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2020年9月12日 (土)

3833 コロナ後の社会3

コロナ後でも、私たちの基本的な生活が無くなってしまう訳ではありません。それどころか、社会の7-8割は、社会の基盤を支えるために、慣性を伴うゆるぎない流れを持っていて、事実上止まることも止めることも出来ないでしょう。これを世の中のベースと呼んでおきます。コロナで最も打撃を被ったのは、その上に乗った2-3割の産業だったのです。それは、いわゆるサービス産業と呼ばれる分野です。つまりは、観光や旅客輸送やエンタメや外食産業、接客業など対面でのサービスを提供する商売です。
それらは、勿論不要不急だから人々の接触の機会を減らすために自粛の要請をされた訳で、事実全国レベルの自粛要請でも、私たちはストレスは感じたものの特に生きていくには不自由は無かったのでした。つまり、影響を受けた商売は、社会の余裕の部分で成り立っていた産業だったとも言えそうです。勿論、人間は余裕が無い生活に長期間耐えるのは難しいでしょう。ストレスに弱い人達は、体だけではなく精神的にも変調をきたしてしまうかも知れません。
かといって、バブル期の様に世の中が余裕でダバダバになった時代は、やはり異常だったと言うしかないでしょう。では、コロナ禍の直前の状況を思い起こし、ベースと余裕のバランスがどうだったのか考えてみます。ひいき目に見ても、あれはミニバブル期だったと言うしかないでしょう。世の中には、N銀が増刷した?低金利のマネーがダバダバに流通し、タワマンに人気が集まり、人々は熱に浮かされた様に、国内や海外旅行に出かけたのでした。リーダーが、地球の裏側まで土管を通って出かけ、ピエロ(マリオ?)になってまでオリンピックを誘致・喧伝し、インバウンド旅行客も3千万人レベルまで引き込んだのでした。これをバブルと呼ばずになんと呼ぶのでしょう。90年代が、土地&金融バブルだったとすれば、これは「余暇バブル」とでも呼ぶのでしょうか。
私たちは、ベースと余裕のバランスを取り戻さなくてはならないと思うのです。盆と正月とお祭り程度しか楽しみの無かった時代もありましたが、コロナ禍前のレベルを考えると、余裕の部分は半分程度でも十分に余裕を感じられると想像しています。つまり、旅行や外食や飲み会の回数も半分程度に、日用品以外の買い物を半分程度に減らしても、誰も何も困らないでしょう。それどころか、旅行や買い物の機会が半分減ると、次の観光やショッピングを待つ楽しみが、多分倍以上には大きくなると思うのです。子供の頃、待たされて待たされて、やっと買ってもらったオモチャを手にした時の感動を思い出してみてください。年に一度、クリスマスイブにホールケーキを切り分ける時の、子供たちの狂喜を思い出してください。長い休みの時には、父の親戚や母の実家に泊りがけで出かけた時、大人にチヤホヤされた時のうれしさを思い出すべきです。
コロナ禍を機会に、余裕を削って、少しの我慢を楽しむゆとりを持ちたいものです。サービス業に従事する人たちには申し訳ありませんが、社会の余裕の甘い味の汁を吸う側ではなく、ぜひ農林水産業や製造業に戻ってきていただき、社会のベースを支える側に回って貰いたいものです。
それでなくとも、私たちは既にモノ造りの多くの部分を海外に依存し、建設業や農林水産業では、海外からの労働者にかなりの部分を頼っているのですから・・・。この項一応終わります。

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