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2020年12月23日 (水)

3867 記憶から創造へ

ある教育者の言葉です。私たちのこれまでの教育は、子供たち記憶料力と理解力の向上ににだけ向けられていた、と。当然の事ながら多くの試験は、それ(記憶の程度)を試すものであり、受験生はひたすら教科書や参考書の中身を頭に詰め込み続けるしかなかった事でしょう。しかし、人間の脳の能力はそんなものではない筈なのです。つまり、詰め込んだ知識を「応用(または工夫)」し、あるいはそれらを「分析」し、更にはそれらを「評価」し、最終的にはそれらを下敷きにして何かを「創造」できるまでの能力を全ての人は備えていると思うのです。
なのにです。今の学校教育は、大学教育まで含めて「応用」以降の能力は開発されることも無く卒業させられてしまうのです。辛うじて、大学院まで進むと、自分で研究テーマを見つけて、何らかの課題を設定して研究を行い、それを論文にまとめる過程を経験しますので、それなりの能力も身に着けるのでしょうが、そうではないいわゆる「学卒者」は、例えば企業内教育などで改めて能力を開発し直す必要があるのでしょう。
しかし残念な事に、成人の能力開発にはある種の困難が生ずるのです。それは、「脳の可塑性」に関連すると思われます。つまり、少年期を過ぎると脳が「固まってしまい」可塑性が低下するのです。例えば、語学に関して言えば12歳前後を境として、それ以降に言語を習得したとしてもそれは「第二言語」にしかなり得ず、あくまで学んだ言語の一つになってしまうのです。英語が第二言語と設定されているこの国の人々の多くが「英語は苦手」と言い切る所以と言えるでしょう。
言いたいことは、脳の可塑性が十分に高い少年期に、応用や分析や評価や創造と言った能力の開発を手助けしてやれば、創造的な大人に成長し、ひいてはこの国も創造的な国に脱皮できると思うのです。そのためには、この国の教育システムである、先生が一方的に知識を詰め込む「勉強」と呼ばれるTLシステム(Teaching Learning system)から、生徒や学生が主体的に学習するESシステム(Education Study system)への転換を図らなければならないのですが、それには先ずは先生達の意識を変えるための「学習」が必要であるため、数十年単位の時間が必要となるのでしょう。小学生に対し、そもそも英語やプログラミングが苦手な先生に、英語らしきものやプログラミングらしきものを教え込んで貰うだけでお茶を濁す訳には行かないのです。続きます。

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