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2021年2月28日 (日)

3904 空飛ぶ車を嗤う

T社も本格的に空飛ぶ車の実用化に乗り出すようです。空飛ぶ車の嚆矢は、たぶん1950年代B国での数多くのチャレンジでしょうか。車用のガソリンエンジンも性能(出力)が上がり、コンパクトにもなってきた時代、車を徹底的に軽量化し、それに翼をつけたもので、多くのチャレンジが行われたのでした。しかし、残念ながらそのバカ高い値段と、事故も多かったこともあって、実用化には至らなかった歴史がある様です。
しかし、近年は小型ドローンを発展させる形で、新しいタイプの電動乗用ドローンが次々に開発されてきました。ヘリコプターの様にシングルローターではなく、4個以上のマルチモーター・ローターの、いわゆる小型ドローンを大きくした様な形をしています。
ヘリコプターが実用化され、型式証明を受けて運行されている背景には、勿論数多くの事故と改良があった筈です。ヘリの様に、大きなローターが全荷重を吊り下げるタイプの航空機は、大きな安全上のメリットを持っています。それは、ローターの揚力の下に、機体重心があるため、ローターが停止した場合でも、落下する途中にオートローテーションによって揚力を生み出せば、地上への激突が回避できる点にあります。そうでなければ、エンジントラブルの度に、墜落事故が発生し、多くの犠牲者が出ていた筈です。そうは言いながら、ヘリが事故を起こす確率は、翼をもつ航空機に比べて、確率は3桁も高いのです。(100万飛行当たり10回以上)
では、乗用ドローンの安全性はどう考えれば良いのでしょうか。ドローンは、ヘリとは異なり、機体+乗員の荷重の重心は、ローターが出す揚力よりはやや低いものの、とても吊り下げ型とは言えないでしょう。加えて、複数のローターは均等に荷重を支えていますので、もし一つか複数のローターが停止した場合、バランスが崩れ機体は傾くでしょう。それを防ぐには、ローターの揚力に余裕を持たせ、しかも瞬時に止まったローターの揚力をカバーする様に難しい制御しなければなりません。
つまり、乗用ドローンの安全性を確保するためには、システム(取り分け動力系)にかなりの冗長性が求められるのです。冗長性=重量増加を意味しますから、貨物用ドローンに比べ、ペイロード当たりの重量が大きくならざるを得ません。加えて、乗員・乗客は風に晒されて生身で乗る訳にはいきませんから、乗員(乗客)一人乗せてを飛ばすためには、どれほどの機体重量になるのかを考えるととても実用化されるとは思えません。元技術屋のヤマ勘で言えば、300㎏以上にはなるでしょうか。バイクで言えば2台分程度です。こんな物体が、頭の上を飛び交い、そしてダウンバーストや突風などで、時々は墜落する様な危険な社会は想像できませんし、絶対に実現させてはならないでしょう。大金と人材を使っての無駄な開発努力は即刻中止すべきです。

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2021年2月26日 (金)

3903 金属疲労と金属腐食2

2902に書いた様に、投稿者としては、問題となっている航空機エンジンのブレードの破壊は、てっきりブレードの外側に、腐食による初期傷が発生し、そこが起点となっての疲労破壊が原因だと思い込んでいましたが、専門家の分析では、どうやら破壊の起点となった初期傷は、軽量化のために中空としている内部表面にあった様なのです。外表面の初期傷を検知する方法は、浸透探傷検査や渦流検査等いくつかありますが、内表面の傷を検知するのは至難の業と言えるでしょう。超音波検査はその数少ない検査法ですが、内部が複雑な形状の場合、かつその傷がごく小さい場合、ベテランでも見逃してしまう可能性が高いのです。更に詳しく言えば、超音波の周波数(数kHz)の波長より小さい傷などは、原理上検出は出来ないのです。
中空のファンブレードは、これは想像ですが、Ti鋳物又は焼結金属+HIPで作られるのでしょうが、外表面はいか様にも滑らかに仕上げる事ができますが、アクセスのしにくい(出来ない)内部の表面は、鋳放しのままとせざるを得ないでしょう。ザラザラしている鋳放し表面は、詳細に見れば小さな凸凹(山谷)がある筈で、その谷の部分は、一種の切り欠きとも見做せるでしょう。かつ金属結晶と隣接する結晶の間(粒界)は、当然の事ながら強度は結晶自体より弱く、切り欠き効果と粒界の弱さが重なった場合には、設計より耐繰り返し荷重が低下している可能性は否定できません。
加えて、中空の内部空間には、圧力変化を回避するために、外部の圧力と同じにする目的で、通気穴が設けてある筈です。この穴からは、当然の事ながら塩分を含んだ空気も出入りするので、内部で結露して腐食環境を悪化させる点も懸念されるのです。
投稿者としての結論を述べるなら、このエンジンを積んだ旅客機は即飛行停止とし、同エンジンを引き続き使うなら、複合材化するなどの設計変更して、その後の耐久性試験が完了するまで、お蔵入りとするしかないと見ています。しかし、設計変更が完了し、追加の耐久性試験を行うには、莫大な費用と時間が必要ですので、このエンジンは諦めるしかないのかも知れません。ちなみにライバルメーカーのエンジンに使われているファンブレードは、複合材で作られていますから、腐食や金属疲労が原因となる破断事故は起こりません。とは言いながら、複合材には複合材なりの弱点もありますから、絶対に安全であるとも断言できないのでしょうが、大分マシであると考えても良さそうです。なんであれ人間が、作ったモノに100%完璧などは到底期待できないのです。設計、素材製造、部品製造、組立、検査、メンテナンスなど全てに人間が関わっている限り、人間が犯す「ヒューマンエラー」からは逃れられないのですから。

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2021年2月24日 (水)

3902 金属疲労と金属腐植

3901に書いた、B国の航空機事故では、事故調査委は現段階では、どうやらブレードの金属疲労による破断が直接の事故原因であるとの見方を強めているとの速報がありました。この見方に100%の賛成は出来ないのですが、一応それを尊重するとして、そもそも原因が金属疲労だとすると、今後このタイプのエンジンは、頻繁な点検が必要になる事は間違いないでしょう。金属疲労で部品が破壊する機序は、先ずは金属結晶の境目(粒界)に微細な割れが入り、繰り返し応力によってそれが徐々に拡大して、ついには破談に至る訳です。
どの様な金属も、製造の段階では溶解する訳で、従って凝固の段階では、大きさは別にして金属は粒子の塊となり、粒子同士の間には粒界ができてしまうのです。粒界には、不純物が集まり易く、強度も低下するため金属の破断は必ず粒界から始まるのです。粒界はまた金属腐植も起こりやすい部分でもあります。その結果、水分や塩分のある環境では、製造後比較的短期間に、目には見えない大きさのクラックの卵(髪の毛のより細い=ヘアクラック)が発生してしまうのです。
定期検査では、それが目に見える大きさになった段階で発見され、部品交換につながるのですが、問題は基準より小さな(細い)クラックは見逃され、次の定期検査まではエンジンは動かされ続ける事になるのです。しかし、3901に書いた様に、共振による異常振動が一定時間以上持続すると、このヘアクラックが成長し、比較的短時間での破断に至るのでしょう。
もう一つ今思い出したのは、昨年から殆どの航空機が地上で駐機している時間が非常に長くなっていると言う事実があります。また定期検査の間隔は。車とは異なり飛行時間も考慮されて行われますので、駐機時間が長くなると、定期検査の期間も延長されている可能性があります。日常的に使われているエンジンは、熱を帯びており乾燥していますが、駐機中はエンジンの入り口付近は風雨にさらされ、腐植環境にあると考えられます。この駐機期間に、先ほど述べたヘアクラックが腐植によって拡大している可能性も否定できないのです。いわば全ての航空機は、コロナ禍⇒運航停止期間の拡大⇒金属腐植の成長という、負の劣化の連鎖に入っている可能性があるのです。できれば、飛行機に乗るのは当分避けたいものです。

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2021年2月23日 (火)

3901 航空機エンジン事故

同じ機種で、同じエンジンを積んだ旅客機の事故が再発しました。今回のB国事故での裸になって燃え盛るエンジンの動画はかなりショッキングなものでした。航空機製造に少しは関わった身として事故原因が気になります。国内の事故とB国の事故に共通しているのは、ファンブレードと呼ばれる羽根が折れたために生じたエンジン破壊事故であろうとされている点です。この手のタービンエンジンの羽根(ブレード)の破損原因としては、1)鳥などの異物の吸い込みによる場合、2)ブレードに初期傷があって飛行中に(疲労)破壊に至ったケース、更には3)タービンブレードの異常振動(固有振動数による共振)によって破壊に至ったと言うケースが考えられます。
消去法で考えると、1)は小鳥ではなく、かなり大型の鳥でない限り、ブレードの破壊を起こすほどの事故にはならない事、2)では定期検査で破壊を起こすほどの傷を見逃すミスは考えられない事から可能性は低いと見ています。
残るのは、3)ブレードの異常振動による破壊ですが、ブレードは片持ちの梁と考えられ、どんな個体にも固有振動数が存在する限り、共振は避けられない現象でもあります。ジェットエンジンの場合、停止状態からクルージング状態まで、エンジンの回転数が変化しますので、全てのブレードが固有振動数(かその倍数を含めて)を通過するのは間違いありません。勿論、定常回転数では共振を起こさない様に設計はされてはいるのでしょうが、離陸時にエンジンの出力(回転数)を上げていく段階で、共振を起こす回転数の通過に一定以上の時間が掛かる場合、異常振動でブレードの破壊に至る可能性は否定できないのです。これは、全てのタービンエンジンの宿命的な欠点だとしか言えません。
事故の背景として、現在のジェットエンジンは効率を追求するあまり、エンジンの直径(=ブレードの長さ)ますます大きく設計される傾向にあると言う事実は見逃せません。最近のエンジンはジェット噴射によって推力を得るのはなく、殆どの推力を低圧側のファンブレードによって得ているのです。つまりは、プロペラの数の多いターボプロップエンジンの様なものだと言って良いでしょう。そのプロペラが、カウルと呼ばれる覆いによって、外からは見えにくくなっている状態なのです。
この種の事故を避けるには、操縦的ニックで離陸時に危険回転数をごく短時間で通過する様にするか、エンジンの設計の考え方をを効率重視から安全重視にシフトし、ブレードを短くする方向に見直すかなどが考えられますが、前者に頼るのであれば、この種の事故をゼロにする事は出来ないだろうと見ています。まあ、エンジンは2台以上ついているので、両事故とも残ったエンジンで無事着陸できたと言う事実は、少しだけは救いにはなりますが・・・。

 

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2021年2月20日 (土)

3900 エネルギー半分社会

政府の2050年CO2ぜロ宣言は、今のところ全くの空約束の「宣言」に過ぎないものでしょう。何より、その宣言の背景には未だ原発織り込んでいるのでしょうし、未だ完全には実用化されていないカーボンフリーのテクノロジーを見込みで勝手にカウントもしているでしょう。例えば、勝手に水素社会なる虚像を、さも10年後くらいにはかなり実現されていると妄想しているかも知れません。また、火力発電などで出来てしまったCO2を、無理やり地中に押し込む技術を、さもCO2フリーの技術であるが如きに喧伝もしています。
また、カーボンフリー社会の実現のために、車も含めて、何でもかんでも「電動化」し、その電力を原子力を含む太陽光や風力などのカーボンフリーな電源で賄うと言う政府の(お役人の)描いている単純な構想の様に見受けられます。
そうではなくて、私たちが先ず実現すべきは、大幅な省エネ社会であるべきだと思うのです。当面ターゲットにすべきは、先ずは現在のテクノロジーの延長線上で実現可能な、「エネルギー半減」でしょうか。例えば、ざっと言えば車の車重を半分にすれば、消費するエネルギーは半減できるでしょう。車を「走る居間」と考えるのではなく、4輪の単車程度の位置づけに下げるのです。勿論、安全性はある程度は犠牲にはなりますが、最新のGPSや画像解析(≒衝突予防)の技術などを駆使すれば、それも殆どカバーできると思うのです。快適性については、かなり我慢をして貰う必要はありますが・・・。
現在の様に、冷暖房も全て電気や石油で賄うのでは、カーボンフリー社会の実現は到底無理でしょう。太陽熱やバイオマスを熱源とする暖房や、太陽熱で冷房を実現する「デシカント冷房」などを実用化し、近い将来に大量に普及させる必要があります。それ以前に、この国の建物や住宅は、断熱性にあまりに乏しく、基礎的なエネルギー消費量が大き過ぎるのです。断熱工事は、動かない設備の投資であると考えれば、居住空間に要する光熱費の半減など簡単に実現できる筈なのです。高断熱の建物や住居で、光熱に関するエネルギーを半分にし、車の軽量化で輸送費を半分にし、加えて地産地消をきわめて、輸送量を大幅に減らせば、エネルギー半分社会も見えて来るでしょう。CO2ぜロの取組みは、その上で加速すれば良いのです。繰り返しになりますが、カーボンフリー技術ありきではなく、先ずは大幅な省エネこそが最優先の取組みなのです。

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2021年2月19日 (金)

3899 商業主義の行き着く先

五輪に絡んでのゴタゴタが治まりません。そもそも五輪の持つ意味が歪んできつつあると思うのです。つまり、スポーツの祭典、アスリートが目指す頂点大会と言う意味合いが、莫大な放映権や開催国が観光客を集めるきっかけとなるイベント、国威の発揚など、本来の意味合いからの逸脱が極限まで来ていると思うのです。商業主義とは、五輪に絡んでの経済効果の最大化こそが目的であり、観光需要では一体何人が五輪に絡んで来日したのか、国威発揚では合計何個のメダルを獲得したのか、と言った「指標」の最大化こそが目的になってきているのです。
鍛え上げたアスリートが、体力を限りを尽くして競い合う姿は、確かに尊いもので、感動を呼ぶ起こしはしまうが、スポンサーに押され、民衆の期待を集めながら、青春を犠牲にして競技に専念するセミプロアスリート達は、一体人生で何を得て、何を失うのでしょうか。メダリストは、まだ報われる局面も多いのかも知れません、しかし努力を重ねながらも、入賞すらできなかった大多数のアスリートは、競技生活の後でどの様な人生を送るのでしょうか。多くの人たちは、燃え尽き症候群に襲われるのではないか、と懸念しています。
五輪の開催は、やはり本来の目的に戻すべきだと思うのです。これまでに作られた競技施設を再利用しなから、競技施設の都合によっては複数国共催(分散開催)で行えば良いのです。競技者も、観客も分散行動する事によって、多くの問題点が解消されるでしょう。勿論、コロナ感染症やテロや犯罪などもコントロールし易くなるでしょう。
お祭りは、確かに一時期の好景気や興奮は得られるのですが、考えてみなければならないのは「祭りの後」なのです。大金を投じて作ってしまった施設の有効活用、お祭り景気の後に来るのは必至の「反動不景気」を考えると、ささやかですが税金を払った身としては勿体なさに絶望感さえ感じてしまいます。そろそろ、五輪の在り方を考え直す(元の素朴な大会に引き戻す)べき時期に来ていると思うのです。お祭りなどに無駄金を使わなくとも、将来の社会の構築に有効な税金の使途は枚挙に暇はないでしょう。

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2021年2月18日 (木)

3898 輸送と言うムダ

投稿者は、エネルギーや行動を、青、黄、赤に色分けする事を推奨しています。ここで架空のメーカーを想定して、そのメーカーが工場で製品を作っていると仮定してみます。その企業は、原材料を購入し、設備を使って製品の形に加工し、組み立てて、塗装し梱包して製品として出荷する訳です。当然の事ながら工場を動かすには、従業員の働きやその給料、エネルギーなどの光熱費も発生するでしょう。それらを、全て青色、黄色、赤色に分けるのです。先ず「青色」は、その企業が、原材料に付加価値を付けるために必要不可欠な設備稼働やエネルギーや人権費などを指します。一方で「赤色」は、企業活動の足を引っ張る「無駄」を指します。誰も居ないトイレの電灯も、製品の付加価値を1円も上げない従業員の「無駄な動き」も赤色に相当すると考えます。
問題は「黄色」です。これは、付加価値は生んではいないが、一見必要だと考えられる、設備の稼働や従業員の行動です。例を挙げれば、工場内のモノの移動や工場内の清掃作業や梱包や製品の輸送などが挙げられます。倉庫から原材料をフォークリフトで、加工する設備の近くまで運んだとします。その作業で、原材料の価値が1円でも上がったでしょうか。付加価値はゼロのままなので、残念ながら工場内の移動作業は全て「黄色」に分類するしかありません。黄色作業は、工夫によっては殆ど無くせるものでもあります。もし、倉庫と原材料を最初に処理する設備を近接させれば、フォークリフトや天井クレーンに替えてローラーコンベアなどで簡単に移動可能でしょう。
工場内の清掃作業もまた黄色作業の代表です。散らかさなければ清掃も不要なのです。つまり、作業台の端にごみ袋の口を広げてぶら下げておけば、作業台上の屑をホウキでその袋に掃き入れてやれば、工場の床が散らかる事はありません。作業台の上も常に清浄です。従って、毎日の仕事終わりに工場のフロアを掃除機で清掃していた作業は不要になります。
同様に、広く社会のモノの流れを眺めていると、例えば日々高速道路を往来する、大型トラックの隊列を目にする度に勿体なくてため息が出ます。先ほどの、工場内の様な工夫を重ねれば、おそらくトラックの数を大幅に減らせると思うのです。想像するに行き交うトラックの多くは、片道は空荷か少量の荷物しか積んではいないでしょう。多くの運輸会社は、特定の荷主としか契約していないと思われるからです。しかし、モノがその形状、数量と現在地と行き先の情報を自ら発信する仕組みがあれば、空荷のトラックはほぼ無くすことも可能となるでしょう。荷物をある場所運んだトラックは、運転者の休憩後近くで戻りの貨物の情報を得る事が出来、それを積んで戻れば良いのです。運輸業者は空便が無くなるので、運賃を引き下げることも可能となり、荷主は直行便よりは少し時間が掛かる可能性はありますが、無駄な運賃を抑制する事ができるでしょう。高速道路の輸送力にも余裕が生まれますので、三方が得をする仕組みが生まれるのです。輸送は黄色行動で多くの無駄を含む行動だとの出発点に立てば、化石エネルギーの大量消費や交通渋滞など輸送に関わる多くの問題を軽減できる筈なのです。輸送は、間違いなく「黄色」行動の一つなのです。

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2021年2月17日 (水)

3897 バブルは無くならない?

どうやら株バブルになっている様です。お金(マネー)の量が、実体経済をはるかに超えてダブついて以降、お金は自分自身を増やすために、人間の思惑を超えて幾多のバブルを引き起こしてきました。曰く、石油、土地、債券、IT、そして今は株や電子マネーに、巨額のお金が向かっている様です。つまり、お金はそれに関わる人たちの「思惑」が、近い将来にその価値が膨らむと目論んだモノや価値に向かい、自身の価値を増やす方向に流れるのです。それは、お金を誰が所有しているかには関わりなく、所有者が管理を委託している団体や人の思惑に左右される訳です。曰く、銀行マネー、曰く生保マネー、曰くGPIFマネー、曰く石油マネーなどなどです。これらが、国や個人の思惑を超えて、自由奔放に、時に大きな流れとなって世界を駆け巡るのです。
モノが動かないのにお金だけが動けば、当然の事ながら誰かが儲け、誰かが損をするマネーゲームですが、もし誰も損をしないとすれば、それは間違いなくバブルであり、バブルは自然の成り行きとして崩壊しなくては収まりがつかないのです。人類は、経済の仕組みとしてお金を発明しましたが、ある時期以降は、どうやらお金に支配されつつあると見なければならないでしょう。それは、自由なお金が、主要な国々のGDPをはるかに超えて存在し、虎視眈々と次なる攻撃先を狙っていて、ホンの小さなきっかけで、あるターゲットに向かってドッと流れ始めるのです。マネーが電子情報となってかなりの時間が経ちましたが、それをいまは動かすのに1秒(多分ミリ秒以下)も掛からないのです。
お金は、実は毎秒毎秒増え続けもいます。例えば、石油などの地下資源を掘り出せば、それが石油製品となって流通を始めるや否や、それはあるお金と交換できる価値が生まれた事になるので、世界に流通するお金の総量は増える事になります。つまり、お金は何か異常なインフレ現象でも起きない限りにおいては、その総量は人間のコントロール力を超えて増え続け、ますますその凶暴さを増すのはほぼ間違いないと予測できるのです。
さて、この流れは変えられないのでしょうか。お金の総量を増やさない仕組みとしては、例えば物々交換が挙げられます。価値をお金に代えないで、モノとモノを直接交換する訳です。その変形としては、モノ(例えば食糧にもなるコメ)をお金代わりに扱う江戸時代の様な仕組みもあり得るでしょう。この仕組みは、実は田舎と都会の出来てしまった「お金格差」を是正するのに有効です。コメをお金に交換してしまうと、市場によって価格は抑制されますが、一方でたとえばコメで電化製品が買えれば、交換レートを日本銀行と同等の公的機関が関わる仕組みがあれば、普通のコメ農家もそれなりに裕福に暮らすことも可能となるでしょう。勿論、コメを直接移動させる訳ではなく、お札に変わるお米券を発行するのです。同様に、林業は木材券を発行し、メーカーは独自の製品券も発行できる様にします。お金の量が減ると、世の中の巨大なバブルも消滅すると思うのです。投稿者は、そんな狂暴なお金とは出来るだけ距離を取って暮らしたいと考えている高齢者の一人です。

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2021年2月15日 (月)

3896 木材の多面的な用途

これも以前に取り上げた内容だと思いますが、重要なので再掲しておきます。投稿者なりの分類では、木材(やバイオマス)の用途を5Fと1Cに分けて考えます。
木材利用の5Fとは、
1. Food(食品):加食の部分⇒シロップ、キシリトールなど
2. Fiber(繊維・素材):紙や木材など
3. Feed(飼料):家畜の粗飼料など
4. Fertilizer(肥料):森林腐植など
5. Fuel(燃料):薪燃料、炭、チップ、ペレットなど
であり、一般的にはこの順番で価値(価格)が下がっていきます。
また1Cとは、木材に含まれる有用な化学成分(Chemical)の事を指し、例えば、香木から得られる香料や、針葉樹から得られるツヤ酸、ヒノキチオールあるいは、タンニンなどが挙げられます。単価的には、Food以上となる場合もあります。
いずれにしても、現状では紙や木材だけの単独利用では、経済的に引き合わないので、国産材は徐々に敬遠され、時には違法伐採も含まれる様な安い輸入材に頼る結果になっているのです。しかし、木材を多面的に活用し、かつ前工程の廃棄物を次工程の原料として活用する、いわゆるカスケード利用(多段階)で利用し、最終的には燃料=エネルギーとして熱エネルギーとして利用できれば、国産材でも経済的に十分見合う勘定が成り立つのです。
しかし、現状では森林業は樹木を材木(建築用材)としてしか評価しておらず、一方で製紙業界では、木材を重量当たりのチップ価格としてか見ていないので、木材の単価は低いままで市場価格に抑え込まれてきたのです。しかし、いくつかの樹種では、樹皮に多くのタンニンが含まれ、上手く抽出するとかなりの価値を生むことが知られていますし、ヒノキやヒバなどの針葉樹からは有用な化学物質も抽出できるのです。工法を開発して、木材としての組織を壊さず、蒸気や圧力を利用してこれらの物質を抽出し、材は材として利用ができれば、ざっと樹木の価値は2倍以上には跳ね上がるでしょう。勿論、不要な部分は最終的には燃料などとして熱回収すれば、樹木をほぼ100%利用し、価値を回収できるのです。樹木から、例えばトン当たり2万円以上の価値が引き出せれば、林業は持続可能な産業として十分成り立つでしょうから、今後若者を引き付ける産業ともなり得ると見ています。

 

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2021年2月14日 (日)

3895 これからの林業

林業に関しても想うところを少し書いておきます。林業についても考え方は農業と同じです。樹木が光合成で固定した、セルロースやリグニンなどは、材として利用する幹は勿論、枝葉や樹皮や製材屑に至るまで、100%の活用を図った上で、伐採後には速やかに植林を行う必要があります。その際に、次にどの様な樹木の苗を植えるのかについては熟考が肝要でしょう。即ち、人工林であるスギやヒノキの伐採後に、同じ樹種を植林するのではなく、その地域に自生していた樹種と、用材としての価値がある樹種を、混交して植樹するのです。例えば、林道のすぐ横にはスギやヒノキなどの樹種を植え、谷や地滑りが起こりそうな斜面には、根を深く張り保水力のある自生樹などを植えるのです。
その上で考えておかなければならないのは、農業は毎年繰り返される営みですが、林業は数十年、あるいはそれ以上の世代を跨ぐ様な長い年月の視点で持続可能となる様に考えて行かなければならない生業だと言う点です。短期間で見ると、林業だけでは生活が成り立たないケースも多いでしょうから、そこには環境維持業としての林業に、「森林税」などの形で集めた資金を入れてやる必要があるでしょう。林業によって、水源涵養林として、また農業用水や都市部の水道や工業用水の水源として、維持されている森林が大いに貢献してのは明確だからです。
そのためには、国有林や自治体が管理する森林、取り分け私有林に対して、明確な利用計画を立てた上で、それを管理利用する林業を明確に産業として維持すると言う行政の意思を示し、それを守らせる制度を確立させる必要もあります。経済の成り行きに任せると、日本の森林のかなりの部分が、海外の資本によって買い占められていた、などと言う事態にもなり兼ねないからです。いずれにしても、私有や積極的に人が立ち入って利用を進めるべき「里山」と官が主体となって長期的な管理と利用を維持すべき「奥山」を明確に「ゾーニング」した森林の利用計画の立案がぜひ必要な時期である事は間違いないでしょう。営林署なる組織が以前から存在しますが、この様な組織の位置づけと、国有林のみならず私有林に対しての責任と権限の拡大をどの様に実現するかが当面の課題でしょうか。

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2021年2月13日 (土)

3894 これからの農業3

投稿者の想いとして、「自然が作ったものに万に一つの無駄も無い」があります。例えば、この国の農業で大きな部分を占める作物であるイネについて考えてみます。一粒の種もみからは、88粒の籾が採れるとされていますが、その籾を剥がしてコメを取ると、もみ殻が残り、ワラも残るでしょう。勿論、先人はこれらの「副産物」も決して無駄にはしませんでした。それどころか、ワラからは米俵は勿論、蓑や草鞋(または藁靴)やムシロや縄まで、多くの日用品を作り出していました。収穫に感謝する意味で、神社には、その藁で作った巨大はしめ縄も奉納してもいました。
籾は籾で、いぶして燻炭にして田に戻したり、一部は燃やして熱源にも使っていました。つまり、イネの一株一株は大切な食糧として、また日用品の原料として100%利用されていたのでした。しかし、現代はそうではありません。お金になるコメは単なる「商品」になり、ワラはコンバインの中でシュレッダー処理され、もみ殻は田の暗渠に埋め戻す用途への補助金が打ち切られた今は、単なる厄介者となって、行き先を失ってしまいました。
投稿者は、もみ殻研究会なるグループに参加もしていますが、もみ殻一つとっても、モミガライトとして代替薪として、あるいは燃焼灰をセメント混和剤として、あるいはゼオライト原料に、更にはもみ殻を空気を絞って燃料させて、燻炭(土壌改良材)と熱回収を同時に行い、熱をハウス暖房の熱源として利用する取り組みなど、多様な用途が広がっているのです。もみ殻は、燃料であり原料として、コメ以外の用途で利益を生み出せるのです。
稲藁はどうでしょう。藁は、割と近い過去に遡っても、日用品の原料以外でもわら半紙としてかなりの量が「製紙原料」として活用もされていたのです。ワラには優良なセルロースファイバーが含まれているからです。このセルロースは、家畜の粗飼料(例えば馬の飼い葉)としても使い道もあり、自然の納豆菌も含み発酵を助ける納豆の入れ物としても用途もまだ残ってもいます。
ワラやもみ殻が、粗末に扱われ、厄介者にされている姿を見かけると、ココロが強く痛みます。農作物が、商品価値が低いと言う理由だけで、ごみとして廃棄される姿はもっと悲しい光景ですそれらの光景は、自然の恵みを100%活用しようとする努力や工夫が全く足りていない証左だと思うのです。植物が、土壌と炭酸ガスと太陽光を自分が持つ葉緑素で、炭化水素やたんぱく質などに変換したものに無駄など一つも無い筈なのです。それは、食用にしたり、燃やしたり、自然に分解される過程で、エネルギーを出しながら、また炭酸ガスや窒素になって大気中やあるいは有機物となって土壌に戻るのです。土から採れた作物は、1グラムも無駄にせず、ましてや「生ごみ」などにはしてはならない貴重な自然からの恵みなのです。その意味で、農業は、決して商品作物を作る単なる産業などではなく、有機物の生産、利用を行いつつ、自然の循環を見守る、最も重要な生業の一つである断言しておきます。

 

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2021年2月11日 (木)

3893 これからの農業2

さて、これからの農業です。土壌と水と太陽光さえあれば、植物が太陽エネルギーを炭化水素として固定してくれるのですが、かといってこの3つの資源が潤沢にある訳ではありません。農地から得られる炭水化物やたんぱく質を食料としてだけ、それも肉食のための飼料として家畜に与えないと仮定すればこれから増える人口を含めても、人類の食糧は何とか確保できる様です。但し、それは先進国の食糧廃棄を減らし、途上国に食料の配分が適正に行われると更に仮定した場合です。とは言いながら、3890でも言及した様に、水資源の枯渇は、この楽観的な予測を簡単にひっくり返してしまうかも知れません。
増してや、農業で生分解性プラスチックの原料作物を栽培するとか、バイオ燃料するするための「エネルギー作物」を栽培するなどと考えるのは、全くのナンセンスと言うしかありません。一方では飢える人たちを出しながら、他方でエネルギー作物を作ることは倫理上許されない行為だからです。考えるべきは、食料確保のために、荒れ地や乾燥地帯でも持続可能となる作物の栽培方法を確立する事でしょう。勿論、それは最先端の科学技術に依拠したものであってはならず、従来のコンベンショナルな技術と人手を使って、環境、取り分け土壌の劣化と、水資源の枯渇を進めない農業の確立が必須なのです。先の述べた点滴灌漑は勿論、収量が少なくとも雑草と作物を共存させる「不耕起栽培」、更には動植物と作物の究極的な共存を可能とする、多数の「ミニバイオスフェア」型農業の推進など、私たちが為すべき課題は山積と言えるでしょう。
そのためには、繰り返しになりますが、農業とビジネスをほぼ完全に切り離す必要があるのです。金持ちが大金をはたいて、季節外れの果物や野菜を欲しがることに対しては、少量の商業作物を育てる、農業ビジネスが残るのは致し方ありませんが、庶民が日々口にする食糧に関しては、基本的には露地栽培で育てた、自然の恵みである必要があるでしょう。温室栽培には、少なくない量の加温用(化石)エネルギーが必要ですので、持続可能ではないでしょう。季節的に多量の作物ができてしまった場合には、それを長期保存が効く形で(例えば天日乾燥やフリーズドライ法)保存し端境期に市場に出すのです。間違っても、長期間に亘って冷蔵や冷凍保存する選択肢を選んではなりません。冷蔵、冷凍のためには当然の事ながら多大な電力が必要となるからです。獲れすぎた秋野菜の冬越しのための貯蔵であれば、それこそ大きな雪室でも作って、氷温冷蔵すればエネルギーゼロでの保存もOKでしょう。

 

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2021年2月10日 (水)

3892 これからの農業論

U田樹の著作は、これまで殆ど読む機会がありませんでしたが、ある人からの紹介で「農業を株式会社かするという無理」と言う共著を読みました。氏のこれまでの主張にはあまり興味が持てませんでいたが、この本で彼が述べる農業論にはかなり同調できるものがありました。つまり、農業とは、作物と対話をしながら、環境からの恵みである、土壌と太陽光と水を利用しながらの手間暇の掛かる非効率な生業(なりわい)であり、決して農業法人やましてや株式会社などと言う営利目的のビジネス形態には、そもそも相いれないものであると言う主張です。
全くそれは正論で、例えば利益を上げるために、大量の肥料や農薬を使い、自動灌漑システムを含む人手の余りかからない機械化農業を指向したとして、例えば10年ほどは収益が期待できるのでしょうが、土壌の微量成分が失われ、過剰灌漑から起こる塩害が出始めると、病害虫の蔓延や連作障害など地力の低下から収穫量はがた落ちになり、赤字に転落する事は必至でしょう。つまり、自然からの収奪が続く、株式会社農業は全く「持続可能性」に欠けていると断ずるしかありません。
ではどうすれば良いのかですが、これもこの本の主張と重なる部分が多く、やはり都市から農村への人口の逆流が必須だと思います。今や、この国の農業従事者は人口の1%台半ばまでに減少してしまいましたが、もっと悲しい事にはその7割以上が65歳以上の高齢者で占められているのです。都会の若者が、密な都市社会に愛想をつかして、UターンかIターンで田舎に回帰しない限り、この国の農業の持続可能性は10年以内にかなり失われてしまうのは間違いないでしょう。その後も残るのは、平場で圃場整備=機械化農業(≒米作)が進んだエリアのみで、山間部や条件の悪い農地は、ドンドン耕作放棄され続けるしかないのでしょう。
同様に、農業国と呼ばれる諸外国や旧植民地の画一化された商品作物を育てる農業も持続可能性は低くなる一方でしょう。取り分け、乾燥地帯における、綿花やトウモロコシや大豆などの、多くの水を欲しがる作物を、地下水や水量が少ない河川水を無理に取水する農業も、やはり10年以内に多くの地域で破綻する事が免れ得ないと見ています。農業従事者は疲弊し、水資源の枯渇は深刻になるばかりなのです。たぶん続きます。

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2021年2月 9日 (火)

3891 点滴農業

農業におけるバーチャルウォーターを減らす方法として有効なのは点滴灌漑でしょうか。つまり、作物が必要とする量の水を、過不足なくドンピシャのタイミングで潅水してやるのです。余分な水をやらない事により、無為な蒸発がなくなり、3890で述べた塩害も防げるため、同じ農地での持続的な農業が可能になります。勿論、消費する灌漑用水の量は、大幅に減らせるのは自明です。
しかし、作物が何時どれだけの量の水を欲しているかを確認するのは結構大変でしょう。ベテランの農家が、毎日見回りベストの潅水タイミングを見計らう方法もあるのでしょうが、B国の様な大規模農場ではそうもいかないでしょう。そこで重要となる技術がリモートセンシングです。衛星や、航空機などから地上を各種のセンサーあるいはカメラで観察し、植物の置かれている状態をリアルタイムで知る技術です。そんなお金を掛けなくとも、ピボット農業では、農地の上に巨大なコンパスを設置していますので、これを利用するのも良いでしょう。このピボットアームにセンサーを設置し、円形農場全体をスキャンするのです。座標と、作物の各株の状況はパソコンに取り込まれ、どのタイミングでどの程度の水やりが必要かを判断するのです。
一方で潅水の方は、現在の様にドバっと大量の水を噴霧するのではなく、特定の座標の植物の根を狙って、ピンポイントでチュッと必要量を潅水するのです。つまりは、簡単な注水ロボットをピボットアームに取り付けて、自動的に潅水させる訳です。大農場では、当然の事ながら一つのピボットがカバーする面積は1ヘクター以上もあるので、潅水ロボットの注水するスピードも、それこそ目にも止まらぬ早業でなければ、日が暮れてしまうでしょう。イメージ的には、1秒間で10個の植物に注水すると言った程度の速さです。近年のGPSの精度は、10センチ以内程度まで上がっていますから、一株一株の根元を狙っての潅水も十分可能でしょう。以上の技術によって、今後10年程度で急激に耕作放棄が進むであろうピボット農業の耕作地寿命も、かなりの期間延長することが可能になる筈です。点滴農業は、砂漠地帯での農業拡大を可能とするなどの目的で、鳥取県などで研究されており、立派な国産の農業技術でもあります。

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2021年2月 8日 (月)

3890 バーチャルウォーター

昨晩のNスぺでバーチャルウォーター問題が取り上げられていました。投稿者の感覚は「今頃やっと取り上げられたか」と言った感じです。投稿者が、今から20年ほど前に技術屋を卒業し、環境屋に脱皮すべく勉強を始めた頃、温暖化問題と同じくらい、と言うよりそれよりはるかに緊急性が高い問題として、このバーチャルウォーターに着目したからです。Nスぺでも取り上げられていたオガララ帯水層の地下水位の低下問題は、20年前にもやはり問題だったのです。オガララ帯水層は、米国の中西部が大きな湖だった太古の昔に蓄えられていた、いわゆる「化石水」であり、殆ど補充がされない閉じ込められた地下水なのです。その総量はちょうど五大湖の水量と同じ程度と推定されていたのですが、ここ数十年の無秩序で大量の汲み上げによって、その大部分が消費されてしまったのです。
元々、中西部はステップ地帯と呼ばれる乾燥地域なのですが、その様な土地では小麦などの乾燥に強い作物を栽培するのが精々なのです。しかも、開拓時代には雨が少ない年では小麦でさえ干ばつに襲われることもしばしばだったのです。そこに、小麦より一桁以上多くの灌漑水を必要とするトウモロコシや大豆を植えて、地下水を大量に汲み上げてスプリンクラーで潅水する「ピボット農業」を続けているのですから地下水の水位は毎年数メートルずつ低下し続ける事になったのです。ピボット農業と呼ばれるのは、地下水の井戸を中心として、スプリンクラーが付いたコンパスの様に長い腕をグルグルと回転させて灌漑を行う農業形態を指します。従って、農場は円形になり、中西部の航空写真を見ると、規則正しい緑の水玉模様の平原が続いている様に見えるのです。
無理な灌漑農業は、地下水の枯渇問題の他に、深刻な問題を引き起こしてもいます。それは、「塩害」です。つまり、地下水は完全な真水ではなく、それなりのミネラル分を含んでいるのです。農場にふんだんに撒かれた水は、作物だけに吸収される訳ではなく、その多くは蒸発によって失われます。水が蒸発すると、土壌表面にはミネラル分(つまりは塩類)が残され、一定量を超えるとそこでは最早耕作が続けられなくなるのです。中西部のこの地域を、G-グルアースで見ると、緑の円形農業の中に、茶色の「放棄農場」が多く観察されるのです。つまり、化石水の依拠する灌漑農業は、化石水の消費と土壌の塩害と言う二つの意味で、持続可能ではないと断言できるのです。続きます。

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2021年2月 6日 (土)

3889 STEEAM教育2

「教育」と言う言葉が、そもそも違和感の塊です。その昔、Educationと言う言葉が日本に入って来た際に、誰かが「教育(教え育む)」と訳したのでしょうが、そもそもこれが上から目線になっています。想像ですが、明治時代に「教育勅語」なる国のガイドラインが作られた際に、その草案に関わった人物などが、この「教育」と言う言葉の訳出に関わったのでしょう。一方、英語のEducatinには、人が自ら学ぶと言うニュアンスが含まれていると思いますので、少なくとも学びと言う文字が含まれている必要があります。Teachingには確かに、教え導くと言う意味がありますが、Education とTeachingは全くと言って良いほど異なる概念だと言うしかありません。
Educationを投稿者なりに日本語にするなら、学習者が学ぶことを励まししその背中を押すと言ったほどのニュアンスを持っていると思うのです。即ち、そもそも今でいう「先生」は、「学生」の横か後ろに立って学生の学びをアシストする枠割を持っていると思うのです。ある人が、教育に対応する新しい訳語として「啓育」と言う言葉を充てる事を推奨していますが、啓発しつつ育むと言う意味合いになり言い得て妙でしょう。
つまり、表題もSTEEAM啓育に訂正すべきでした。では、今は、先生や教授と呼ばれている教育者の呼び方もこのままではいけないので、取りあえずここでは啓育者と呼んでおきますが、彼らの枠割もまた変わってこなければなりません。啓育者は、先ずは学習者の興味を引き出すための、材料を準備する必要があるでしょう。また現在の様に、学習者に検閲(ではなく今は検定でした)を通過した、画一的な教科書を与えるのではなく、興味を引くような問題や課題を示すのです。学習者には、その課題解決のための知恵を出すための工夫することを後押しするのです。この際決して「強要」してはなりません。何故なら、強要された学習者が課題を解決しても、決して達成感を感ずる事は無いと想像するからです。自ら進んで取り組んだ課題を苦労して解決できた学習者は、たぶん大きな達成感に満たされる筈です。啓育に短時間の成果を求めるのはご法度なので、これに当たる人たちに必要なのは、一にも二にも「忍耐力」しかないと思うのです。

 

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2021年2月 5日 (金)

3888 STEEAM教育?

STEM教育やSTEAM教育などは最近よく目にする言葉です。「STEAM」とは、サイエンス(Science/科学)、テクノロジー(Technology/技術)、エンジニアリング(Engineering/工学)、アート(Art/芸術)、マセマティックス(Mathematics/数学)の頭文字を取った言葉で、工科系の大学や高専などのカリキュラムは勿論、一般教育の内容にもそれらを反映させようと言う動きがある様です。
しかし、これだけでは何かが足りません。教育全般ですが、それは何のためか(つまりは目標)が抜けているからです。何のために何を学ぶのかが明確になっていないと、結局訳の分からないサイエンスや技術や工学やアート、数学を学ばせたところで、生徒(学生)に目隠しをして走らせる様なものでしょう。では、何のためにを学ぶのはどの様なカリキュラムになるのでしょうか。多分それは倫理(Ethics)ではないかと思っています。そこで、表題はSTEAMにEthicsのEを追加した次第です。倫理の「倫」は人と人との関係を示す文字だとされていますが、先人はEthicsを訳す際に、その理(ことわり)を表わすとして倫理と言う文字を充てたのでしょう。しかし、投稿者は倫理は単純なEthicsではなく、環境倫理(Environment Ethics)でなければならないと思っています。と言うのも、環境倫理は環境と人間との間の理を規定するものであり、人類の身勝手(わがまま)に歯止めを掛けるものであるからです。
産業革命以降、人類は科学技術と地下資源を乱用し、欲望の赴くまま好き放題を繰り返してきたのです。結果は、資源の枯渇のみならず、環境の汚染や悪化を招いたのでした。STEAM教育は、これを推し進めるだけでは、その悪化を暴走させてしまう可能性も拭い切れません。環境倫理は、まさにその暴走のブレーキ役だと言えるでしょう。環境倫理を正しく学ぶことによって、この科学技術を使ってこのモノを作るのは、果たして環境倫理に照らしてOKなのかどうかのチェックが可能になるのです。また環境倫理は、私たち人類の限りない欲望にもブレーキを掛けるでしょう。何故なら、環境倫理は一木一草や虫や動物たちの幸福にさえ配慮を要求するからです。一例ですが、畑で穀物を育て、それを家畜に与えて太らせて、たっぷりとサシの入った肉を食らうと言う贅沢などは、環境倫理の下では当然許されない行動という事になるのです。多分続きます。

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2021年2月 3日 (水)

3887 池袋暴走事件

池袋暴走事件の裁判が続いています。経過を詳しくウォッチしている訳ではないので、中身はネットニュースで読む程度しか知りませんが、争点を一言で言うなら、車両故障かヒューマンエラーかと言う事でしょうか。車に故障や欠陥があれば、いくら適正に運転していても、事故は発生するでしょう。一方で、車が正常でも、アクセルとブレーキを踏み間違う事態では、車は暴走し凶器になってしまうのです。車社会が始まった頃、車にまだ慣れていないドライバーや車にあまり注意を払わない歩行者が、実に多くの交通事故を引き起こしました。記憶では、毎年2万人以上が犠牲になったのです。
さて、車故障かヒューマンエラーか問題ですが、事実としてアクセルとブレーキの踏み間違い事故は、コンビニやショッピングセンターや病院など場所は違っても後を絶ちません。元技術屋としての直感としては、今のオートマ車でのアクセルとブレーキの2ペダルと言うドライバーとの「インターフェイス」には、何か欠陥が内在しているのではないかと言うものです。旧車であれば、これに左足のクラッチがありますので、イザと言う場合には、車輪とエンジンの縁を切ることも可能でしょうし、シフトレバーで簡単にギヤをニュートラルに戻すことも可能でしょう。つまり、旧車ではドライバーが頻繁に車とのインターフェースを操作する必要に迫られるのですが、一方でオートマ車ではハンドル以外は、単に右足がアクセルペダルとブレーキべダルを行き来してスピードをコントロールする「単調な」作業になります。投稿者は、この「単調な作業」こそが、実はヒューマンエラーの大きな要因になっていると見ているのです。ハンドル操作以外では右足の動きだけを求められるオートマ車の運転では、右足の操作は殆ど無意識で行われている筈です。旧車では、車の速度に合わせてクラッチとギヤを操作しなければならないので、街中の運転は結構忙しくて疲れるのです。加えて、クラッチを踏むタイミングでは、実はアクセルも緩めてエンジンの回転も微妙に下げているのです。
投稿者は、オートマ車は、実はドライバーの操作能力を大幅に低下させた元凶だと疑っているのです。人間の両手両足を使っての絶妙なコントロールが要求される旧車と異なり、オートマ車ではそれを単純で単調な「バカチョン操作」にしてしまったのです。従って、運転者がボーっとしていても、高齢となってボーっとしがちな人でも、それなりに運転は出来るのですが、それが駐車場での前後進の切り替えや急な周囲状況の変化など、急な操作が求められる際に、人間はヒューマンエラーを起こしてしまうのでしょう。裁判の行方とは別に、全オートマ車メーカーがヒューマンエラーを防ぐための何らかの装置(インターロック)を追加しない限り、この種の事故は絶滅出来ないでしょう。スマアシ車は、完璧ではありませんが次善の策の一つではあります。

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2021年2月 2日 (火)

3886 政治離れ

何度も書くようにこのブログは批判は目的にはしていません。批判は元々「ダメ出し」であり、ネガティブなものだと思うからです。従って、いわゆる「マツリゴト」に関して言及する事は出来るだけ避けてきたつもりです。とは言いながら、昨今のマツリゴトに関係するリーダーたち関しては、柔道で言うところの「指導」をしない訳には行かないと感じています。
少なくともリーダーたる人たちは、高邁な理想を持ち、少なくとも付き従う人たちの模範である必要があるでしょう。つまりは率先垂範です。またリーダーたる人たちは、集団に対し向かうべき方向を指し示す必要もある筈です。そうでなければ、付き従う群れが間違った方向に進んでしまうからです。投稿者が生きて来た戦後、取り分け記憶が残っている高度成長期以降でも、この国のマツリゴトはいくつかの制度修正や政党の離合集散を繰り返し、選挙制度もかなり変わってしまったのでした。その中で、いわゆる「政治とカネ」の問題は、ロッキード事件を引き合いに出すまでもなく、常に問題の中心にあった様な気がします。それを防ぐためと称して、政治資金規正法なるものも作りましたが、結局それは政党(Faction)を維持するためだけに多額の税金を使うと言う制度になっただけでした。それでも足らずに、政治屋たちはパーティやイベントにかこつけてカネ集めに奔走を繰り返すのでした。
その結果、本来政治家が練るべき「政策」は、税金だけでは足りずに国が無理な借金を重ねてひねり出した予算の使い道(予算の分捕り合戦)の議論を繰り返すだけで、ではこの国を将来どの様な国にしたいのかと言う「国家百年の計」など国会で議論になったことはほぼ皆無だったと振り返っています。つまり、現在この国には政治家などは存在せず、マツリゴトの世界は全て「政治屋」で占められていると見るしかないのでしょう。ですので、国民の政治不信は常態化し、この国のマツリゴトは、低い投票率で当選した「期待の持てない政治屋」によって執り行われいると言う最悪の事態に陥っているのです。
結論を言えなら、最早政治屋などに頼っている場合ではないと思うのです。政治を批判ばかりして、政治に背中を向けても事態は悪化するだけだと思うのです。そうではなくて、先ずは小さなグループで、自分たちが進むべき方向(社会のあるべき姿)を描き、小さな行動を起こすべきでしょう。もしそれが多くの人たちの賛同を得るならば、自然にその行動を真似、やがてそれがムーブメントを巻き起こす筈なのです。つまり、政治不信=政治離れについて対応を考えるなら、今のトップダウンではなく、「ボトムアップ」の動きしかないと言っておきます。このまま政治屋に舵取りを任しておくなら、間違いなくこの国は沈没し、二等国以下に落ちぶれるでしょう。トップに信頼できない輩が座っている限り、底辺(個々人)から静かにより正しい行動を起こすしかないのです。

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2021年2月 1日 (月)

3885 ハイパーループって?

航空機に対抗する都市間の乗り物として、ハイパーループがネットで紹介されていました。これは、EVの量産で有名になったE.Mスクが考案したとされる、真空中のチューブの中を高速で緯度するモノレールの様な乗り物です。いわば、リニア新幹線をそのまま真空チューブの中に入れて、空気抵抗を減らして旅客機並みのスピードで走らせようと言うものです。これをV-ジン社が、実用化を検討し始めていると言う事で、その3Dのバーチャル映像が公開された様です。確かにこれは夢の乗り物ですが、しかし冷静に考えてみるとこんな危ない乗り物を、一体誰が建設し、それを利用すると考えているのか、真面目に考えている関係者の常識も疑われます。
先ず、気圧を真空と言われるレベルまでに下げるのが至難の業です。つまり、周りから1気圧の大気圧で押されてもひしゃげない頑丈で太いチューブ鉄道を建設する必要があります。登りも下りもありますから、2本必要でしょう。駅には特殊な仕掛けが必須です。つまり乗客が乗り降りする出入り口が開放している間、チューブの真空と駅の中の大気圧間の気密を維持するための「エアロック」です。まさしく宇宙船のエアロックの様なゴツイ仕掛けです。
加えて、真空のチューブの中を進む車両の構造がどれほどゴツクなるのかが想像できません。それは、それはまさに宇宙船と同じ条件になるからです。つまり、外は真空で、中は大気圧である宇宙船と同じ強度を持ち、たとえ何らかの事故で、車体が損傷を受けても、乗客の安全が保てるように、生命維持装置も必要なのです。
こんなゴツイチューブや宇宙船並みの車両が、今の新幹線と同じ程度の建設コストで済むとはとても想像できません。少なめに見ても、ざっと一桁以上は建設コストが跳ね上がるでしょう。真空を維持するためにも莫大なエネルギーが必要ですので、運賃も新幹線や航空機よりは何倍も高く設定せざるを得ないでしょう。
事故も心配です。例えば、車体に穴が開いて車内の気圧が急激下がると、酸素濃度も下がり、生命に危険が及ぶからです。航空機に場合は、上空の気圧は地上の1/3程度ですが、機内は与圧されている上に、機体が損傷した場合には、機長は先ずは高度を下げて、乗客が気圧変化で傷害を受けない様に行動するでしょう。ハイパーループの場合は、一体どうするのでしょう。長い真空チューブの中に急激に空気を戻すと、同時並行で高速走行している別の車両は、さながら空気の壁にぶち当たった様な衝撃を受ける筈なのです。
どの様な道筋で考えても、こんな危険でコストのバカ高い乗り物が走る時代が来るとは投稿者には到底想像できません。

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