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2021年4月 4日 (日)

3921 ある人生4

<造船屋時代>
K重工での配属先は、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの造船部門でしたが、その中では人気が無さそうな修繕部門に回されたのでした。商船は、毎年乾ドックに入れて船体や機関の定期検査と必要な修理・再塗装などを行わなければなりません。それを迎える造船所では、船体と機械と電気の担当技師がチームを組んで一隻の船を担当し、事前の打ち合わせから、実際の検査や修理、そして完工出航までを全て取り仕切るのです。修繕船は、精々長くても2週間程度の工期が普通ですので、当然の事ながら長時間残業や徹夜なども当たり前の職場でした。船の狭い機関室内を動き回る訳ですから、油でドロドロに汚れる作業服を毎日取り換える必要がありました。しかし、直径が1mを超えるピストンを持つディーゼルエンジンや、数万馬力の出力の蒸気タービンやボイラや荷役機械など、船舶には凡そ考えられる全ての機械が揃っており、毎日それらが分解され点検され、必要になら修復される過程を目にする訳です。最初こそ先輩の後ろについて回っていたのですが、忙しくなると無理やり独り立ちを余儀なくされ、知らず知らずの内に「メカのエキスパート」っぽくなれた様な気がします。
ちなみに、最初の1年はK戸が任地でしたが、1年後には、香川県のS出にあった大型船用の造船所に転勤になったのでした。振り返ってみれば造船所での10年余りの間に、担当した船の半分ほどは外国船籍で、乗組員や船主側の担当も外国人であったため、自然と英語によるコミュニケーション能力も身についていた様です。坂出に居る間には結婚もし、まるで58歳で亡くなった母親と生まれ変わる様に、最初の子供(娘)も生まれたのでした。
30代に入った頃、急激な造船不況が始まり、造船の仕事は激減しました。背に腹は代えられず、会社は多くの希望退職を募り(別の言葉では首切りですが)同時に他事業部への転勤を断行せざるを得ませんでした。造船所から多くの仲間を見送った後、自分自身も航空機部門へ転勤する事になったのでした。

 

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