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2021年4月 3日 (土)

3920 ある人生3

<高専時代:K君の事>
3年の時に、同じ中学から電気工学科に入ったK君に誘われ、日本を脱出してアメリカの牧場で働きながら旅行でもしようと相談がまとまったのでした。K君も頭は良いものの、やはり学校の勉強は嫌いで電気工作ばかりしたらしく、やはり成績は低空飛行していたのです。劣等生同士のワルダグミはすぐに決まったのでした。バイトで少しお金を貯め、いよいよ実行という段になって、彼は強い意志で本当に退学したのですが、自分は母親に泣きつかれて断念してしまったのでした。
初志を貫いて退学したK君は、取りあえず日本の電気会社に入り、その後関連の大手外資系電気会社の米国法人に移り、最終的には急激に伸びていたコンピュータシステムの会社(Sスコシステムズ社)に入って、なんと50代前後にマスコミに登場した時には、その企業の副社長にまで上り詰めていたのでした。功を為す人間は、やはり何か違うと感じたものでした。残念なことに彼は惜しまれながら52歳という若さで早逝してしまいましたが・・・。
一方、凡人の自分はと言えば、成績は低空飛行を続けながら、バイトに勤しみ奨学金も注ぎ込んでオフロードバイクを買い、バイクツーリングやユースホステルを使った国内旅行にものめり込んでいったのでした。人並みに、パチンコ、麻雀、酒やタバコも嗜んでみましたが、どれも体質には合わない様で、趣味?にはなりませんでした。
さて卒業です。 ‘72年当時は好景気で、引く手はあまたでした。求人票を見て、何故か先輩が誰も入っていない、K重工を希望しました。入社試験は散々の出来でしたが、たぶん運動部であった事と大量求人の「十羽一からげ枠」で合格し、その年の学卒。高専卒計360名の一人として無事就職できたのでした。初任給は、確か5万円台だった様に記憶しています。

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