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2020年10月23日 (金)

3844 M社の躓き

この国の企業を揶揄する際にしばしば用いられる表現が「技術で勝って、ビジネスで負ける」と言うものです。その意味で、今回のM社の国産ジェット開発の大幅なスピードダウンは、製品を市場に投入する前に、既にこの表現にハマってしまっていたと言えるかも知れません。このブログで何度も書いている様に、製品を市場に出して顧客に使ってもらうには。明確なニーズが見えていなくてはなりません。技術屋経営者が、自社の技術力を確信し、製品開発のプロジェクトを立ち上げたとしても、それを必要とする確固たる市場のニーズが見えていない限りは、売れる筈もないのです。
コロナ前は、確かにインバウンド需要などとも表現される、海外からの旅行客が大挙して押し寄せ、各地の観光地に溢れていたものでした。しかし、その需要(ニーズ)が砂上の楼閣(旅行バブル)であった事は、そのニーズがこのコロナ騒ぎで全く消えてしまった事で明らかになったのです。ビジネス旅行以外の不要不急の海外旅行などは、お金に余裕のある人たちの物見遊山である訳です。旅行客の間に少しでも旅への不安があれば、楽しみと言う旅の価値が損なわれてしまいますので敬遠され、そのニーズなどたちまち雲散霧消していまうのです。
さて、航空機産業で20年余りメシを食ってきた投稿者から見ても、YS-11の後継機である国産旅客機の開発は、いわば航空業界に携わる人々の長年の夢でもありました。後知恵にはなりますが、開発のベストタイミングで、かつ最後のタイミングは、実のところ1980年代だったと今振り返っています。と言うのも、戦時中種々の航空機製造に関わった優秀な航空技術者が、そのまま戦後のYS-11のプロジェクトに関わった筈なのですが、YS-11プロジェクトの中心だった技術者が現役を退く時期が、実は1980年代に掛かっていたのでした。つまり、80年代こそが小型旅客機開発の技術やノウハウが、(失敗経験も含めて)世代を超えて若手に伝えられる最後のチャンスだったとも言えるのです。
それができなかった時代背景で、21世紀に入ってやっと始まったM社の小型旅客機の開発は、技術的にはほぼゼロからの出発となり、開発過程で報道されただけでも5回ほど大きな問題を起こして、その都度スケジュールの遅れも発生したのでした。小さな家電品などの開発とは異なり、航空機は安全性が最優先されるプロダクトであり、製造許可である型式証明を得るのに、数多くのハードルが待ち構えて居た訳です。それを、YS-11の経験者も居らず、たかだか米国の機体メーカーの機体の一部を下請け生産していただけの実績しかなかった企業が、目論見通りに開発を成就させるのは、土台無理な相談だったと言うしかないでしょう。このプロジェクトが今後どうなるかは見えていませんが、例えば航空機産業に全く関係のないお金持ち企業にでも買い上げて貰うしか道は無いのかも知れません。流石の「大M菱」と言えども、1機も引き渡しができていない状況で開発費(=赤字)を垂れ流す負担には耐えられないでしょう。

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