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2021年6月30日 (水)

3958 航空機の電動化

電力は、いずれの形態のエネルギーに転換するにせよ、最も効率の高いエネルギーの形であることは間違いありません。例えば電力を力のエネルギーに変換する場合、モーターを使えば、90数パーセントの効率で転換できるでしょう。熱エネルギーへの変換に至っては、100%の効率で転換できる訳です。(空調レベルの熱でヒートポンプを使えばそれ以上)
しかし、問題は化石燃料にせよ、再エネにせよあるエネルギー形態から電気エネルギーを得る際の効率の低さこそが大問題なのです。化石エネルギーから電力を作る火力発電所の熱効率は40%程度がMaxなので、ボイラーで発生させた熱エネルギーの6割程度は、煙突やタービンの復水器などから環境へ放出せざるを得ないのです。これでは、効率の高い内燃機関(エンジン)や外燃機関(タービンなど)で化石燃料を直接エネルギー源として使うのと、電動機で駆動するのとそんなに大きな差は出ないでしょう。
さて、電動の航空機です。車メーカーやそれらを忖度していると思われるお国は、どうやらドローンの大型化を視野に、電動飛行機を実用化させようと目論んでいる様です。しかし、考えてみればすぐ分かりますが、空港と市内を結ぶ空飛ぶタクシー程度の利用であればそれでも機能はするでしょうが、大陸間横断の長距離機としては絶対に成り立たないでしょう。何より、現在の技術では、エネルギー密度として大陸横断に耐えるだけの電力を蓄えるバッテリーが実用化できないでしょう。
ならばどうするかですが、それは車と同様にハイブリッドとするしか道は無さそうなのです。つまり、最大パワーを要する離陸時や機体の操作動力として、電力を使うシステムが例示出来るでしょう。発電には、高速回転をしているジェットエンジンを活用するのが良いでしょう、発電機は高回転化すればするほど小型化が可能ですから。勿論、離陸時にはバッテリーに蓄えた電力でブーストする事により、発電機の大きさも抑える事が可能となるでしょう。現状の寸胴型で空気抵抗の大きな機体の改良と相俟って、効率を現状の2倍、つまりは現状の半分の燃料で飛べる航空機の開発なら十分可能でしょう。100年後まで考えるのであれば、新しい時代の飛行船などまで視野に入る事でしょう。つまり、太陽光パネルからの電力を使って飛ぶ飛行船で、大陸間の横断には偏西風を上手く使って飛ぶ仕組みです。アジアからアメリカまでは数日間掛かりますから、料金はかなり高めとはなるのでしょうが、何しろ石油が枯渇した時代、石油を使わないのは、他に帆船くらいしかないでしょうから、致し方ありません。それまでは、ハイブリッド電動航空機でつなぐしかないのでしょう。多分。

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2021年6月29日 (火)

3957 アフターコロナ2

今回のコロナパンデミックスは、経済活動のみならず、個人の生き方、暮らし方に影響を与えずにはおかないでしょう。何故なら、私たちがこれまで当たり前の様に享受していた、便利で快適な暮らしが、実は大規模なパンデミックの前では、さながら薄氷の上に成り立っていた「脆い」ものであった事が、誰の目にも明らかになってしまったからです。つまりこの世に、確実なものがある、または明日が今日の延長線上にある、などと思う事自体が「泡沫(うたかた)」の様に打ち砕かれることが起こってしまったのでした。
仕事、カネ、移動の自由や遊び、人間関係、健康、家族、勉学機会などなど、何一つ確実なものは無い事が分かってしまった私たちは、今後何を拠り所として生きて行けば良いのでしょう。投稿者としては、先ずは自分の足元を見つめ、確認する事から始めてみようと提案しています。勿論、投稿者の様に年金があり、ささやかながら自営業としての収入もあり、取り敢えず生きていくには大きな問題が無い世代と、現役バリバリで、子育てなどの支出も多い世代とは、かなり立場が異なる事は理解した上で、それでも自分が現役世代であった頃と比較して、現現役世代がかなり贅沢に暮らしていると見ています。例えば、旅行やレジャーに費やす時間や費用、通信費(ネット費用)、外食費等に差を感じます。投稿者の若かった時代には、家計費のホンの一部であったこれらの費目が、現世代では家計の大きな部分を占めている様なのです。
アフターコロナの来るべき時代には、先ずは必要不可欠の生活のベース部分と、その上に積み重なるベーシックな楽しみに関わる支出と、更にその上に乗っかる贅沢品や嗜好品を明確に切り分けて、収入や時代の流れの中で、柔軟に切り替えていくべきだと思うのです。つまり、あれもこれもではなく、今回はあの贅沢をしてしまったので、これは我慢すると言った切り替えです。借金して贅沢を楽しむのではなく、コツコツとお金を節約し、貯まった時点でささやかに発散するのです。健康も同様でしょう。感染症が流行してから対応に慌てるのではなく、日頃から体を鍛えたり、免疫力を高める努力(健康の貯金)をしておくべきなのです。コロナパンデミックは、現代の消費(浪費)生活や便利過ぎる都会生活に対して、耳が痛くなるほど大きな音で警鐘を鳴らしていると受け取るべきだと思うのです。

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2021年6月25日 (金)

3956 アフターコロナ

実のところ、今の様なウイルスや病原菌による「パンデミック」は、かつて「○○風邪」と呼ばれたもの、赤痢や黄熱病やペストなど死に至る病原菌によるものも含め、歴史上繰り返して人類を襲って来たわけです。ケースによって、人口の数分の一が失われた様な、壊滅的なパンデミックもあったでしょう。その意味では、歴史上私たちはアフターパンデミック、アフターコロナを何度となく経験してきたはずです。
しかし、現世代にとっては今回のコロナパンデミックは、ほぼ最初の経験として捉えられているのも間違いないでしょう。感染症による命の危険が、こんなに身近に迫った事など経験してこなかったのですからそれも無理はありません。勿論、原発事故や地震・津波や水害で命の危険に晒された経験を持つ人は多いのでしょうが、五感では感ずる事が出来ない微生物?による脅威は、それらとは別の恐怖を与えるものだと思うのです。
歴史上のパンデミック後も、アフターコロナも、人類が無力感に打ちのめされ、途方に暮れる図には違いが無いのでしょうが、圧倒的に異なるのは、現代の情報量の多さだとも思います。コロナが、人類に取り付き増殖する機序、それが変異を繰り返しながら免疫システムを潜り抜けようとする仕組みも分子レベルでかなり解明されては来ました。しかし、敵もさるものです。ウイルスは、免疫システムに感知されない様に、その突起を変幻自在に変えながら「生きながらえる」のです。今回は、肺炎を主な症状とするコロナウイルスでしたが、次回は別の臓器に取り付くウィルスに変容するかも知れません。
いずれにしても、今回のコロナパンデミックは、世界経済やそれに伴う人の流れ、更に言えばネットを使ったリモート○○の増加、外食の激減など、私たちの生活スタイルにも大きな変化をもたらしました。それは、必ずしも一過性の現象には留まらないと投稿者は見ています。今回のコロナ後には自粛の反発現象は少なからず起こるのでしょうが、例えば最終的に航空機便数や外食産業の規模などは、完全にコロナ前のレベルに戻るとは想像できません。もし戻るとしても、現世代の記憶が薄くなり、1世代以上代替わりしてからの事となるのででしょう。多分。

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2021年6月24日 (木)

3955 徒然に(鳥海山)

自宅から一番近くにある百名山である鳥海山に、年に10回以上は登ります。自宅からは、30㎞ほどしか離れていないので、どんよりした曇りの日以外は、雨の日でも雲の高さによっては、この美しい休火山の姿が眺められます。下から見上げる山も姿も確かに美しいのですが、しかし山に登ってみると、全く違った感慨に襲われます。というのも、この山は今は休火山と呼ばれていますが、投稿者が学生時代(正確にはS49年)に小規模な爆発を起こし、泥流も発生したのです。その時の噴火口は、今でも新山の溶岩ドームの横原に生々しく残っていて、この山が火山である事を想いこさせます。
加えて、古の時代には富士山の様に二等辺三角形できれいなコニーデ型の山容が、この新山が出来た大噴火で、なんと火口カルデラの北半分が吹き飛ばされて、大規模な山体崩壊を引き起こしたのでした。(目撃した訳ではないので想像です。)その崩壊が、いわゆるにかほ高原の標高500mほどの大地を作ったのでした。この山に登ると、三角点があり最高点が2230mほどの外輪山の残りと、ゴロゴロとした巨石が積み上がっている溶岩ドームの新山(2236m)の二つのピークがある事に気が付きます。新山から北側を眺めると、角度で言えば50-60度に切り立った、山体崩壊の斜面が眺められ、その下に火砕流が作った広大な台地が広がっているのが見えるのです。
一方で、海側の登山口から登ると、小田ヶ原と呼ばれる台地(溶岩台地)や噴火口(お釜)である鳥海湖や大小の溶岩ドームが眺められ、やはり古の火山活動に想いを馳せる事が出来ます。学術的にも貴重な地形である鳥海山とその周辺は「ジオパーク」にも認定されており、山麓や麓には温泉も多く湧き出ています。この山に登る度に、地球の悠久の歴史を想い、それに比べて人間の一生なんてなんとちっぽけな事か、と大自然の前で謙虚になれるのです。何故山の登るのかと問われれば、大きな山の上で自分のちっぽけさを確認して安心するため、と答えています。投稿者は、その北側の麓の町で生まれましたが、還暦を迎えてこの山が見える土地に竟の棲み家を建て、Uターンしたのでした。同じく、この山が望める場所の共同墓地に墓地を求めたのです。結論を言えば、人はやはり自分が生まれた場所で人生の最後を迎えるのが、実は一番幸せなのかも知れないと思う今日この頃なのです。

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2021年6月21日 (月)

3954 環境学2

環境学について言いたい事はもう少しありそうです。凡そ「環境」とい概念は「閉じた系」であると考えるべきでしょう。地球環境と言う系を考えてもそうです。確かに、宇宙空間から飛来する隕石もあるし、稀ですが地球から飛び立ち、宇宙のかなたに消えていく宇宙船もあるのでしょうが、基本的にはその僅かな物質の授受以外は、地球はほぼ完全な閉じた系と考える事が出来ます。
もう少し、小さな単位で考えて、島国である日本について考えてみます。海外との交易が殆ど無かった古の時代、この国もほぼ閉じた系だったと言えるでしょう。日本の外の系から来るものと言えば、雨や偏西風がもたらす黄砂などに限られていましたし、出ていくのは火山活動から上空高く噴き上げる噴煙や噴出物、あるいは川が山を削って海に運ぶ泥程度だったからです。無視できる程度ですが、渡り鳥や他の生き物が運ぶ有機物の出入りもあるにはありました。
しかし、大航海時代は限定的だった海運が、取り分け戦後になって、大型船によって大量運搬、大量消費時代に入って、国の間の物流量が飛躍的に拡大していったのでした。そして、その量が環境に影響を与える規模まで拡大した時に、例えば「公害」などの「環境問題」を引き起こし、それを吟味するために「環境学」が必要となったのでした。公害とは、環境が処理できる量を超えて、環境中に自然には存在しない(またはごく僅かにしか存在しない)物質を排出した結果日本でも世界各地でも巻き起こったトラブルでした。例えば、それが有害物を含む排煙や排気ガスでは、大気汚染という公害を引き起こしましたし、有害な物質を除去しないまま、工場排水や生活排水を川や海に流し続けた結果、水俣病やイタイイタイ病や悪臭漂うドブ川問題を各地で起こしたのでした。
勿論、環境がその負荷をどの程度引き受けられるかの限界(=しきい値)は重要ですが、公害の中には、環境が即反応する場合と長い間沈黙を守る場合があるのです。目に見える、大気汚染や水質汚濁は誰の目にも明らかですが、では50年前に大気中の温暖化効果ガスによる環境悪化について誰が警鐘を鳴らしてくれたでしょうか。投稿者の知る限りにおいては、ごく少数の学者グループだけだったと振り返っています。温暖化効果ガスは、CO2の様に無毒で、目には見えませんし、逆に植物の光合成には不可欠のガスでもある訳で、それが気象に重大な影響を与えるなどとは、以前には殆ど知られていなかったからです。
環境学とは、3953とは別の言葉で言えば、「(ほぼ)閉じた系に生ずる後戻りできない変化を予測し、評価し、修復を図る学問である」とも言えそうです。系の変化量や率が激し過ぎると、最早後戻りも修復も出来ない、環境「破壊」に至るのです。今や私たちは、その後戻りできないポイント(Point of no return)に立っていると考えなければならないでしょう。残念ながら。

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2021年6月18日 (金)

3953 環境学とは

投稿者は、50歳過ぎに「環境」に目覚め、その後放送大学の大学院の門を叩き環境学を学びました。高専出身で20歳で社会に出ましたので、通常の学部生から見ると2年分は「キセル(古い言葉です)」をした様にも見えますが、社会人としての経験をカウントして貰い、ちゃんと試験も受けたので、インチキではありません。
さて環境学です。投稿者なりの結論としては、環境学=持続可能性学だという事になりました。極論を言うなら、今どんなに優れた技術だと評価されていても、100年後も持続的に使えるものでなければ、それは環境学に照らして悪い(=持続可能ではない)技術だと判定するしかないのです。投稿者が長く関わっていた分野に、造船業と航空機産業がありますが、前者はGOですが、環境学的には後者はNGだと言えるでしょう。つまり、船はもし石油が無くなっても、例えば太陽光による電力と帆走を併用した船を作れば、走らせることは可能ですが、一方で航空燃料を全てバイオ燃料にする事は量的に不可能ですので、旅客機は近い将来には大金持ちしか乗れない乗り物になる事でしょう。
この様に、100年間というフィルターを通して、今ある技術なり製品をチェックに掛ければ、残ったものが「多分」持続可能で、SDGsの17個のターゲットにも叶うものだけが残るのでしょう。さてm車はどうなるのでしょう、言えることは、100年後も自転車は間違いなく残るでしょうが、車はどの様な形で生きのびるのかは不明です。少なくとも、空飛ぶ車は実用化されないでしょうし、同じ程度に水素自動車が大々的に使われないであろうことは、ほぼ断言しても良いでしょう。何故なら、両方共持続可能性からの必然性が非常に「希薄」だからです。墜落してもあまり大事故にならないと思われる小型のドローンはまだしも、落ちたら乗員や地上で巻き添えを食った人達がただでは済まない空飛ぶ自動車や、せっかく苦労して発電した電力で水素を作り、爆発の危険を覚悟で乗り物に搭載して使うというロスと危険が混在する技術には、何の必然性も感じられません。それよりは、単なる電気自動車の方に軍配が上がるからです。
くり返しますが、環境学とは結局は持続可能性を吟味するリトマス試験紙の様な学問だと思うのです。勿論、その中には社会システムや技術のGO/NO GOを判定する「倫理学」の様な要素も含まれるべきでしょうし、人類や他の生物のあるべき行く末を議論する「未来学」の様な要素も必要でしょう。

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2021年6月15日 (火)

3952 バイオ燃料考

ミドリムシのサプリで有名になった企業が、ミドリムシからバイオ燃料を抽出し、ジェット機での燃焼試験を成功させたようです。これは一つの正しい方向だと思います。微生物が、水と太陽光とCO2を使って合成した炭水化物=バイオ燃料の原料は、それを燃焼させても理論上大気中のCO2は増加させないのです。ですから、航空機の様に「電動化には馴染まない」インフラは、当面この様なバイオ燃料で動かすしかないからです。
問題は、生産量とコストです。太陽光を使う限りにおいては、先ずは広い面積を持つ「水面」を確保する必要があるでしょう。残念ながら、ミドリムシは淡水に生息する微生物ですので、海面では役に立ちません。その意味では、狭い国土のこの国では適地が余り広くなさそうです。もし、おある大きさの淡水湖をこの目的で利用しようとしても、既にそこに棲息する生物の生態系を破壊する恐れもあり、かといって新たに人工の湖水を作り出すにも同様に生態系の破壊問題が付きまといます。
決定的な解決策にはつながらないかも知れませんが、休耕田をこの目的のために転用するのも一つの考え方ではあります。雑草を生やしておくよりは、ミドリムシを育てた方が土地利用としては良いに決まっているからです。
バイオ燃料の量の確保問題に関しては、「節約」にしかる良いアイデアは見つかりそうもありません。無駄使いを防ぐ方法は一つしかありません。価格でコントロールするのです。化石燃料には、目が飛び出る様な税金(炭素税)を課して値段を非常に高く設定し、一方でバイオ燃料にはささやかな炭素税を掛ける訳です。それにしても、バイオ燃料の製造コストは高いので、たぶん燃料価格としては、バイオ燃料が今の2倍以上程度、化石燃料に関しては思い切って10倍程度になる様に税金で誘導するのです。その結果、不要不急の燃料消費は、たぶん今の半分程度には抑制可能となるでしょう。つまり、欧州への旅行パックが20万円以下程度であれば、それを利用する人も多いのでしょうが、それが一気に40万円を越えるとなれば、庶民レベルでは旅行の頻度も下げざるを得なくなる筈なのです。国際便の便数も、結果として現在の(コロナ前の)半分程度に減便せざるを得ないでしょう。しかし、減便と値上げで多少の不便さは残りますが、コロナ渦中の現在に比べればそれでも天国の様なものだと言えます。

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2021年6月14日 (月)

3951 温暖化効果物質

以前にも似た様なタイトルで投稿した様な気もしますが、どうせアクセス数も少ない随筆風の文字だけのブログで、誰も注目していないでしょうからまあいいでしょう。最近の温暖化傾向に拍車を掛けている要素として、温暖化効果物質(GHP=Green House Pm)を疑っています。これは、いわゆるPM2.5の様な大気中を浮遊する物質が、結果として太陽から来る、或いは地球から反射される赤外線を吸収したり、反射したりして、温室効果を高めているのでないかと疑っているのです。
赤外線とは数ミクロン~1000ミクロンほどの波長を持つ電磁波の総称ですが、取り分け人体が感じやすい波長の10ミクロン前後の「遠赤外線」の挙動に注目しているのです。PM2.5は、5ミクロン以下の有害な浮遊物質やミストなどが、肺の奥深くに入り、喘息などの呼吸器系の病気の引き金になったり、悪化させたりするため、近年注目される様になってきましたが、その粒子サイズは、何も2.5ミクロンに限定されるものだけではなく、大きなものは黄砂などの無機質から、石炭火力などから排出される、硫酸ミストなどを含み、広く分布している筈です。それらの粒子の直径は、先に述べた遠赤外線の波長に近いこともあり、それらを反射・吸収する可能性は高いのです。結果として、遠赤外線が地表付近の大気の中に閉じ込められ、それによって大気温度が上昇する事につながる訳です。これは、GHC(温室効果ガス)が、大気温度を上昇させるメカニズムと同じですので、GHPも温暖化を助長させる要因だと疑われる訳なのです。
残念ながら、近年PM2.5は、主にお隣の大国の内陸部や旧ソ連で石炭火力に頼っている地域で発生されるPM2.5の原因物質量が、エネルギー使用量の増加に伴って増加傾向ににあり、加えて中央アジアの砂漠化地域の拡大によって多発する様になった黄砂と相俟って、PM2.5の発生頻度や密度も高まっていると思われ、これが特に春先の高温傾向を招いていると見ています。そうでなければ、いくら温暖化が進んでいるとは言え、5月や6月に北国でも真夏日が頻発する気象現象の説明はつかないでしょう。

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2021年6月11日 (金)

3950 五輪所感

五輪の中止や再延期(=ほぼ中止ですが)の声も,、さすがにここまで来れば、外野の歓声にしか聞こえない様な雰囲気になってきました。何より、五輪の誘致に率先して動いた前のリーダーとその大番頭であった現リーダーのメンツというものも有之で、政府として中止や再延期と言った選択肢は無かったのでしょう。
とは言いながら、五輪はあくまで民間のスポーツイベントであり、それ以上のものではない筈です。それをさも、国がけん引するイベント(国を挙げてのお祭り)でもあるかの様な扱いには、決定初期から違和感を禁じ得なかったのは投稿者だけではないでしょう。
それにつけても、五輪の裏で動く莫大なカネには、最早呆れる他は無さそうです。決定初期には、競技施設やインフラの整備に信じられないほどの公費が突っ込まれ、その後はいわゆる広告代理店と言われる企業やメディア関連企業、セキュリティ関連企業やIT関連企業まで、五輪マネーがばら撒かれていったのでした。コロナ騒ぎがあり、旅行・宿泊産業やサービス業は存続を掛けた痛みに襲われてはいますが、それにしても「五輪長者や五輪規貴族」にとって、中止や再延期などという言葉は耳にするのも寒気がするでしょう。
いずれにしても、五輪は「カネにまみれ過ぎている」のは事実でしょう。かつての様な。アマチュアスポーツの祭典には最早逆戻りは無理なのでしょうが、少なくともその努力は必要だと思うのです。今回のTokyo2020では、政府や国民の前のめり状態が、IOCに見透かされている状況であるのも間違いはないでしょう。だからこそ、その会長も自信を以って「五輪の中止や再延期はあり得ない」などと発言も出来るのでしょう。
結局、私たちは政府も含め、2回目の五輪誘致に狂喜乱舞し、その開催に前のめりになり過ぎたところを、コロナ騒ぎが襲ったという構図が、最後まで続くのは間違いなさそうです。その意味では、世界中の国々もこの国も、昨年B漢の封鎖やあの豪華客船の着岸が発端に勃発した新型コロナウィルスの脅威を、あまりに低く評価してきたツケが今回ってきているのだ、と深いタメイキまじりに振り返りしかない様です。その意味では、歴史に残る「呪われた五輪」ではありますが、あまり大波を立てずにひっそりと開幕し知らない内に閉幕する事を願うばかりです。

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2021年6月10日 (木)

3949 エネルギーロンダリング2

ロンダリングはランドリーの動名詞形ですので「洗浄」や「浄化」と言った意味合いの言葉ですが、近年はマネーロンダリング(資金洗浄)の様に、悪いイメージの言葉として使われる様になりました。エネルギーロンダリングも、良さそうなイメージを先行させながら、実はCO2削減には余り寄与しない様な取り組みを揶揄している言葉でもあります。
3948では水素社会を批判的な立場で解説しましたが、同様な例はいくつか挙げられそうです。例えばバイオマスです。木材や農業残差などのバイオマスをエネルギー源として利用するのは一見再エネとしての活用として良さそうな取り組みですが、ではそのバイオマスを集めるために使う林業機械や農業機械が費やす石油エネルギーのカウントや、伐採した木材資源を再生させるための植林が適正に行われたか、といったその再エネに関わる全ての負荷を勘定に入れる「ライフサイクルアセスメント」を行った上でGo/No goを決める必要がある訳です。
その意味で、例えば海外からバイオマスを輸入しながら稼働させているバイオマス発電所などは、まさにエネルギーロンダリングの見本の様なもので、即刻停止させるべきシロモノと言えるでしょう。同様に、製造・設置エネルギーを(投資回収ではなく)自身が発電したエネルギーとして回収するのに10年以上を要する太陽光発電も適正に評価する必要があるでしょうし、風力発電も同様のチェックが必要でしょう。大規模な土木工事を伴う再エネインフラの建設には、莫大な石油エネルギーが投入されているのですから。
一見。環境負荷が小さそうな再エネでも、その耐用年数は限定的であることに注意を払うべきでしょう。せっかく、金銭的投資や化石エネルギーの投入分が、10年以上にわたって発電されたエネルギーで回収出来たとしても、数年先に更新時期を迎える場合も多い訳ですから、全ての再エネケースでは、寿命時期まで想定した全体的なアセスメントが不可欠なのです。そこまで考えると、国が宣言した2050年度CO2の「実質」排出ゼロなど、夢のまた夢と切り捨てるしかありません。それよりも、現在を100%とした「省エネ50%」の達成こそが現実的な政策だと言えそうです。現在は、16%程度の再エネ率でも。50%の省エネが達成されれば30%以上に跳ね上がるのです。省エネの実現に多少の投資が必要だとしても、その投資回収期間は数年程度と短いでしょうし、他方で省エネ効果は長く続くのです。
50%省エネの達成には、モノの製造・消費・廃棄の量を減らす工夫、可能な限りモノを運ばない工夫、建物などの断熱・遮熱性の向上、季節外れの食品を口にしないなど、従来型の技術や工夫の範囲で十分届くと思うのです。

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2021年6月 8日 (火)

3948 エネルギーロンダリング

同じ様な事を別の言葉で言います。この国は、どうやらエネルギー源を「クリーンな?水素」に求める方向に舵を切っている様です。大手自動車メーカーがいち早く水素自動車を開発し、市場に投入したのもそれを後押し(実は先導?)したのかも知れません。しかし、天然に存在しない限りにおいては、水素は「2次エネルギー」に過ぎません。確かに、水素自体を燃やしても(酸素と反応させても)排出されるのは水だけですが、では水素を作るのにどんな1次エネルギーを使って、その際何が排出されるのかをしっかり吟味しなければならないでしょう。
つまり、水素を例えばLNGやナフサを改質して取り出す場合、副産物としてCO2が出てしまいます。もし、改質工場の煙突からこのCO2を排出するのであれば、車や火力発電所で石油を燃やしてエネルギーを得るのと何ら変わりはなくなるでしょう。もし、太陽光発電や風力発電からの再エネ電力で、水を電気分解して水素を得るのであれば少しはマシですが、それなら発電で得た電力で電気自動車を動かす方が、総合的な効率が高いのは、素人が考えても自明でしょう。全ての「エネルギー形態の変換には、エネルギーロスが不可避」だからです。再エネ電力を使って水素を得る場合の損失、出来た水素を圧縮して貯蔵、運搬する際に必要なかなり大きなエネルギー、燃料電池で電力を生みだして、それでモーターを動かす際の損失を合計すれば、再エネ電力で直接EVを動かすのに比べれば、たぶん有効なエネルギーは半分以下に目減りする事でしょう。つまり、水素をエネルギー源として使う事には、殆どメリットは出ないのです。それでも、T社が水素自動車の開発を止めないのは、あくまで「水素はクリーンなエネルギー源である」という消費者向けの「イメージ戦略」でしかないと言うしかないでしょう。それは、資本とマンパワーの偉大な無駄使いと言うしかありません。あるいは、CO2を排出する「汚いエネルギー」を一見クリーンな水素エネルギーに変換する「エネルギーロンダリング」と切り捨てざるを得ないでしょう。
短慮なイメージ戦略だけで、温暖化が止まる訳ではありません。実質的にCO2の排出を止め、更には既に排出されてしまったCO2の吸収源を増やすしか私たちに残された行動としてはあり得ない筈なのです。ならば、回り道でもある水素社会の実現などすぐにでも諦めて、その資本やマンパワーを、実質的なCO2削減に繋がる行動に振り向けるべきでしょう。やるべきは、水素社会へのシフトなどではなく、先ずは森林破壊を止めて、山に木を植え、海の汚染を止めて、植物プランクトンやサンゴを増やし、結果として大気中のCO2を減らす行動だと思うのです。

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2021年6月 7日 (月)

3947 人口の地方分散

何故人々が都市に密集して暮らしたがるのか、10年ほど前に田舎にUターンした投稿者としては未だに適当な説明に巡り合えず謎のままです。人間というものは、サルがサル山に群れて棲むように、生物学的にその様な生き物なのだ、と考えるしかない様です。都市生活は、便利ではあるにせよ、他方では多くの問題も抱えているのはな違いないでしょう。今回のコロナパンデミックもその一つでしょう。歴史上、多くの感染症によるパンデミックでは、都市部における過密がその感染拡大の主たる原因であった事は自明です。感染症とは、そもそものスタート点は動物であったにせよ、人類における拡大は、人と人との接触によって感染ものだからです。
人口の集中は、実のところ逆戻り出来にくいのも事実です。いくつかの国で、首都を全く別の場所に移すという「実験」をしたことがありますが、新しく作った人工都市としての首都が、拡大して多くの人々が移り住んだという実例は耳にしません。きっと、移った官庁に勤務する官僚と政治家及びその家族と、学校や商業などの最低限のサービス業が移っただけなのでしょう。先ほどの、生き物として人間の性質に関しては考察するなら、どうやら人は猥雑な環境が好みの様なのです。つまり人工的に真四角に区画整理された街並みよりは、道が曲がったり、三差路があったり、広い道に小路が斜めにつながっている様な、せせこましい街が好きな様なのです。
それは仕方がないのですが、では現状のままで良いかという問いに対しては、殆どの人がNoと言うしかないと思うのです。例えば、地震や風水害と言ったインフラの損壊を含む災害に対しては、都市は非常に脆弱であるのは自明でしょう。それでもなお、人々は海面より低い土地に住むのを止める事が出来ません。そこが便利で、長年住み慣れた場所であるという理由で・・・。しかし、行政としては地方再生に向けて大臣を指名するくらいなら、是非とも人口が地方に分散する様な、強力な経済的インセンティブを設定して貰いたいものです。手法は簡単です。税制に少し地方に向かう傾斜を作りだけで良いのです。具体的には、過疎に悩む地方の税金を少し安くするのです。或いは、都市部の税率を少し高くして、その分を地方移住の際の補助に回すといった、「経済的傾斜」をつける方法もあるかも知れません。

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