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2020年11月18日 (水)

3853 運ばない社会2

私たちが考えてみなければならないのは、石油に替わるエネルギー源を見つけるのではなく、運ぶエネルギーを画期的に減らす事だと思うのです。モノについて言えば。運ぶことによって1円だってその価値は増えないでしょう。もし運ぶことに何らかの価値が見いだせるとしたら、それはある地域でしか取れない産物や製品を、それを作ることができない地域へ運ぶ場合だけでしょう。それは、決してモノの価値が上がったのではなく、ある地域では運んだ事によって、運賃を掛けても、産地より高い「ある値段で売れる」と言う現象でしかない訳です。
人について言えば、運ばれる(移動)の自由は、かなり大切な権利でしょう。封建時代には、移動はかなり制限されていましたし、海外との往来や交易も、鎖国政策によって限定されたルートしか無かった筈です。しかし、ビジネストリップは別にして、航空運賃を採算ギリギリに下げて、庶民が気軽に海外旅行ができる様になったこの時代には、やや疑問が残ります。つまり、物見遊山の旅行の是非です。若い人が見分を広めるために、一度は海外を見ておくのは確かに意味があります。しかし、お金のある年寄りや若者が、買い物やグルメ食が目的で、頻繁に渡航する風潮は、やはり異常事態と言うしかないでしょう。同じことが、急にお金持ちになった、海外の富裕層にも言えるでしょう。一時のブームを良く表している「インバウンド」や「爆買い」と言ったキーワードには、やはり作られた旅行バブルで生み出された、負のイメージが付きまといます。
そうではなくて、運ぶことや人が移動する要否を良く「吟味」してみる事が必要だと思うのです。その機会は、今まさに直面している「コロナ騒動」によってもたらされたと考えるべきでしょう。コロナ禍は、私たちに立ち止まって考えるチャンスをくれたと考えるべきなのです。モノを運ばず、必要なモノを必要な時に、必要な場所で作ると言う究極の地産地消を目指し、移動の自由を無駄に使わず、数少ない旅行の機会を最大限有効に楽しむことによって、移動に要するエネルギーは間違いなく今の半減以下にはできると見ています。事実として、長距離列車による旅行は一時9割以上減りましたし、航空機による移動は今もそのレベルで留まっているではありませんか。それによって、誰かが死んだとか、気がふれたと言う事は今のところ無さそうではあります。運ぶことに意味は無いと割り切るか、あるいは運ぶ必然性のある場合に限定することにより、物流や人の移動により強い意味が生じるでしょうし、エネルギーの浪費も防止できる筈です。

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