毒性を変えるため、全てのウィルスに効くワクチンなどは事実上開発できないのです。逆に全てのウィルスを抑えるワクチンや薬剤が出来たとしても、人間の生命力そのものを抑制する事にもつながるため、そもそも不可能だと言うしかありません。どうやら私たちは、今後も永く核爆弾ともウィルスとも「共生」して行かざるを得ない様です。

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2020年8月 7日 (金)

3804 懲りない事故

ベイルートの爆発事故は悲惨でした。しかし、すこし過去を振り返ってみると、同様の事故が繰り返し、起こっている事が分かります。肥料の原料として多用される硝酸アンモニウム(硝安)は、加熱すると爆薬に変わると言う危険な性質を知らなかったか、知っていても無視か軽視した結果の事故だと言えるます。なんと過去には、吸湿して岩の様に固まってしまった、硝安をダイナマイトで粉々にしようとして大爆発を誘発したと言う「うその様」な事故もありましたし、2015年の天津での事故は、ごく最近で生々しい映像ニュースにもなりましたから、数々の硝安の大爆発事故はまだまだ過去の歴史的事故でもない今現在のリスクなのです。
そんな危ない硝安は、一方で優れた肥料の原料であるため、これに代わる安価で実用的な原料が見つかっていないこともあり、未だに多量の硝安が製造され、各地に蓄積されているのす。素人が考えても、硝安のアンモニア基は水素を3つも含んでいますから、適当な酸化剤(或いは適量の燃料)と接触すると、簡単に爆薬になってしまうのでしょう。問題は、保管の仕方と量でしょう。粒状の硝安を多量に倉庫に積み上げるなどと言う保管の仕方では、全く問題外ですが、小さく袋に詰めたとしても、それを1ヵ所に集積させている状況もあまり違いはないでしょう。
根本の問題は、硝安の保管基準が明確ではない事にありそうです。1ヵ所に保管してよい量とか、隣接する保管場所との隔壁構造、保管場所の温度、湿度管理などの基準があれば、今回の様な事故が繰り返されることも無くなる筈なのです。事故は、その事故で生じた目の前の被害に対処することが最優先ではありますが、失敗に学び、再発防止の明確な基準を作り、それを遵守する事こそが最重要なのです。そうでなければ、同様の爆発事故が人々の記憶から遠のく何年かに一度繰り返されることになるからです。

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2020年8月 6日 (木)

3803  分類学⇒環境学?

分けると分かるとはよく言われる表現です。土手の草花も、単に雑草や野草と括ってしまうと、何の変哲もない草むらになってしまいますが、ムラサキツメクサやブタナやフランスギクなとと特定が出来れば、草むらにも興味が湧いてきて、観察する楽しみが出来ます。虫なども同じで、単に虫と呼んでしまうと何も見えてきませんが、同じ蝶でも、モンシロチョウなのかヤマトシジミであるのか、あるいはキアゲハであるのかあるいはジャコウアゲハであるのかが特定できれば、彼がどの花や植物が好きなのか、その植物が見られればそれを好む蝶も見つかるなど、散歩の楽しみが増えるのです。
植物学とか昆虫学とか、とかく学問の世界は細かく縦割りに専門化する傾向にありますが、そうではなくて、植物と昆虫との相性とか、植物と土壌や気候との関係を解き明かすなど、いわゆる学際的なアプローチこそより重要で、より奥が深いと思うのは投稿者だけではないでしょう。単に、生物や鉱物や気候や、環境を分ける(分類)するのではなく、相互の「関連」に考えを巡らす事こそより難しく、楽しみも多い筈なのです。
その意味で、それを取りあえず「環境学」と呼ぼうと言うのが、ここでの投稿者の提案なのです。環境とは、あるものを取り囲む周囲の状態全てを指すと考えれば、ある植物やそれに依存する昆虫が、その場所に存在するのは、そこにある条件を備えた環境があったからこそだとも言えるでしょう。逆に言えば、特定の条件さえ満足できる環境を揃えてやれば、やがてその環境を必要としている特定の植物や昆虫や動物がそこに出現する筈なのです。生き物は環境に依存し、環境は生き物を育む「条件」に他ならないからです。つまりここで定義した環境学こそ、ほぼ全ての学問を統合する究極の学問であると言いたいのです。投稿者は、50歳を超えてから、技術屋から環境屋への脱皮を決意し、不十分かも知れませんが独学と放送大学で環境学も勉強してきました。その学びを通じて、環境学こそ総合学であるとの確信をますます強めたのでした。

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2020年8月 3日 (月)

3802 食物(物質)連鎖

ほぼ毎日10㎞のほどの距離を散歩します。道すがら、目にするのは堤防道路の法面の草花、それに依存している虫たち、河川木とそれに集まる何種類かの鳥、田んぼとそこに集まる鳥やヘビや昆虫などの動物たちです。勿論、ずべての生き物を育む大元は植物ですが、その植物を支えているのは土壌です。土壌を肥やしているのは土壌菌やミミズなどの土壌生物や動物の出した排泄物などかも知れませんが、いずれにしても生き物のの世界は綿密に設計された食物連鎖と言うか物質の連鎖で成り立っているのは間違いないでしょう。何かが足りなければ連鎖は途絶えるでしょうし、何かが余ってしまうと、何処かにその物質が蓄積してしまうでしょう。
例えば、鉄鉱石の鉱床は、酸素を出す生き物(ストロマトライトなど)が出し続け、大気中や海水中の濃度が増した酸素が、鉄イオンを酸化して多量の酸化鉄が海底に蓄積したものでしょうし、石炭や石油も同様に太古の植物や生物の遺骸が蓄積したものでしょう。これらの地下資源や化石資源とも呼ばれ、短期間では復元できない種類のものです。
一方、現在の食物(物質)連鎖に組み込まれている物質は、連鎖の中でグルグルと循環して繰り返し生き物に利用されていますが、それらの多くは、生き物を構成している酸素と水素(水)と炭素と窒素であることは自明です。それに、微量の鉄やマグネシウムや亜鉛などのミネラル分が関わっているのです。植物は、水と空気と太陽光を使って、いわゆる炭水化物を作る事が出来ますが、昆虫やヒトを含む動物は全て植物に依存し「それに生かされているのだ」、と言えるでしょう。自然が作った食物(物質)連鎖の巧さと絶妙なバランスに日々感心しながら散歩する毎日です。

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2020年8月 2日 (日)

3801 ダム問題

この国のスポークスマンである人が、洪水対策として治水ダム以外の、発電ダムや農業用水ダムなどを、治水目的に臨時的運用する政策を強調していました。そもそも、各地のダムは目的別に、国交省や農水省あるいは経産省などに縦割れに管轄が分かれていました。従って、ある地域で洪水が予想された場合は、国交省が地域で管轄するダムの水量を減らして対策を進めますが、農水省や経産省は見て見ぬフリをしていたのでした。それが、連携して洪水対策をすることになったと主張するのです。
しかし、考えてみれば国交省が成功例として挙げるのは、台風19号に対しての八ッ場ダムによる大洪水防止のケースですが、そもそもこれは完成直後で殆ど空っぽであった偶然のラッキーケースであり、通常の運用であった場合は、事前の放水に時間が掛かり、間に合っていなかったと言えるのです。ダム放水がどのくらいの時間で可能かは、ダムの規模によって異なるのでしょうが、とても1日程度で空っぽにするのは無理でしょう。逆に、放水による下流の人工的な洪水が心配になるからです。そもそも、そんなに一気に放水が出来るほど、放水ゲートを巨大に設計している筈もありませんが・・・。
とすれば、ゲリラ豪雨や想定外の台風豪雨による1日か2日で生ずる急激な増水と洪水対策として、既存のダムが有効な対策になるなどとはとても考えられないのです。中途半端な放水では、流入する水量に追いつけず、結局は緊急放流をしてダムの越水を防止するしかないでしょう。投稿者の様な素人がざっと考えても、ダムの洪水対策としての有効性には大きな疑問符がつくのです。逆に、ダムの洪水防止機能を過信する結果、ダムの下流域に根拠の無い安心感が蔓延し、イザと言うときに洪水による人的被害の多発が懸念されるのです。
そうではなくて、100年に一度の洪水が頻発する様になってしまった現在、ダムに洪水対策機能を求めるのは無理な相談なのです。私たちは、先ずはかつての氾濫原だった場所に住むのを止め、洪水時は兎に角安全な場所に避難するしかないと思うのです。中途半端にダムに頼るのは、大きな犠牲を生む原因にもなり得るのです。人間の営みは、自然現象に対してはあまりにも非力であり、私たちは自然を畏怖しながらどうにか自分たちの身を守るしかないと思うのです。

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2020年8月 1日 (土)

3800 ジャコウアゲハ(温暖化指標生物)

毎日の散歩コースには、川沿いの堤防道路が含まれますが、その堤防道路に入った辺りで、ジャコウアゲハが飛んでいます。最初は、単に色が黒いのクロアゲハと思っていましたが、写真に撮ってネットで調べる黒いアゲハ蝶にも数種類あって、見かけたのはジャコウアゲハであることが判明しました。もう少し調べると、このアゲハの繁殖の北限は、どうやら秋田県であるとのこと。太平洋側で見ると、今年宮城県の登米市の北上川畔で10年ぶりに確認されたのがニュースになっていたので、夏場の秋田は緯度で見れが比較的暖かい地域になる様です。
去年は、別の散歩コースを歩いていたので、このジャコウアゲハには気が付かなかったのですが、もしかすると登米市と同様10年ぶりの北上だったのかも知れません。このチョウは、自分の身を守るために、幼虫が毒草である「ウマノスズクサ」を食べて体内に毒を蓄えるのだとか。きっと、見かけた堤防の近くにこの植物が生えていたのでしょう。ネットの記事によると、毒を持つこのチョウの幼虫や成虫を捕食した動物や鳥などは、激しい嘔吐に襲われるのだとか。
調べていて、北限でこのチョウを実際に見かけたり、見かけたというニュースが流れるという事は、もしかすると温暖化が急激に進んでいる証左なのかも知れないと思いました。実際、冬眠しないニホンジカは既に白神山地に入ったと言うニュースが最近流れましたし、同様に冬眠しないイノシシの北上も進んでいる様なのです。秋田県では数年前からイノシシの目撃情報がボチボチ出ている様で、北上の最前線になっている様です。確かに、昨シーズンは海岸に近い投稿者の住む地域では、積雪が極端に少なく、住宅の周りの除雪も殆ど不要でした。確かに、冬眠しない動物にとっては、積雪が数十センチもあれば、食物にありつけず越冬は出来ませんが、それより積雪が少ないと、土を掘って、植物の根などを見つける事は可能でしょう。ニホンジカは、樹皮をエサとしているので、かなりの積雪があってもあまり障害にはならないでしょう。あとの棲息条件はと言えば気温でしょう。たとえ冬場に零下になったとしても一桁であれば、多分越冬は出来ると想像しています。
ジャコウアゲハから、イノシシやシカの話になりましたが、この様な温暖化指標生物(植物、昆虫、動物)に、今後とも注目していきたいとは思います。

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