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2020年11月26日 (木)

3855 断熱・遮熱

エネルギーの熱利用で、最重要な事は、逃げやすい熱エネルギーを出来るだけ留め続けておくことです。「熱・温度」の本質とは、物質の振動の程度の指標であり、温度が高いほど、物質の原子振動が激しくなっていて「熱い」訳です。しかし、周囲温度に比べて温度が高い物質ほど、急激に温度が下がっていきます。その際、物質はエネルギーの一形態である赤外線を放出(放射)しながら冷めていくのです。赤外線は、電磁波の一種(ある波長範囲の電磁波)であるため、いくつかの方法で、その放射を抑制する事が可能なのです。
一つの方法は、断熱材です。断熱の本質は、熱源と周囲温度の間に断熱材を置く事により、温度勾配を小さくすることによって、赤外線放射を抑制しようとするものです。断熱材の一種である衣服は、それによっていくつかの空気層を形成する事によって、体表面からの放熱を抑制するのです。肌着は、体温とほぼ同じ温度になっており、シャツやセーターや外套と外に向かって徐々に温度が下がっていく訳です。
別の方法としては、赤外線を反射させて、熱源に戻してやる方法があります。つまり、光も電磁波ですが、電磁波は反射させることができるのです。アルミを蒸着させた衣服や、ガラス瓶で出来ている保温瓶にもやはりアルミ蒸着が施されている所以です。
いずれにしても、モノの温度を保つには、断熱や遮熱を施す必要があると言う事なのです。暖房で温めた部屋や、逆に冷房で冷やした部屋の温度を保つのに、冷暖房機を連続的に運転するのではなく、性能の高い断熱材や遮熱材を施してやれば、消費するエネルギーは大幅に節約することも可能になるのです。
初期投資のみにこだわり、断熱材や遮熱材をケチれば、その家や建物のランニングコストは高いままで推移しますので、ライフタイムコストの総額は、逆に大きくなってしまうのです。この場合のコスト増は、そのままエネルギーの増加=CO2の増加ですので、熱源を何に求めるかと同様に、いやそれ以上に断熱・遮熱性能は重要なファクターなのです。合理的な欧州(取り分け北欧)の住宅に、厚い断熱材使われているのは、我々にとっても大いに参考になるでしょう。


 

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2020年11月24日 (火)

3854 エネルギーの熱利用

エネルギー問題では、とかく電力をどうやって得るかと言う問題だけがクローズアップされがちです。つまり、化石エネルギーを使ってCO2を出しながら発電するのか、あるいは再生可能型のエネルギー源で作り出すのかと言った論争です。しかし、考えてみれば、電気の形でエネルギーを使うのは、例えば動力利用やOA機器や照明のための電力程度であり、多くの部分は熱としての利用であることに気が付きます。工場でのプロセス加熱、冷暖房、給湯、調理などなどで、我が家の分析では、75%以上は(カロリーベースでは)熱利用となっていたのです。つまり、日々の入浴や給湯、冬季の暖房、短い期間ですが夏季の冷房、調理のためのLPGや電気調理器などにおける熱エネルギーとしての利用が殆どで、照明やテレビなど電力でなければならないエネルギーの割合は10%に満たない程度だったのです。
ならば、エネルギー問題は電力問題ではなく、「熱源問題」であると言い換えができると思うのです。我が家では、ペレットボイラを入れてあるので、熱源としては、太陽熱とペレットボイラで殆どを賄い、調理と非常時のバックアップ用で少量のLPGを使っている程度となっています。寒がりの連れ合いは補助的に、エアコンや電熱暖房機も使っていますが、それは急に冷え込んだ日などに限定されています。
一方で、金額ベースでは、当家のエネルギー毎の割合は、電力:ガス(LPG):ペレット=6:4:3程度となっていて、電力はやはり高価なエネルギー源であることも分かります。北国の冬場は別にして、太陽熱は有効な熱源である事は間違いありません。太陽熱は簡単な仕掛けでお湯に変換する事ができます。リアルタイムで太陽熱を利用するには「ソーラーウォール」と言う、黒く塗った熱箱を設置すれば、80℃程度の温風を得ることもできます。事実、ある工場では太陽熱の利用により、年間の光熱費を半分程度まで低減させた例も報告されているのです。我が家の場合、ぺレットボイラだけで100%の給湯を行うとした場合に比べ、4㎡の太陽熱温水器でその4割程度を補っている計算になります。
見回してみれば、身の周りには低温度の熱源が結構見つかるものです。低い温度は低いなりに利用価値がありますので、石油やLPGが発生する1000℃を超える高温で蒸気を発生させ、それでタービン発電機を回して電気を起こし、発生熱の6割近くを煙突や海水に捨てると言う「効率のムダ」を考えると、全く頭が痛くなります。一方、熱を熱として直接利用する場合、変換しない訳ですから効率100%の達成が可能なのです。

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2020年11月18日 (水)

3853 運ばない社会2

私たちが考えてみなければならないのは、石油に替わるエネルギー源を見つけるのではなく、運ぶエネルギーを画期的に減らす事だと思うのです。モノについて言えば。運ぶことによって1円だってその価値は増えないでしょう。もし運ぶことに何らかの価値が見いだせるとしたら、それはある地域でしか取れない産物や製品を、それを作ることができない地域へ運ぶ場合だけでしょう。それは、決してモノの価値が上がったのではなく、ある地域では運んだ事によって、運賃を掛けても、産地より高い「ある値段で売れる」と言う現象でしかない訳です。
人について言えば、運ばれる(移動)の自由は、かなり大切な権利でしょう。封建時代には、移動はかなり制限されていましたし、海外との往来や交易も、鎖国政策によって限定されたルートしか無かった筈です。しかし、ビジネストリップは別にして、航空運賃を採算ギリギリに下げて、庶民が気軽に海外旅行ができる様になったこの時代には、やや疑問が残ります。つまり、物見遊山の旅行の是非です。若い人が見分を広めるために、一度は海外を見ておくのは確かに意味があります。しかし、お金のある年寄りや若者が、買い物やグルメ食が目的で、頻繁に渡航する風潮は、やはり異常事態と言うしかないでしょう。同じことが、急にお金持ちになった、海外の富裕層にも言えるでしょう。一時のブームを良く表している「インバウンド」や「爆買い」と言ったキーワードには、やはり作られた旅行バブルで生み出された、負のイメージが付きまといます。
そうではなくて、運ぶことや人が移動する要否を良く「吟味」してみる事が必要だと思うのです。その機会は、今まさに直面している「コロナ騒動」によってもたらされたと考えるべきでしょう。コロナ禍は、私たちに立ち止まって考えるチャンスをくれたと考えるべきなのです。モノを運ばず、必要なモノを必要な時に、必要な場所で作ると言う究極の地産地消を目指し、移動の自由を無駄に使わず、数少ない旅行の機会を最大限有効に楽しむことによって、移動に要するエネルギーは間違いなく今の半減以下にはできると見ています。事実として、長距離列車による旅行は一時9割以上減りましたし、航空機による移動は今もそのレベルで留まっているではありませんか。それによって、誰かが死んだとか、気がふれたと言う事は今のところ無さそうではあります。運ぶことに意味は無いと割り切るか、あるいは運ぶ必然性のある場合に限定することにより、物流や人の移動により強い意味が生じるでしょうし、エネルギーの浪費も防止できる筈です。

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2020年11月17日 (火)

3852 運ばない社会

より環境負荷の小さい社会の仕組みとして、ここでは出来るだけ「運ばない社会」を提案したいと思います。投稿者の子供時代、運送の手段としては遠距離ではほぼ鉄道だけ、市内などの近距離の運搬では、少ないトラックや馬車と数多くのリヤカーや人が押す四輪の運搬車が活躍していました。勿論、冬季には箱ぞりや馬が引くソリも多用されていたのです。取り分け鉄道は各地の名産品や農産物や工業製品の交易手段として、輸送の大部分を担っていたのです。
勿論、鉄道貨物などは運賃が結構高く、記憶に残っている限りでは、お小遣いが10円程度だった時代、段ボール箱1個で数百円や千円ほど取られていた様に思います。物価から考えれば、多分今の価値にすれば数千円ほどのレベルだったと想像できます。従って、モノを運ぶのは本当にそれが必要なタイミングに限定され、日用品の多くはそれが消費される地元で賄われていたのでした。今日では、それを敢えて「地産地消」などと呼びますが、それが当たり前だった時代が長く続いたのです。
これが画期的に変化したのは、高速道路網の整備が始まって、国道も拡幅・舗装工事が盛んに行われ、トラック便による物流が格段に増えた時代でしょう。この頃(1960年代の終わり)に、自転車で東北地方を旅行した事がありますが、一桁国道でも、ところどころ未舗装の区間が残っていたのでした。しかし、1970年代に入ると、主要国道に未舗装区間は殆ど解消され、トラックでの輸送量が飛躍的に増大したのです。いわゆるモータリゼーションの大波が起こったのでした。二度のオイルショックやその後の石油高の時期を潜り抜けて、輸送手段はさらに空に広がり、新幹線網の整備も相まって、国内の長距離旅行は勿論、海外旅行も庶民レベルに降りて来たのでした。
しかし、現在までのところ、種々の輸送手段のエネルギー源は、殆ど「石油」に限定されてしまっています。理由は明確で、石油は常温で液体であり、可搬燃料として、エネルギー密度の高いエのはほぼ石油に限定されているからです。勿論ある時期にはLPG(液化石油ガス)車が、市内の配送やタクシーには一部使われてはいましたが、燃費ではその後開発されたハイブリッド車に軍配が上がってしまったので、今は殆ど使われてはいないでしょう。残念ながら、航空機燃料を含め、石油代替のエネルギー源は未だ現れてはいないのです。続きます。

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2020年11月16日 (月)

3851 努力はシームレス

環境問題やそれを含むSDGsによるゴール(目標ではない)の解決には、国や企業の努力は不可欠ですが、だからと言って市民が座して眺めていれば良いと言う訳ではありません。それどころか、市民が主体となって考えなければならないと思うのです。市民ができる事は勿論限られてはいます。しかし、70億をはるかに越えてしまったヒトの数(人口)の力は莫大です。
例えば、レジ袋やストローです。この国でのレジ袋の消費量は、一人当たり300枚/程度で、石油換算にすればタンカー2隻分程度と言われていますが、最近スーパーなどで観察していると、かなりの割合でレジ袋を買わない人が増えている様です。レジ袋の有料化を決めるのは、行政や業界団体ですが、そもそもレジ袋を欲しがったのは、市民の側だった筈です。ストローも同じでしょう。カップから直接飲み物を飲むことはできるのに、数分間使っただけでポイ捨てしてしまうストローを欲しがったのは、歩きながら飲み物を飲みたいと言う市民の我がままだったのです。つまり、環境保全(改善)への努力は、市民こそが主体になって進めなければならないと言う事でしょう。
もとより、企業は消費者のニーズにおもねって売り上げを上げ、シェア拡大を図るために、あらゆる努力を払ってきた訳ですが、それを良いことに、私たち市民はその「我がまま度」をドンドン上げて来たと思うのです。それを逆回しするためには、市民は多少の不便は我慢し、企業はより環境負荷を下げるモノづくりを指向し、国は長期的展望に立ってそれを主導しなければならない筈なのです。その方向さえ正しければ、環境負荷は徐々に下がり始めるでしょう。国の役割をもう一つ挙げるなら、その努力の結果を数字として把握し、必要であれば法的あるいは行政指導上の軌道修正を加える事でしょうか。私たちが環境に依存しなければ生きていけない限り、国、行政、市民の努力は、完全に境の無いシームレスでなければならないのです。今日は短く。

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2020年11月14日 (土)

3850 今更宇宙開発?

ややネガティブな投稿が続きますが、今後の社会を展望する上で、3848、3849と併せ、無駄な人材やお金を浪費して貰いたくないための警鐘であると捉えてください。さて、今話題の宇宙開発ですが、先ず投稿者には、一体何を「開発」するのかが全く理解できません。1960年代の人工衛星やアポロ計画の様に、超大国の国威発揚のプロジェクトならいざ知らず、今更月に人を送りこんで一体何しようと言うのでしょうか。火星に人を送るための中継基地を作る準備?往復数年も掛かる火星へ往還ミッションなど、宇宙空間に浮かぶ完全孤立無援の「密室」の中で、孤独感のあまりついには気がふれてしまう?宇宙飛行士を生み出すのが関の山でしょう。月には、大気が殆ど無く兄弟星の地球とほぼ同じ岩石や砂があり、火星にだって薄い濃度のCO2以外大気らしいものはなく赤ちゃけた大地が広がるだけなのです。呼吸し、食事を摂り、排せつしなければならない人間を、月や火星に送るための生命維持装置の重量はかなりのモノでしょうから、ロケットや宇宙船も巨大なサイズになってしまうのです。
もし学術的な探索がしたいのであれば、月でも、火星でも無人機を送り込むだけで十分でしょう。人を送る意味は、多分ナショナルプロジェクトを成功させ、一人か数人の宇宙飛行士と呼ばれる英雄を祭り上げる事によって、国の威信を示し、衆目をそのプロジェクトに集めるくらいの意味しか考えられないのです。国威発揚だけのために、一体どれほどの人材や機材や予算を投じなければならないのかを考えるだけで、あまりの勿体無さに頭痛がしてきます。
断言しますが、強烈な宇宙線(放射線)も降り注ぐ宇宙空間には無重力と真空と暗黒しかないのです。月や地球以外の惑星に降り立っても、酸素の豊富な大気や液体の水などは存在せず、殺伐とした荒野が広がっているだけなのです。直射日光が当たる半球は高温となる一方、陰になる半球ではマイナス何十度にもなるでしょう。灼熱と極寒の大地なのです。そこに人を送り込む名誉を手にしたところで、問題山積の地球環境悪化の解決には、全く何の役にも立たないのです。そんな人材とお金を注ぎ込むなら、SDGsのターゲットに一歩でも半歩で近づくために振り向けて貰いたいものです。優秀な人材と貴重な予算の浪費にこれ以上黙ってはいては、未来に生きる子孫に申し訳が立たないでしょう。何より、人一倍優れた頭脳と強靭な肉体を持つ宇宙飛行士を、危ないだけで何の役にも立たないミッションに向かわせ、帰還後は無垢な若者や子供にいたずらに宇宙旅行の夢を語らせる「宇宙ピエロ」にしてはならないのです。

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2020年11月13日 (金)

3849 空飛ぶタクシーは飛ばない

昨日に続いてややネガティブな投稿になります。ドローン型や、車に翼を付けた軽飛行機型の空飛ぶ車の発表や再発表が続いています。再発表と書いたのは、思い起こせば1950-60年代にも、軽量化された車に翼を付けた空飛ぶ車がいくつも試作された時代があったからです。その時は、先進的過ぎて、かつ高価過ぎて夢の空飛ぶ車で終わったのでした。しかし、今回は特に車メーカーも力を入れて開発に邁進していることもあり、実用に近いものが急速に続々と発表されている様です。特にお隣の韓国では、ナショプロと位置付けて、開発のピッチを上げていると思われます。
しかし、元技術屋の目で見ても、空飛ぶ車程危険な乗り物は存在しないと言えるのです。その前に、そもそも私たちは二次元で動く車の事故さえ無くすことには成功していない事実を直視すべきででしょう。事故にはいくつかのファクターがあるのでしょうが、大きくは1)車自体の劣化や故障によるものと、2)運転者の操作ミスに起因するものが挙げられます。ここでは豪雨などの天候異常や地震になどの3)天変地異によるファクターは除いていますので、いわゆる人為的な原因によるものだと言えるでしょう。
2)のファクターによる事故を防ぐためとして、いわゆるスマアシや自動運転車なども開発されては来ましたが、1)の車載コンピュータの誤作動や、アクセル・ブレーキ系統の故障に関してはほぼお手上げ状態だと言うしかありません。何故なら、運転者は車のメンテナンスにはできるだけお金は使いたくはないし、同じ車をできるだけ長く使い続けようとする傾向にあり、結果として整備不良の車も多く市中を走り回っていると想像されるからです。
一方、空飛ぶ車に関して言えば、3次元の自由度を持った乗り物であることを忘れてはならないでしょう。飛行体が急激に高度を失い、地面にハードに着地する事を墜落と言いますが、空飛ぶ車の事故では圧倒的にこれが多いと想像できます。そもそも、ヘリの様に機体の最上部のプロペラがあるものは、力学的には浮力の下に重心があり、吊り下げ型なので安定していますが、それでもヘリの事故は耐えません。一方で、ドローン型では浮力と重心がほぼ同じ高さにあるため、基本的には不安定な乗り物だと言えるでしょう。もし、突風に煽られたり、いくつかのローター(プロペラ)が止まってしまった場合、この大型のドローンはバランスを失って、墜落は免れられない筈なのです。飛行体のクラッシュが乗員に甚大なダメージ(多くは死亡事故)を及ぼす事は、折々の飛行機事故の報道でも明らかでしょう。日々快晴で無風が続く筈もありません。山国でもあるこの国では、複雑な風も吹くでしょう。雷雲が来ればダウンバーストも発生するでしょう。そんな気象条件の中を飛ぶ空飛ぶ車は、まるで宙を舞う木の葉の様なものだと言うしかありません。そんな危なくて、しかも天気の良い日にしか乗れない不便な乗り物が、ブンブンと空を飛ぶ時代など絶対来ないと断言しておきます。

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2020年11月12日 (木)

3848 水素社会は来ない

このタイトルもこのブログですでに取り上げてはいますが、最近水素社会の話題がマスコミにかなり頻繁に登場します。先駆者と言えるTヨタ自動者は、時代に先駆けて早々とFCV(水素自動車)を開発してしまったので、水素社会の旗振りをせざる得ない立場だとは思います、しかし、冷静に眺めてみるといくつかの障害が横たわっている事に気付きます。例えば、1)水素をどうやって(どんなエネルギーを使って)作るのか。2)コストはEVと競合できるのか。3)水素インフラをどうやって拡大するのか。4)可燃ガスをボンベに入れて動く車に搭載する危険性をどう回避するのか。などなどです。
更に詳しく言えば、1)は完全な再エネを使って水の電気分解を行って手に入れない限り、炭素フリーエネルギーとは呼べない「まがい物」になってしまいます。現状は、主に石油改質法での水素製造ですので、プロセスからは大量のCO2が出ます。2)EVでは再エネ電力をそのまま動力源として使えますが、水素は先ずその再エネ電力を使って水素を作って、更にそれを、多分化石燃料を使うタンクローリーで流通させる必要があります。つまり、EVよりエネルギー単価が安く炭素フリーになるはずなど無いのです。3)インフラの拡大には、ユーザーの拡大が同時並行で進まなければなりません。しかし、スーパーカー並みにバカ高いMiraiの価格を、今の1/10まで下げられるとも思えませんので、FCVの普及は遅々として済まないでしょう。従って水素ステーションが増えるスピードも遅く、大都市近郊やTヨタの息が掛かっている地域に限定されるでしょう。4)では、現状水素は高圧(100気圧以上)に圧縮して、炭素繊維でグルグル巻きにした金属タンクに入れて車載しています。水素吸蔵合金に水素を吸わせればかなり安全なのですが、これは重い割に吸蔵能力が低く(航続距離が短く)、全く実用的ではありません。FCVが一旦事故を起こせば、ガソリン車よりさらに危険な「爆発事故」となるでしょう。絶対にタンクが壊れない様にするためには、戦車の様に頑丈な(重たい)車にするしかないのです。
いずれの障害も10年や20年で解決するとも思えませんので、投稿者の結論は「水素時代は来ない」です。少なくとも水素自動車時代は来ないとの確信は持っています。

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2020年11月 2日 (月)

3847 登山道

今日、ZOOMミーティングで新しい言葉に出会いました。「日本道」です。これは、華道や茶道や柔道などと同じく、日本の文化を学ぶことを道として究めようとと言う活動の事をさします。そこ(のコミュニティ)では、大きくは次の7つのカテゴリー(道)に分けている様です。
1、日本人が使いたい大和言葉
2、日本人が知っておきたい神話と天皇
3、日本人が生活に生かしたい和食と和食文化
4、日本人が守り抜きたい文化伝統
5、日本人が大切にしたい神社仏閣
6、日本人が誇りにしたい偉人
7、日本人が語り継ぎたい出来事
これに全面的に賛同する訳ではありませんが、いわゆる思想の右左の様に、イデオロギーを振り回すものでなければ、敢えてこのカテゴリー分けに反対する理由はありません。少し偏っている感じは否めませんが。それに加えるならば、投稿者が唯一の趣味と自認している、「登山」のまた「道」になり得るのでないかとふと思いました。登山は、古くから山岳信仰として、人々のココロの拠り所になってきたと思うのです。仕事の忙しい庶民の代表として、山伏と呼ばれる少数の人々が山に入り、修行を重ね、その成果や山々に棲む神々のお告げを里に住む庶民に分け与え、里で亡くなった人々の魂を山に送り届けるために、各戸を訪問して回ったのでした。今も少数の山伏は、各地で活動は続けてはいますが、その風習も文化もやがては忘れ去られる運命にあるのかも知れません。
しかし、参詣道や登山道や修行の道も、人がそこに足を踏み入れ、少しばかり手入れをする事により、道としては残り続けるでしょう。ならば、そこに若い人を含めて立ち入り、登山を続ける中で、伝わる文化もあるのではないかとも思ったのでした。何より、山深い、あるいは標高の高い森林限界を超えた尾根を、時には雨に打たれて歩く事により、自然との一体感の様なものも醸成される筈なのです。人間は、自分と一体と感じた自然を敢えて破壊する様な事を直ちに止めるでしょう。自然破壊は、人間が自然を離れて、そこにあった自然を一度壊して、都市と言う人工空間を作った時から始まったのですから。自然に畏敬の念を以って接し、それを保全する活動を考える中で、真の「環境保全道」を邁進することも可能になると思うのです。「登山道」は、その入り口になり得るかも知れません。

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