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2021年3月 2日 (火)

3906 地域循環共生圏2

地域循環共生圏と一口に言っても、ではその実際のサイズ感としてはどの程度なのでしょうか。投稿者の研究?によれば、それは中小河川を直径とする円程度と言えそうです。具体的には、直径としては最大でも50㎞程度だと言っておきます。車を使う場合は、圏内では端から端まで1時間以内で移動できるサイズです。車移動が少なかった時代(例えば戦前)では徒歩や馬車での移動ご主だったでしょうから、そのサイズは直径でも20㎞程度に留まっていたでしょう。かつては、この様な小さな圏内で、経済活動の大部分が回っていたのです。
里山では、薪炭や山菜を採取し、村では食料を生産し、街では軽工業や醸造業や食品加工などの産業が営なまれていて、その圏内ヒト、モノ、カネがグルグルと循環していたのです。その圏内で調達できないものだけ、圏外の工業地帯にあるメーカーで作ったモノを移入し、代金は田舎で農林水産業などで稼いだカネで決済していたのです。
理想的な、地域循環共生圏は、結局狭い地域で自給自足できる範囲内で、ヒト、モノ、カネを循環させ、「必要かつ最小限」の足らざるは外部からの供給に頼る様な社会システムという事になります。その中では、必要以上に「お金」に頼ることなく、可能な限り物々交換か地域通貨などで決済する仕組みを工夫する事が肝要でしょう。お金(通貨)は、現代社会では事実上何にでも交換できる「価値」ではありますが、自分が手にしている価値をお金に交換する際には、必ず「損」をしてしまうのです。お金同士の交換でも、例えば外貨に交換する場合には、一定の割合で手数料の様なものが発生しますが、モノや価値をお金に交換する場合でも同様の事態が発生するのです。銀行でも、モノを売り買いし輸送する流通業でも、金利や各種の手数料を要求しますが、彼らはそれで利益を出して暮らしているのですから仕方がありません。とは言いながら、金融業や流通業が、必要以上に肥大化している事は間違いないでしょう。
逆に言えば、私たちは金融業や流通業などとそこで暴れ回る「お金」に踊らされているのかも知れません。私たちは、自分で食料を得るために、里山に入り、または庭で野菜を育てる行動を放棄して、代わりにお金を握ってスーパーマーケットに走るのです。これでは地域循環共生圏の実現どころか逆に「広域一方通行他者依存圏」などと呼ぶしかない社会なのです。この様な社会では、地球の資源を大量に採取し、大量に輸送し、大量に生産して流通させ、最終的には大量のごみを出して、埋め立て場を満杯にするか、海の浮遊ごみを増やし続ける結果しか生まないのです。地域循環共生圏へのアプローチとは、今の社会の経済サイクルを諦め、少し昔の小さい単位のサイクルに逆戻りさせる行動を意味するのです。

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