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2021年1月 1日 (金)

3869 新年にあたって

新しい年が明けましたが、相変わらず新型コロナの暗雲が世界中を覆っている様です。どうやらコロナウィルスが活発に活動するのは5-15℃の範囲の様ですから、平均気温がその範囲を脱する5月以降、ワクチンもジワジワ効奏する初夏にでもなれば、少しは明るさが見えて来るのでしょうか。あるいは、「賢いウィルス達」は、それを掻い潜る様に狂暴に変異して、数年間猛威を奮い続けるのでしょうか。いずれにしても、人類は100年前のSペイン風邪の猛威も何とか凌いできたので、今回も何とか耐えて暮らしていくのでしょう。
しかし、コロナ後にも忘れてならないのは、今回のパンデミック(Sペイン風邪の例に倣えばB漢風邪?)が残した教訓だと思うのです。投稿者なりにまとめてみるなら、1)都会で群れて住むことのリスクは非常に大きい事、2)ウィルスは変異を繰り返し不死身?である事、3)完璧な治療薬を手にしない限り人類は常に彼らの後手に回らざるを得ない事、4)それなりの「自粛生活」でもどうにか世の中は回っていくこと(逆に言えば、これまでの生活はかなりバブリーであった事)等になります。
特に最後の4)は、今後の最大の教訓にしなければならないと思うのです。例えば、今回のコロナ騒動以前を想い起こしてみると、人々はこぞって海外旅行に奔走した結果この国にも人口の3割にも及ぶ観光客が押しかけ、豪華客船や豪華列車の予約の列に並び、グルメや美酒に酔い、居間の延長の様な車に乗り、スポーツやコンサートで熱狂し、新年のカウントダウンのために大挙して街に繰り出し、それでも足りずに美食や運動不足の結果、多くの人々が昔は贅沢病とも呼ばれた生活習慣病に罹患するに至っては、何をかいわんやでしょう。
このブログでも何度か書きましたが、都会の暮らしは、田舎や国外からの製品や食糧やエネルギーのサプライ無しには、一日として続けられない「山小屋生活」であり、毎日が「お祭り生活」だと思えるのです。そうではなくて、日頃は質素な「ケの日」を過ごしながら、年に数回の「ハレの日」を楽しむと言った、いわゆる田舎の暮らし(自給自足により近い暮らし方)こそ、今後の社会の理想に掲げるべきだと、今年の新年にあたってもシミジミと思った次第です。

 

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