« 3841 百年の計 | トップページ | 3843 AI考 »

2020年10月13日 (火)

3842 百年の計2(世代間エゴ)

百年の計を立てる時に、障害の第一位に上がるのが、世代間エゴでしょう。つまり、まだ見ぬ子孫の幸福よりは、先ずは今生きている世代の幸福が優先されがちになるからです。現世代は、自分たちが今ヒモジイのに、将来世代のヒモジサまでは責任が持てないと主張するのです。しかし、戦後(今や高齢者となった)自分たちの親が、自分たちの食べる分を削っても、子供に食べさせていたことを、私たちは忘れてはいないでしょうか。その頃に比べれば、今はヒモジイのではなく、実は贅沢ができないことを嘆いているだけの様に見えます。
ハレの日ケの日ではありませんが、かつてのハレの日は、盆と正月と祭りの日と祝いの日くらいだった筈です。その他の日は、一汁二菜程度の質素な食事をしていたと振り返るのです。ケーキが口に入るのは、それこそ年に数回、甘いお菓子が思い切って食べれるのは遠足の日くらいだったのです。今、スーパーやコンビニの陳列棚に並ぶお菓子の種類の豊富さと量は、間違いなく度を越えているでしょう。それは、間違いなくコマーシャリズムは、際限なく湧き出してくる人間の欲望を満足させることだけに注力してきた結果でしょう。つまり、ベース食品ではない嗜好品と言う贅沢品の市場だけが突出して拡大してきたと言えるでしょう。
嗜好品の原材料は高価です。例えば、嗜好品を生産するための、コーヒーやカカオや植物油や砂糖などを得るために、途上国の農地がどれほど占拠されているか、それ想像するだけでこれらの嗜好品を口にすることが憚られます。これらの農地を拡大するために、どれほどの原生林が焼き払われているか(環境が破壊されているか)を想像出来れば、二度と口するまい、と思える筈です。しかし、明日になれば私たちはそのことを忘れ、また嗜好品を手に取り口してしまうでしょう。
百年の計を立てるには、私たちは先ずは自らを律する事から始めなければならないのです。そのためには、何が贅沢品あり、何が日常品であるかの峻別から始めなくてはならないと思うのです。考えてみなければならないのは、私たちの多く(殆ど)が、既に贅沢品の中毒に陥っていると言う事実です。例えば、お酒やコーヒーや甘いお菓子やチョコレートを絶つと、かなりの人たちが禁断症状を示すでしょう。禁断症状とは、中毒に陥っている証左だからです。贅沢品の禁断症状を無くすには、原因となる商品を、徐々に減らして行くしか良い方法は無さそうですが、それが将来世代のためと考えれば、それは十分可能でしょう。投稿者としても、まだ見ぬ世代の幸福の事を、一日に一度くらいは思い致しながら暮らす事にしましょう。

|

« 3841 百年の計 | トップページ | 3843 AI考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 3841 百年の計 | トップページ | 3843 AI考 »