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2020年12月28日 (月)

3868 記憶から創造へ2

疑問を持っている子供へ、単に答えをストレートに教えるのは親としては失格でしょう。自分自身がそのダメ親だったので、育った子供たちを見ていてシミジミそう反省しています。子供が出来ない事を「こうやるんだ」と言ってさっさとして見せるのも同様にご法度でしょう。一応の原理を教えて、あとは自分で工夫してできる様にさせるのがベストでしょう。
両者に通ずるのは、要は子供に工夫をさせ、その結果曲りなりにも結果が出て、何らかの達成感を持たせることが必要なのであって、その繰り返しによってのみ子供たちが成長すると思うのです。自分自身の事を振り返っても、商売で忙しい親は基本的には放任主義でした。勿論、方針としてそうだったのではないのでしょうから、たぶん仕方なくそうしていたのでしょう。その分、近所の友達と外で暗くなるまで遊び、時々に親が連れて行ってくれる河口での釣りに興奮し、小学校では学校の近くの模型屋のオヤジが教えてくれる模型飛行機作りに熱中した子供時代を懐かしく思い出します。
竹ひごをロウソクの火を使って設計図通りに曲げ、アルミニウムの管でつなぎ、バルサで出来たリブを渡してセメダインでくっつけ、その上に薄い紙を貼って翼型を作ってゴム動力で飛ばすのです。最低限の材料と、設計図を頼りに完成させ、その後飛ばしてみて重心と浮力中心を合わせる調整をすれば、飛行機は数分間飛び続けるのでした。上昇気流が強い日には、折角作った飛行機が山のかなたに消えて行ってしまった事もありました。
自分自身の経験から言っても、工夫の積み重ねと、その結果生まれた小さな達成感の積み重ねこそが、創造性の根源だと断言できます。もし、今自分が無垢の赤子を育てる機会に恵まれたとしたなら、たぶん創造性に溢れた子供に成長させる自信がありますが、アラ古希に近い投稿者にとってそれは、間違いなく叶わぬ夢になるのでしょう。ここで言いたかったのは、記憶力だけを評価する様な、この国の従来の様な勉強と言う呼び方の教育はすぐにでも止め、子供たちの好奇心と小さな達成感を刺激する様な学習意欲に訴える「学び」に切り替えるべきでしょう。

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2020年12月23日 (水)

3867 記憶から創造へ

ある教育者の言葉です。私たちのこれまでの教育は、子供たち記憶料力と理解力の向上ににだけ向けられていた、と。当然の事ながら多くの試験は、それ(記憶の程度)を試すものであり、受験生はひたすら教科書や参考書の中身を頭に詰め込み続けるしかなかった事でしょう。しかし、人間の脳の能力はそんなものではない筈なのです。つまり、詰め込んだ知識を「応用(または工夫)」し、あるいはそれらを「分析」し、更にはそれらを「評価」し、最終的にはそれらを下敷きにして何かを「創造」できるまでの能力を全ての人は備えていると思うのです。
なのにです。今の学校教育は、大学教育まで含めて「応用」以降の能力は開発されることも無く卒業させられてしまうのです。辛うじて、大学院まで進むと、自分で研究テーマを見つけて、何らかの課題を設定して研究を行い、それを論文にまとめる過程を経験しますので、それなりの能力も身に着けるのでしょうが、そうではないいわゆる「学卒者」は、例えば企業内教育などで改めて能力を開発し直す必要があるのでしょう。
しかし残念な事に、成人の能力開発にはある種の困難が生ずるのです。それは、「脳の可塑性」に関連すると思われます。つまり、少年期を過ぎると脳が「固まってしまい」可塑性が低下するのです。例えば、語学に関して言えば12歳前後を境として、それ以降に言語を習得したとしてもそれは「第二言語」にしかなり得ず、あくまで学んだ言語の一つになってしまうのです。英語が第二言語と設定されているこの国の人々の多くが「英語は苦手」と言い切る所以と言えるでしょう。
言いたいことは、脳の可塑性が十分に高い少年期に、応用や分析や評価や創造と言った能力の開発を手助けしてやれば、創造的な大人に成長し、ひいてはこの国も創造的な国に脱皮できると思うのです。そのためには、この国の教育システムである、先生が一方的に知識を詰め込む「勉強」と呼ばれるTLシステム(Teaching Learning system)から、生徒や学生が主体的に学習するESシステム(Education Study system)への転換を図らなければならないのですが、それには先ずは先生達の意識を変えるための「学習」が必要であるため、数十年単位の時間が必要となるのでしょう。小学生に対し、そもそも英語やプログラミングが苦手な先生に、英語らしきものやプログラミングらしきものを教え込んで貰うだけでお茶を濁す訳には行かないのです。続きます。

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2020年12月22日 (火)

3866 大人の役割

投稿者は、今度誕生日が来ると満70歳ともなりますので立派な年寄りです。さて自分の来し方を見ても、何を成し遂げて、何が成し足りなかったのかを考える時、忸怩たる思いに苛まれます。特に、若い人を育てる事に於いては後悔しきりです。自分自身の子供たちを含め、会社員時代に部下となった人たちを育てると言う視点をあまり強く持っていなかったと猛省しているのです。若い人たちは、勿論放っておいても自ら考え、力をつけてい行くタイプの人たちも少数は居るのでしょうが、大半は大人(や年寄り)が導いてやる方が良く伸びる事ができそうに思うのです。
大人の役割としては、勿論全てのお膳立てを整えて、若い人達にそれを与える事ではありません。そんな事をしても、彼らの力がつかない事は明らかでしょう。何故なら、それでは彼らが自ら考えて行動すると言う能力が使われずに、大人に甘えてしまう事に慣れてしまうからです。そうではなくて、大人が準備すべきは、若者たちが行動を起こしたくなる、あるいは行動を起こさざるを得ない状況を演出してやることだと思うのです。勿論、最初は少し努力をすれば行動し、結果が出るような課題が望ましいのでしょう。そして、彼らの能力も、課題の難易度も同時並行にステップアップすればなお理想でしょう。とは言いながら、課題には歯応えがありすぎて、若者が挫折してしまう様なものも必要でしょう。たとえ一度挫折しても、その後に力をつけて再挑戦するかも知れません。だから、大人の役割は、もし挫折してもそれが今の実力であり、研鑽を重ねればやがてクリアできる筈である、と若者を励ましてやることだと思うのです。
さて衣食住など、今の生活に不都合を感じていない若者は、自分の内側から出てくる「渇望」に不足していますから、当然の事ながら課題など見えにくいでしょうし、向上心も弱いと想像しています。しかし、世の中、特に世界を見回すなら課題は山積している事に気が付くでしょう。それを国連が取りまとめたのがSDGsであり、大きくは17個のカテゴリーの169個の到達すべきターゲット(=ゴール)を定めたのでした。それも2030年までのゴール到達を目標にしていますので、まさに今の若者に向けた課題でもあるでしょう。とは言いながら、その範囲は気が遠くなるほど広く、気が遠くなるほど高い目標なのです。全世界の国々は、軍拡競争や何の役にも立たない宇宙ビジネスなど直ちに中止し、それらのゴールを目指して直ぐにでも行動を起こさなければならない時期なのです。年寄りは、自分たちの幸福はかなり削ってでも、若者たちがそれらの課題に立ち向かうステージを整える事に最大限注力すべきだと思うのです。

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2020年12月19日 (土)

3865 仕事と遊び2

仕事は仕事、遊びは遊びと割り切るのか、あるいは仕事≒遊びの理想を追求するのかは、人夫々の考え方があるのでしょうが、究極の理想は仕事≒遊びで、かつその仕事≒遊びが誰か他の人や社会の役に立つことでしょうか。更に言えば、その仕事≒遊びが、社会の持続可能性の維持・向上に寄与する事であれば万全です。その意味で、投稿者は持続可能性を壊す技術屋を辞め、「環境屋」を目指したのでした。つまり、50歳の時に一度立ち止まって、じっくりと周りを見回してみて、環境屋が最も持続可能性の維持に貢献しそうな気がしたのでした。
他の人や社会に役立つためには、やはり利己を捨てて利他を追求していく必要があるでしょう。とは言いながら、投稿者は年金生活者とは言え、家族を養っていくために、いくばくかの仕事をこなさなければならない立場でもあります。そのために、環境経営システムの審査員の資格を取り、それを主な仕事としているのですが、実際のところ仕事=遊びとはなかなか一致出来ないでもいるのです。その他の仕事、例えば学校や市民向けの出前講師などは、ボランティアベースの活動ですので、結構楽しくこなしてはいるのですが、何しろ前者はしっかりとした料金をいただいていることもあって、かなりの責任も感じてのやや重い仕事ともなっています。
その意味では、純粋な仕事にはしっかりと責任もついて回りますが、一方で仕事≒遊びに責任を負わせる訳には行かないとは言えるのでしょう。とは言いながら、考えてみれば私たち現世代の全員には、今ある環境を悪化させずに子孫に残していかなければならないと言う責任が負わされているのも間違いはないでしょう。ならば、投稿者としては、その責任を果たすべき仕事≒遊び≒環境保全活動となる様に、精々頭と体を使っていくしかないと考えている今日この頃です。

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2020年12月17日 (木)

3864 仕事と遊び

お金のためや誰か他人に命ぜられて仕方なくするのが「仕事」、そうではなくて、楽しい事や逆に辛くても自分だけのために進んで何かするのが「遊び」だと、マーク・トウェインが、トム・ソーヤに言わせています。確かに、多くの仕事は気が重いもので、出来れば早めに切り上げたいと感ずるもので、それから解放されれば、ホッとするものなのでしょう。仕事とは、その意味ではストレッサーでもあり、多くの人は仕事に関しての悩み事を抱えている場合の多いと想像しています。
それに対して、遊びに関しては、時間が無いとか、小遣いが足りなくなると言った悩みこそ聞くことはありますが、遊びや趣味そのものでストレスを感じたり、ましてや精神的に追い込まれるなどの心配は無用でしょう。もし万が一そんなことが起こるのであれば、それを諦めて別の趣味を始めれば良いだけだからです。
一方で、仕事であればそんな簡単に放棄する訳にも行かないでしょう。自営業やフリーランスならいざ知らず、サラリーマンである限り、雇用契約と言う文書に書かれた義務に縛られ、殆どは勤務する時間帯にも縛りがある事でしょう。とは言いながら、今度のコロナ騒ぎで、後者については少し様子が変わっては来ましたが・・・。
さて、投稿者に関して言えば54歳まではいわゆるサラリーマンでしたが、その縛りの中でも30代の中盤以降は、その仕事の中に楽しみ(遊び)を発見しようと努めてはきたものでした。55歳の誕生日を以って、サラリーマンを辞して完全な自営業として独立しましたが、以降は自分で自分を縛る「仕事」とその中で環境に関しての学びを追求する「遊び」を両立させてきたと振り返っています。
そうなのです、親や他人に言われ押し付けられる学びは「勉強」と言う仕事であり、多くの人にとっては苦痛でもあるのでしょう。しかし、自ら進んで知識を増やしたいとの「内なる欲求」から行うのは「学習」と呼ぶべきであって、実は楽しみでもある筈なのです。ましてや、その学習の結果得たものが、自分や他人の役に立ったことが確認された場合には、人は大いなる達成感を得ることもできるのです。
理想を言えば、投稿者の様に仕事≒趣味(学びと言う遊び)であると認識して日々を過ごす事ですが、たとえ一介のサラリーマンではあっても、一度仕事を通じて得られた知識や学び、あるいは気付きを体系的にまとめてみれば、昨日とは少し違う人間に成長できる筈なのです。それに近づけば、仕事≒遊びの理想に、少しは近づく事につながると思うのです。

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2020年12月13日 (日)

3863 コロナ騒ぎ

感染者数が過去最多を更新といったセンセーショナルなニュースが日々流れています。しかし、陽性者の絶対数のみに一喜一憂するのはどうかと思っています。と言うのも、そもそもPCR検査の絶対数と検査数に対する陽性者の率(陽性率)と言う指標も同時に眺めなければ、陽性者数だけでは感染拡大の様子は判断できない筈なのです。つまり、検査数が1日当たりに1万件しかできなかった初期の頃に比べ、現在では平均的にも日々5万件以上の検査が実行されているわけで、初期の頃の一日当たり1000人の陽性者と現在の4000人レベルでは、感染の状況にはそれほど差が無いとも言えるのです。
ちなみに、現在の陽性率は全国平均では低い方の4%台であり、感染が急拡大していると見られている東京でも5%を少し超える程度に留まっているのです。確かに新型コロナウィルスの感染力は、季節インフルに比べても数倍強いと言われており感染も拡大しているのですが、それがこれまでの季節インフルの状況に比べて必ずしも極端に異常であるとも言えないでしょう。
重症者や死者の数については、確かに例外的に若い世代にも犠牲者は出ているのですが、大多数は高齢者でしょう。今は、コロナ禍でパニック状態ですが、毎年この時期になると「高齢者施設での季節インフルへの集団感染で、何名が亡くなった」とか言ったニュースが度々流れている筈なのです。その原因ウィルスが、今年は季節インフルの代わりに新型コロナになっただけとも言えそうなのです。日々報じられる新型コロナの陽性者数や犠牲者は、例えば昨年の同時期の季節インフルに比べてもかなり多くはなっているのでしょうが、現在の様にパニックになるほどの異常事態とも思えません。新型コロナの感染力は確かに強いにしても、強毒性のウィルス株は宿主(感染者)自身が亡くなってしまう事もあり、感染を繰り返す内に徐々に弱毒化すると言う傾向は定説にもなっている筈ですし、いたずらに報じられる感染者の数だけに踊らされパニックになる事態だけは避けたいところです。事実、あの豪華客船が着岸した今年の初めには、日本中がパニックになりかけましたが、今や殆どの人々が新型コロナ慣れをしてしまっている状況になりました。数字だけに一喜一憂すること無しに冷静に暮らしを続けたいものです。

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2020年12月10日 (木)

3862 2050年目標?

この国のリーダーが2050年にCO2排出ゼロを目標とする事を宣言しました。ついに、と言うのかやっとと言うのかは別にして、兎にも角にも西欧と肩を並べる事にはなった訳で、環境人間としては一応喜ばしい事ではあります。一応と断ったのは、先ず「目標」と言う言葉で、SDGsも日本語では持続可能な開発「目標」とされていて、オリジナルの「Goals」がお役人言葉で巧みに言い換えられているのです。ゴールとは、ゴールテープを切る事を意味しますから、たとえゴールに1m届かなくてもゴールした事にはなりません、しかし、目標であればたとえ届かなくても、目標の90%は達成できたとどうにか言い訳はできるでしょう。
CO2排出ゼロに至る考え方も大いに問題です。ガソリン車ゼロと言いながら、ハイブリッド車やガソリンエンジンで発電する電動車をEVであると定義するのは、大手の車メーカーの顔色を覗っているとしか言えない抜け道でしょう。同様に、ウランと言う化石燃料を使う原発を、CO2フリーのエネルギーだとしていることも大問題です。原発の建設にも、維持管理にも、廃炉にも多大なCO2が発生する事を無視しているからです。建設や維持や廃炉に使われる重機などが、全て原発が生み出した電気で動かせるとは到底考えられないからです。EVっぽい車や絶対無くして貰いたい原発まで仲間に入れて、なんちゃってCO2ゼロエミッションを宣言しても空しいだけでしょう。
私たちが先ず為すべきは、ライフスタイルの徹底的な見直しでしょう。コンビニに買い物に出かけるホンの数百メートルも歩かずに車に乗り、たった30分で歩ける距離も電車やバスやタクシーに乗る様な「快適移動」であり、暑くても寒くてもすぐに「エアコン」をつける「快適冷暖房」であり、旬でなくとも食べたい食材が手に入る「贅沢食生活」であり、スイッチさえ入れれば電灯でも家電も直ぐに使える「快適電化生活」などを「手放す覚悟」が私たちに求められていると思うのです。1970年代、私たちが消費するエネルギーレベルは、まさに今の半分で済んでいたのです。それでも、オイルショックが起こって省エネに勤しんだことを振り返っています。とは言いながら、その頃の生活に特に耐えられないほどの不便を感じた記憶も無いのです。
ならば、今70年代に近い暮らしをし様と思えば、少しの不便さえ耐え忍べば、エネルギーを半分に出来るでしょう。つまり、移動は可能な限り歩きや自転車で行い、可能な限り衣服や住宅の断熱で暑さ寒さをしのぎ、旬の食べ物を口にし、スイッチを入れる回数を半分にすれば、70年代成生活に近づけるでしょう。それによって、移動や輸送に関わるエネルギー使用量の半減も視野に入り、電力も半減できるので、多くの火力発電所を段階的に減らし、原発を止める政策も視野に入ってくる筈なのです。国は、(国民ではなく)票田となっている企業(業界団体)の顔色を覗った政策しか打てないし、その企業は景気を良くして(消費を増やして)売り上げを上げる事にしか興味がない事は、高度成長期以降の世の中の動きを思い起こせば、誰の目にも明らかでしょう。先ず必要なのは、次世代を思いやりながら、現世代がライフスタイルを見直す行動なのです。

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2020年12月 8日 (火)

3861 夢の押付け

民間の「宇宙タクシー」を使って、日本人として3度目にISSに乗り込んだ中年の星の話題や、何億キロも旅をして小惑星から星屑を持ち帰ったHヤブサの話題がマスコミを賑わしています。それをテレビで見た子供たちは、宇宙に憧れを持ち、少なからずの子供たちは、将来は宇宙飛行士になりたい、などと言った夢を口にしたりもするのでしょう。しかし、これは無責任な夢の押し付けになっている様な気がしてならないのです。そもそも、ISSについて言えば、その寿命は間もなく尽きる筈なのです。実は、初期にはISSは2020年に退役させることが決まっていたのですが、今はその寿命を延長して使用している段階なのです。ISSと言う高々400㎞上空を周回している飛行体が実現できる実験環境としては、せいぜい無重力くらいしかないのです。無重力化でいくら完璧な合金を作ったところで、いくら優秀な薬品を合成できたところで、それが重力下の地上で再現できる訳もありません。つまりは、科学者や化学者の学問的な満足感で終わってしまうのです。それに、それこそ「天文学的」な予算を注ぎ込んで、しかも無理に寿命を延長しながらISSを運用し、その結果子供たちに自分たちも将来ISSに乗り組んでみたいなどと、実現が不可能な夢を見させるのは、まさに無責任の極みでしょう。今のISSの寿命が本当に切れたとして、では世界が協調してもう一度第二のISSを打ち上げるかと問われれば、自国第一主義が蔓延してしまった今の世界情勢では全く考えられないでしょう。つまりISSは間もなく「巨大な宇宙ゴミ」になる運命なのです。
Hヤブサにしても同様です。もしHヤブサの持ち帰った1グラムほどの砂から、科学者たちが期待する有機物や水が検出されたとして、地球の起源の知見が少し増えるだけでしょう。地球への理解が前に進んだとしても、決してそれで目の前にある地球の環境問題や貧困問題が解決できる訳ではないのです。もし、NASAやJAXAの優秀な科学者や技術者や予算のたとえ半分でも、環境問題に振り向けてくれるなら、問題解決(軽減)へのスピードは、格段に上がる筈なのです。
勿論、ISSやHヤブサのプロジェクトには衆目を集めるイベント(祭り)としての意味はあるとは思います。しかし、もはや「祭りは終わった」と考えざるを得ない時期だと思い至るべきでしょう。先ずは、身に降りかかる火の粉を払い、あるいは足元のぬかるみ(問題)の解決しなければならない時代だと思うのです。見果てぬ「無責任な夢の押し付けは」もう打ち止めにしましょう、ましてや、将来ある子供たちに地上の問題から目を逸らさせ、宇宙などに向けさせる無責任は止めにしなければならないと強く思うのです。

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2020年12月 7日 (月)

3860 石油価格

仕事や山登りで結構車で長距離移動をします。環境人間としては、少し控えたいのですが、仕事は致し方ありません。軽自動車なので、出先で度々給油せざるを得ませんが、どこでも最近のの石油価格は低値安定している様に見えます。それと言うのも、背景にはコロナ騒ぎで経済活動が低迷している事があるのでしょう。そのため、いくらこの国のリーダーが2050年のゼロエミッションを宣言しても、石油に対抗すべき「再エネ」拡大の機運がちっとも上向かないのです。
石油価格で思い起こすのは、1970年代の二度にわたる石油ショックです。この時期には、雨後のタケノコの様に、あらゆる再エネが脚光を浴び、実際にもプロトタイプが作られたたりもしました。その頃住んでいた香川県では、NEDOが主導しての太陽エネルギー利用の博覧会(太陽博)も開催されたほどでした。各地で石油に替わるバイオマス(薪やオガライトと呼ばれる木屑燃料やペレット燃料など)も盛んに製造利用されていたのです。しかし、私たちは再び石油価格が下がってくると、その便利さにすっかり溺れ、再エネの殆どを放り出してしまったのです。唯一太陽光発電だけは、いくつかの大メーカーが研究と実用化を続け、ついにはシェアで世界一を取ったのですが、それも大規模な設備投資を行った、DイツやC国に追い越されたのでした。勿論、メーカーが見切るのが早かったバイオマスや風力発電などは、地道に実用化レベルを上げて行った欧州勢にアッと言う間に置いて行かれたのでした。
しかし、指摘しておかなければならないのは、欧州のゼロエミッション宣言とこの国のそれとは雲泥の差があると言うしかないでしょう。と言うのも、よくよくこの国の政策を吟味してみると、例えば車関係では、ハイブリッド車やエンジン付きモーター駆動車もEVと位置付ける様ですし、多量の石油エネルギーや電力を使って設備を維持管理しなければならない原発もゼロエミッションエネルギーと位置付ける様なのです。これでは、「まがい物のゼロエミ」と呼ぶしかないでしょう。投稿者の願いは、一日も早く再びの、そして未来まで続く「石油ショック=石油価格の高値時代」が到来する事なのです。それによって、石油を使う製品や運輸やサービスが割高となり、再エネや地産地消の強い追い風が吹くでしょうから・・・。

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2020年12月 2日 (水)

3859 振り返り

このブログも、2006年にサラリーマンをかなり早めに卒業し、自営業になった(環境人間に脱皮した)時から書き始め、15年目に入りました。この間、環境は如何にすれば保全できるか、あるいは改善できるかに関しほぼ毎日、ある時期以降は書ける日には毎日書き続けてきました。単純計算では、365日書き続けて10年分以上となりますが、振り返ってみると、投稿者が目指す方向も少し変わって来た様な気もします。
つまり、初期には主に省エネ・省資源(リサイクルを含む)を環境保全と捉え、これらについて企業や市民や学校での啓発活動に力を入れていたのでした。しかし、これでは環境悪化に掛ける歯止めも限定的で、環境悪化に至るスピードを僅かに遅らせる程度の効果しかないことに気が付きました。勿論、例えば省エネは重要で、もし50%の省エネが達成できれば、現状もままでも再エネ率は2倍に跳ね上がりますし、おぞましい原発も即時停止可能でしょう。
しかし、省エネと同時並行で進めなければならないのは、再生可能型エネルギーの使用率を、大幅に(最終的には100%に)引き上げる事なのです。幸いにも、この国の政府も重い腰を上げ、やっと2050年の目標としてRe100を掲げてくれました。勿論30年後の約束なので、今の政治家は多分全員お隠れになっているでしょうし、今現役の人たちも殆どが退役している事でしょう。それでも、今せっせと種を蒔かなければ、30年後の収穫は期待できない訳です。
なので、投稿者としては、先ずは庶民や中小企業が取り組もうとすれば手が届く、「中小規模の再エネ」に注目し、先ずは自分で実践できる範囲から行動を始めたと言う次第です。とは言いながら、今後何年間活動的で居られるかはっきりとは見通せない年齢にもなってしまい、少し焦りを感じているところでもあります。しかし、個人に出来る事は限られても居ますので、取りあえずは、あらゆる機会を通じて、大幅な省エネと、合わせ技での再エネ普及を叫び続けているのです。多分、70歳代後半くらいまでは意欲が続くでしょうが、それまでにはいくつかのタネの芽を出させたいとは思っています。

 

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