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2020年10月27日 (火)

3846 カーボンニュートラル

新しいリーダーが、所信表明演説の中で、2050年度カーボンニュートラルを声高に宣言した様です。これで、この国もやっと欧州の環境先進国と「目標ベース」では肩を並べた訳ですが、実情はまだ何も決まっていない「空箱」と言うしかありません。先ずは、原発の具体的廃炉計画と火力発電所、とりわけ石炭火力発電所を止めるための、ロードマップが必要でしょう。
しかしながら、そのアプローチを間違えると、無駄な税金を費やしてしまう可能性も出てきます。つまり、現在の負荷を前提にして、ロードマップを作ると、過剰な投資を招いてしまうでしょう。優先順位は、先ずは「省エネファースト」なのです。先ずは、今より3割程度の省エネを実行しなければならないと思うのです。エネルギーを消費する行動を、先ずは1/3程度減らす努力を試行するか、あるいは今より性能を上げて3割の省エネを実現する機器を開発するのです。勿論優先順位は、節約です。どの様な道筋で考えても、エネルギーの浪費をそのままに、メーカーの省エネ製品をあてにする訳にはいかないのです。ラッキーにも、メーカーの省エネ技術が進歩すると、節エネとの相乗効果で、カーボンニュートラルの時期が早まるかも知れません。
一方で、3割の節エネと機器の3割の省エネ性能向上が実現できたとして、エネルギー消費は今の半分程度にしか落ちません。再エネ率は自動的に上昇しますが、やはり原発と火力発電を無くすためには、再エネのポテンシャルを見つけなければなりません。
一つは太陽光発電です。とは言いながら、今以上原野や田畑をつぶす訳にはいきません。優先順位を「屋根発電」に集中すべきでしょう。屋根は風雨を防ぐ以外には活用されていませんので、助成金を乗せると同時に、義務化も併せて住宅や工場やビルでの屋根発電を画期的に増やす必要があります。次に、太陽熱の有効利用です。暖房給湯に使われる電気エネルギーは膨大ですが、貴重な電気を熱や冷熱を作るのに費やしては、カーボンニュートラルは何時になっても実現できません。太陽熱や地中の冷熱を有効利用する事によって、大幅な電力の削減が可能となるでしょう。もう一つやるべき施策は、なるべく人やモノの移動を減らす努力の背中を押す事です。コロナ騒ぎで、人の移動は随分減ってしまいました。ネットを使った人と人の交流が増えたからです。逆の、ネット通販が増え、流通業の仕事は増え、結果として流通に関わるエネルギー消費もかなり増えたでしょう。しかし、同じルートを別々の業者が走り回り、宅配をする無駄を考えてそれを減らす工夫をすれば、宅配量が増加してもエネルギー消費を抑える事は十分可能なのです。
国には、ぜひこの様な具体的作戦を立て、同時に地方でお金も回り雇用も生まれる様な、工夫のある施策を形にして貰いたいものです。リーダーが、口だけでカーボンニュートラルを宣言しても、誰も踊ってはくれないのです。

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2020年10月24日 (土)

3845 実体無き社会

日々メディアやネットで見聞きする情報の洪水に触れるたびに、果たしてそれらに実体が伴っているのかどうか疑問が湧いてきます。映像になって流れていたとしても、フェイク画像かも知れませんし、実際の映像だったとしてもある意図をもって編集されているのかも知れません。そうでないにしても、カメラのフレームから外れている場面は、そもそも無視されてしまっている筈です。
そういった画像情報と実体との乖離も確かに気にはなりますが、今の社会は、全ての価値を「お金」に換算してから評価する風潮になってしまった点はもっと気になります。例えば、企業の持つ社会的価値でさえ、株価や時価総額と言ったお金と言う指標で評価するしか方法が準備されていないのです。その企業が、長年あまり目立たないながら社会貢献を続けていたとしても、それがお金の価値として評価されていない限り、社会から適正に評価されることも少ないのです。企業の本当の価値は、企業が存続できる(過剰ではない)適正な利益を出し続けながら、その事業が社会から必要とされるものであり、利益の一部を社会に還元し続けているか否かであって、決して事業には無関係の投資などで儲けて、見かけ上の利益を上げているかどうかではないのです。見かけ上の利益だけを追求した果てに、悪しき結果が露呈したのが、あのバブル期とその後の崩壊でしたし、リーマンショックだったのでした。
また、例えばコロナ騒ぎですっかり火が消えた観光需要ですが、その指標としては、何千万人が日本に押し寄せて、彼らがどれくらいお金を落としたか程度の指標しかメディアの表には出てきませんでした。彼らが、この国のどの様な文化や景色や食に触れて感動したのかを示す適当な指標は見つからないのです。まるで形のない、インバウンド客と言う亡霊たちがゾロゾロと通り過ぎた後に残されたのは、使われたお金の記録とごみの山くらいでしょう。毎年毎年右肩上がりで増え続けた観光客の更にこの先を当て込んだ航空業界や輸送業界や宿泊業は、航空機や観光バスや宿泊施設に矢鱈と投資を繰り返し、そうなるであろうと予測された実体の無い数字に帳尻を合わせようと藻掻き続けていたのです。
ネットで日々つぶやかれる大国のリーダーのコメントに踊らされ、ホンの一部しか映されないTVやネット画像に反応し、今や紙幣と言う形さえ無くなったお金と言うコンピュータ上の数字の増減に一喜一憂し、直接会ったこともない人々のネット上の書き込みに脅かされる、バーチャル生活にはソロソロ終止符を打つべき時だと思うのです。実際のモノに触れ、人に直接会って共感し、地に足を付けて実体のある景色の中を歩き回り、五感を使ってそれを感じる事によってのみ、ヒトは生きている喜びを実感できる筈なのです。

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2020年10月23日 (金)

3844 M社の躓き

この国の企業を揶揄する際にしばしば用いられる表現が「技術で勝って、ビジネスで負ける」と言うものです。その意味で、今回のM社の国産ジェット開発の大幅なスピードダウンは、製品を市場に投入する前に、既にこの表現にハマってしまっていたと言えるかも知れません。このブログで何度も書いている様に、製品を市場に出して顧客に使ってもらうには。明確なニーズが見えていなくてはなりません。技術屋経営者が、自社の技術力を確信し、製品開発のプロジェクトを立ち上げたとしても、それを必要とする確固たる市場のニーズが見えていない限りは、売れる筈もないのです。
コロナ前は、確かにインバウンド需要などとも表現される、海外からの旅行客が大挙して押し寄せ、各地の観光地に溢れていたものでした。しかし、その需要(ニーズ)が砂上の楼閣(旅行バブル)であった事は、そのニーズがこのコロナ騒ぎで全く消えてしまった事で明らかになったのです。ビジネス旅行以外の不要不急の海外旅行などは、お金に余裕のある人たちの物見遊山である訳です。旅行客の間に少しでも旅への不安があれば、楽しみと言う旅の価値が損なわれてしまいますので敬遠され、そのニーズなどたちまち雲散霧消していまうのです。
さて、航空機産業で20年余りメシを食ってきた投稿者から見ても、YS-11の後継機である国産旅客機の開発は、いわば航空業界に携わる人々の長年の夢でもありました。後知恵にはなりますが、開発のベストタイミングで、かつ最後のタイミングは、実のところ1980年代だったと今振り返っています。と言うのも、戦時中種々の航空機製造に関わった優秀な航空技術者が、そのまま戦後のYS-11のプロジェクトに関わった筈なのですが、YS-11プロジェクトの中心だった技術者が現役を退く時期が、実は1980年代に掛かっていたのでした。つまり、80年代こそが小型旅客機開発の技術やノウハウが、(失敗経験も含めて)世代を超えて若手に伝えられる最後のチャンスだったとも言えるのです。
それができなかった時代背景で、21世紀に入ってやっと始まったM社の小型旅客機の開発は、技術的にはほぼゼロからの出発となり、開発過程で報道されただけでも5回ほど大きな問題を起こして、その都度スケジュールの遅れも発生したのでした。小さな家電品などの開発とは異なり、航空機は安全性が最優先されるプロダクトであり、製造許可である型式証明を得るのに、数多くのハードルが待ち構えて居た訳です。それを、YS-11の経験者も居らず、たかだか米国の機体メーカーの機体の一部を下請け生産していただけの実績しかなかった企業が、目論見通りに開発を成就させるのは、土台無理な相談だったと言うしかないでしょう。このプロジェクトが今後どうなるかは見えていませんが、例えば航空機産業に全く関係のないお金持ち企業にでも買い上げて貰うしか道は無いのかも知れません。流石の「大M菱」と言えども、1機も引き渡しができていない状況で開発費(=赤字)を垂れ流す負担には耐えられないでしょう。

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2020年10月15日 (木)

3843 AI考

30代に読書人間になって以降、Y老孟司から多大な影響を受けてきました。解剖学と言う切り口から入りながら、脳や体や生物や社会の仕組みをスパッと分析して見せる知性には、最初から脱帽しっ放しでした。その氏が、何人かの知性とAIに関して対談している文庫本はなかなかに刺激的でした。とは言いながら、対談の内容をフムフムと鵜呑みにするのもどうかと思い、自分なりのAIに対しての考え方を書いてみたいと思います。
さて、AIを語る上で欠かせないのは、いわゆるビッグデータでしょう。顔認証AIの場合は、人種。性別などを跨いで、しかも色々な表情変化を集めた膨大な顔データを機械に覚えさせ、機械の中で同一人である事を判定するための「パターン化」を学習させるのだと想像しています。しかし、それは人間の顔認識プロセスとは大きく異なる筈なのです。人間の場合は、人の顔をチラッと眺めただけで、その顔にある特徴的な点を瞬時に把握し、その特徴だけをピンポイントで脳に焼き付けるのでしょう。ですから、目つきにだけフォーカスしてしまうと、鼻や口や頭髪などの周辺情報は飛んでしまう事でしょう。
しかし、機械はそうではありません。顔の特徴を、輪郭から顔の部品まで網羅的に認識するからです。しかしながら、AIの最大の特徴は、顔認識でもそうですが、特定のプロセスが必ずしも、明確ではない点だと思っています。つまり、AI顔認識では先ずは、ある人物と監視カメラの人物とは、95%の確率で同一だとの結論を出す訳です。しかし、それは何故かと問われても、機械がそう言っているとしか答えようがありません。学習を深めれば、確率は向上するのかも知れませんが、どこまで行っても機械の認識と真実との間には、僅かであっても誤差が生ずるのは不可避でしょう。それを、敷衍すると機械が作った「疑似真実」と「本物の真実」との間の乖離は、影響に埋める事は出来ないと結論するしかないのです。
例えば、自動運転車が認識している車の外の状況は、あくまでいくつかのカメラが認識し、コンピュータの中で合成した状況であり、少なくとも人間が認識した状況とは差があるのが当然でしょう。従って、その差(いわゆる機械の誤認識)が原因となる事故が発生するのはむしろ必然でしょう。人間が運転している場合は、もし運転者の過失が原因であれば、事故の検証の結果によって罪の重さが決まりそれなりに明確ですが、自動運転車の場合一体誰が、どの程度の罪を負うべきかが問題になり続けるでしょう。
結局何処まで行っても、人間が直感で処理している、0と1の間の値は、コンピュータには絶対補完できない芸当だと言う当たり前の結論に至りるのです。つまり、機械に虹の7色の間にある無限のグラデーションや自然の中にある無限の環境のグラデーションなどを理解させることは、永遠に無理で、それがAIの限界だと言うしかなさそうです。そんな限界のあるシステムに、私たちの命を100%任せる事など出来ない相談なのです。全く運転ができない人に100%の自動運転車を運転させることなど絶対させてはならないでしょう。続きます。

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2020年10月13日 (火)

3842 百年の計2(世代間エゴ)

百年の計を立てる時に、障害の第一位に上がるのが、世代間エゴでしょう。つまり、まだ見ぬ子孫の幸福よりは、先ずは今生きている世代の幸福が優先されがちになるからです。現世代は、自分たちが今ヒモジイのに、将来世代のヒモジサまでは責任が持てないと主張するのです。しかし、戦後(今や高齢者となった)自分たちの親が、自分たちの食べる分を削っても、子供に食べさせていたことを、私たちは忘れてはいないでしょうか。その頃に比べれば、今はヒモジイのではなく、実は贅沢ができないことを嘆いているだけの様に見えます。
ハレの日ケの日ではありませんが、かつてのハレの日は、盆と正月と祭りの日と祝いの日くらいだった筈です。その他の日は、一汁二菜程度の質素な食事をしていたと振り返るのです。ケーキが口に入るのは、それこそ年に数回、甘いお菓子が思い切って食べれるのは遠足の日くらいだったのです。今、スーパーやコンビニの陳列棚に並ぶお菓子の種類の豊富さと量は、間違いなく度を越えているでしょう。それは、間違いなくコマーシャリズムは、際限なく湧き出してくる人間の欲望を満足させることだけに注力してきた結果でしょう。つまり、ベース食品ではない嗜好品と言う贅沢品の市場だけが突出して拡大してきたと言えるでしょう。
嗜好品の原材料は高価です。例えば、嗜好品を生産するための、コーヒーやカカオや植物油や砂糖などを得るために、途上国の農地がどれほど占拠されているか、それ想像するだけでこれらの嗜好品を口にすることが憚られます。これらの農地を拡大するために、どれほどの原生林が焼き払われているか(環境が破壊されているか)を想像出来れば、二度と口するまい、と思える筈です。しかし、明日になれば私たちはそのことを忘れ、また嗜好品を手に取り口してしまうでしょう。
百年の計を立てるには、私たちは先ずは自らを律する事から始めなければならないのです。そのためには、何が贅沢品あり、何が日常品であるかの峻別から始めなくてはならないと思うのです。考えてみなければならないのは、私たちの多く(殆ど)が、既に贅沢品の中毒に陥っていると言う事実です。例えば、お酒やコーヒーや甘いお菓子やチョコレートを絶つと、かなりの人たちが禁断症状を示すでしょう。禁断症状とは、中毒に陥っている証左だからです。贅沢品の禁断症状を無くすには、原因となる商品を、徐々に減らして行くしか良い方法は無さそうですが、それが将来世代のためと考えれば、それは十分可能でしょう。投稿者としても、まだ見ぬ世代の幸福の事を、一日に一度くらいは思い致しながら暮らす事にしましょう。

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2020年10月10日 (土)

3841 百年の計

ミニ遠征に出ていたためしばらくぶりの投稿です。さて、人間が、今だけを生きる動物と違って、真に人間らしいのは、未来を想像できる点にあると思っています。だからこそ、未来に向かって百年の計も立てることができる筈なのです。然るにです、国の予算を編纂するこの時期に、事実上青天井のコロナ対策予算にかこつけて、役人たちが政治屋たちとつるんで良からぬ策略を巡らしている様なのです。つまり、これ幸いとばかりに自分のテリトリーの予算を目いっぱい膨らませて予算要求をすると言う動きです。お役所の予算は、実績主義ですから、コロナで予算を大きく膨らませることができれば、予算枠が小さくなっても、自分たちの分野の予算の割合を大きくすることが可能になるのでしょう。
良からぬ策略の例の一つが、コロナ予算として、なんと月旅行プロジェクトの予算が計上され様としているのです。その予算要求の「理屈」ですが、月に旅行するための宇宙船では、当然の事ながら宇宙飛行士は、完全に隔絶された空間で長期間過ごす事になるのですが、それはコロナで、患者を隔離する技術を磨くことに資すると言う立派な「屁理屈」をこねている様なのです。もしこんな屁理屈がまかり通るなら、事実上どんな予算要求でも、コロナに引っかけてしまう事も可能になるでしょう。例えば、道路だって、コロナ患者を搬送するために無くてはならないでしょうし、箱物(建物)だってイザという時にはコロナ患者を隔離するために転用が可能だと言えば、必要だと言う屁理屈もこねられるでしょう。
長くても来年の予算や精々数年先の近視眼的な見方しかできない役人や、自分の票集めにしか興味が無い政治屋に、この国の国家百年の計を任せておくことは、どうやら無理だろうとの思いは、今回のコロナ予算を眺めていてますます強くなってきました。では、どうすれば良いかですが、今の選挙の仕組みでは、国民は直接的には如何ともしがたいのですが、しかしダメはダメとして庶民が声を上げていくしかなさそうです。幸いにも、今はSNSの時代です。政治屋も、日々つぶやきを発信し続ける時代でもあります。ならば、国家百年の計としての正論をつぶやいて、それを拡散し続けていくしかないと思うのです。続きます。

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