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2021年2月19日 (金)

3899 商業主義の行き着く先

五輪に絡んでのゴタゴタが治まりません。そもそも五輪の持つ意味が歪んできつつあると思うのです。つまり、スポーツの祭典、アスリートが目指す頂点大会と言う意味合いが、莫大な放映権や開催国が観光客を集めるきっかけとなるイベント、国威の発揚など、本来の意味合いからの逸脱が極限まで来ていると思うのです。商業主義とは、五輪に絡んでの経済効果の最大化こそが目的であり、観光需要では一体何人が五輪に絡んで来日したのか、国威発揚では合計何個のメダルを獲得したのか、と言った「指標」の最大化こそが目的になってきているのです。
鍛え上げたアスリートが、体力を限りを尽くして競い合う姿は、確かに尊いもので、感動を呼ぶ起こしはしまうが、スポンサーに押され、民衆の期待を集めながら、青春を犠牲にして競技に専念するセミプロアスリート達は、一体人生で何を得て、何を失うのでしょうか。メダリストは、まだ報われる局面も多いのかも知れません、しかし努力を重ねながらも、入賞すらできなかった大多数のアスリートは、競技生活の後でどの様な人生を送るのでしょうか。多くの人たちは、燃え尽き症候群に襲われるのではないか、と懸念しています。
五輪の開催は、やはり本来の目的に戻すべきだと思うのです。これまでに作られた競技施設を再利用しなから、競技施設の都合によっては複数国共催(分散開催)で行えば良いのです。競技者も、観客も分散行動する事によって、多くの問題点が解消されるでしょう。勿論、コロナ感染症やテロや犯罪などもコントロールし易くなるでしょう。
お祭りは、確かに一時期の好景気や興奮は得られるのですが、考えてみなければならないのは「祭りの後」なのです。大金を投じて作ってしまった施設の有効活用、お祭り景気の後に来るのは必至の「反動不景気」を考えると、ささやかですが税金を払った身としては勿体なさに絶望感さえ感じてしまいます。そろそろ、五輪の在り方を考え直す(元の素朴な大会に引き戻す)べき時期に来ていると思うのです。お祭りなどに無駄金を使わなくとも、将来の社会の構築に有効な税金の使途は枚挙に暇はないでしょう。

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