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2021年4月 5日 (月)

3922 ある人生5

<航空機屋時代>
転勤先は岐阜のK務原にある航空機部門で、生産技術担当になりました。図面と工程仕様書(スペック)を読み込み、現場が作業をするための工程計画表などを作成する部門ですが、その他にも次期生産モデルの先行計画や設備計画なども守備範囲にあり、仕事の内容は設計、現場、品証以外の全てと言っても良いでしょう。
30代は人生で一番勉強した時代でした。何しろ、造船でモノは嫌というほど見ては来ましたが、学生時代の勉強嫌いが祟って工学の基本が身についていなかった訳ですから、いきなり化けの皮が剥がされるのを感じたものでした。幸いにも、配属された職場はノンビリしたムードで、仕事や下調べに掛ける時間はたっぷり与えられていたので、分からない事は改めて工学書や英語の文献に当たって、知識を増やしていくことが出来たのです。ラッキーな事に、工場には教科書に載っている様な、新旧の製造設備の全てが揃っていて、作られる多くの部品が日々流れていて、その実際の工程を目にする事が容易でした。という訳で、文献を調べる一方で、実際に朝夕現場に出向けば、行われているプロセスを「立体的に見て知識を確認する」事ができたのでした。こうして、モノには強かったものの理論が弱かった造船屋は、30代の必死の勉強で、やっと理論の裏付けもある航空エンジニアっぽく成長できたのでした。
休みはしっかりと取れたので、30代はテニスも本格的に始め、読書量も人生Max、会社が斡旋していた英会話教室にも毎週欠かさず通い、息子も生まれたので子育ても忙しく、充実した生活を送っていた時期でもありました。そんな充実した生活が40代前半まで続きました。
登山にのめり込んだのは40代半ばの事でした。会社の登山部がバスを1台借り切って、富士登山のトレッキングツアーを企画してくれたのですが、中学生になっていた息子を誘ってそれに参加したのがきっかけでした。高山病気味になりながらも、無事登頂し下界を見下ろした時の達成感が半端なく素晴らしかったので、その後数回は登山部の山行に混ぜて貰って経験を積んだのでした。数回のトレーニング後、装備も買い揃え、ある年に笠ヶ岳から入って槍ケ岳を縦走した山行からは、自分のペースで行動できる単独登山を楽しむ様になっていきました。

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