« 2021年6月 | トップページ | 2021年8月 »

2021年7月31日 (土)

3972 マテリアル循環

「持続可能な社会」という言葉の少し前、マスコミなどでは「循環型社会」と言う言葉が頻繁に使われた時期がありました。とは言いながら、この言葉は単にリサイクル率の高い社会などという、単純な社会と考えられていたのかも知れません。つまり、PETボトルであれば、リサイクル率が100%に近ければそれで良しとする風潮です。しかし、真の循環型社会は、物質の収支がキッチリ合っているいる社会だけを意味するのです。例えば、食べ物の循環を例に挙げるなら、農家が作物を植え付け、肥料や殺虫剤や水などをやりながら育て、市場を経由して流通し、消費者の胃袋に入って、最後は排せつされる訳ですが、ざっと考えてもこれは完全なマテリアルの「一方通行」典型でしょう。
江戸時代まで遡れば、江戸市民の排泄物は馬車に積まれて、近郊の農家の肥溜めに戻され、作物の肥料として「完全にリサイクル」されていた訳です。それどころか、し尿は作物との物々交換か、低額ながら有価で取引されていたのでした。これは、いわゆる「N:窒素循環」の一例ですが、水素(H2)や炭素(C)は、水や大気の自然循環の中で回っていますので、人手をかける必要はありません。
一方で、マテリアル循環の優等生である、鉄やアルミニウム、銅などを除けば、多くの金属資源やレアメタルなどの多くが一方通行の流れに乗せられているのです。何より、リサイクルに使われるエネルギー源である石炭や石油資源そのものが、莫大な量の一方通行となっている事実に目をつぶるべきではないでしょう。その結果が、今日ある様に大気中へのCO2の蓄積を招き、温暖化現象を引き起こしているからです。
厳密なマテリアル循環のためには、社会のインフラやシステムの綿密なデザインが必要でしょう。そうでなければ、物質はエントロピーの法則に従って、必ず環境中に分散・拡散することが必至だからです。それは、単に必要なマテリアルの散逸だけではなく、この国の黒歴史であり、途上国では現在の大問題である、不要なマテリアルによる「環境汚染=公害」を引き起こしてしまうのです。必要な社会システムとは、3Rの内、先ずはマテリアルの使用量を削減するReduceと、製品の再使用(Reuse)を基本とするものでなければなりません。その上で、完全なリサイクルシステムを構築するために、完全な回収システムをデザインする訳です。製品単価に対して十分に高額な、デポジット料金制度を設定するのがベストでしょう。空のPETボトル容器のデポジット料金が例えば50円であれば、空容器を捨てる人などは誰も居なくなるでしょう。勿論、その前にPET容器のデザインを統一し、肉厚も十分に厚くして、20回程度の再使用に耐えられる規格にすることが大前提ではありますが・・・。

| | コメント (0)

2021年7月30日 (金)

3971 お金から離れる

3970の続きです。現代社会では、殆ど全ての価値がお金(通貨)で測られています。それは、モノに限らず、目には見えないサービスやエネルギーやエンターテイメントに至るまでお金で評価され、決済されている訳です。その結果何が起こったかと言えば、価値=お金という風潮の蔓延でしょう。つまり、お金には結びつかない、たとえばボランティア活動や親切心や挨拶などは、無価値な行動と見做され、誰も関心を示さなくなったのでした。例外的に、大震災や水害などが起こった際にだけ、突然「絆」が叫ばれて、瞬間風速的にこれらの活動が活発になるだけです。
しかし、人々が何のためにお金にならない行動をすすんでやるのかを考えるなら、それは自明ですが自らの満足感(やりがい)を得るためなのでしょう。しかも、報酬を受け取らないことにより、「親切をカネで売った」という罪悪感も感じないで済むでしょう。今後の社会での価値や幸福感を考える場合、そのポイントは、現在の殆ど唯一の価値(観)である「お金」から出来るだけ距離を置くことにあると思うのです。距離は遠ければ遠い程良いでしょう。大分前の昔ですが、実家はクリーニング業を営んでいましたが、お客の中にはクリーニング代を、自前の作物(果物やお米など)で支払う(価値交換する)人たちが何人かいた様でした。どうせ、実家でもお金を出して買うものなので、サービスとモノを交換するのは一向に構わないのでした。勿論、税務署はお金としての所得を把握できないので、少しは困るのでしょうが、実家はどうせ貧乏で税金などはあまり払っていなかったでしょうから、世の中が困ることも無かったでしょう。
企業や黙っていても?お金が入るお金持ちは、お金を大事にしてしっかり税金を払ってくれれば良いでしょうが、特にあまりお金に縁がない人達は、むしろお金に距離を置く、物々交換やサービス(労働)とモノの交換の仕組みを拡大させて、お金が無くとも問題無く生活が続けられる社会を目指すべきだと思うのです。お金が動かなければ、税金を心配することも無くなるでしょうし、住民税や市民税、固定資産税なども「物納」の仕組みを作れば良いのです。どうせ、学校や自治体の運営する施設では、給食や施設の維持などで、食糧や労役の「現物」が必要でしょうから、税金の代わりに物納を少し増やしても、問題は生じないでしょう。勿論、物納の際の客観的物差しは明確にしてトラブルが起こらない様には配慮すべきではあります。

| | コメント (0)

2021年7月29日 (木)

3970 価値の再考

3769の続きです。S藤幸平も指摘する様に、価値には市場価値と使用価値があるのだそうです。投稿者は、これにもう一つ私的価値も付けくわえたいと思っています。これは、例えば趣味や嗜好などを重視する、いわゆるオタクにとっては、他人から見ればゴミとしか見えないものやコトにも、至上の価値を感ずる場合があるからです。
さて、市場価値についてですが、これはマーケットが、需要と供給の関係で決めた(決まった)価格の事で、需要が増えれば、または供給が減れば、市場価値は上昇するという関係になる価値の事です。しかしながら、いわゆる行き過ぎた市場経済においては、市場価格(または相場)は、力のあるサプライヤや流通業者などによって、かなり意図的に操作(つまりは高値安定に維持)されている場合が多いのです。例えば、野菜や青果などが豊作になった年には、生産地で廃棄し、市場価格が極端に下落しない様に「操作」されることなどが例示されます。一方の使用価格ですが、これは製品が使用者や消費者にとってどれほど有用かという物差しであり、本来は市場価格とは独立して決まるものだと言えます。
現代社会においては、価値と言えば一義的に前者(市場価値)である場合が殆ど(全てと言い切っても良い程)で、それはほぼ全ての商品やサービスが、お金で決済=価値交換される仕組みになっているからに他なりません。例えば、農業においては、市場で売れる品種の種も、種苗会社においてコントロールされ、農家はそれをお金を出して買わされる訳です。農地の草取りも人手が足りないので除草剤を買わされて散布し、害虫対策もやはり殺虫剤を買わされて撒布するわけです。人手不足をカバーするためには、高い機械を買わされ、出来た作物もJAが決めた価格で買い取られ、市場に出ていく訳です。つまり、農業の全てが、市場価値により価格コントロールされているとさえ言えるのです。
付け加えになりますが、投稿者が言う「私的価値」とは、例えばあるモノ(例えば骨董品)のコレクターが、カネに糸目をつけずに、衝動買いしてしまう状況を想像すれば良いでしょう。つまりコレクターとは、市場価値や使用価値を無視して、所有するというココロの自己満足だけのために、お金を使う存在と言えるのです。勿論、将来の値上がりを期待して収集する「不純なオタク」は、ここには入りません。
いずれにしても、私たちは「市場価値」だけに、モノ(やサービス)の価値基準を置いては、判断を誤ってしまうと思うのです。詳細は以下に続きます。

| | コメント (0)

2021年7月27日 (火)

3969 人新世の「資本論」を読んで

久し振りに読み応えのある新書に出会えました。投稿者の子供世代よりまだ若い(30代前半)、S藤幸平の「人新世の資本論」です。これは、2021新書大賞にも選ばれていますが、著者は、C.マルクスの「資本論」を含む膨大な著述、取り分け晩年に残された著述を丁寧に読み起こしながら、現代社会が抱える諸問題、取り分け行き過ぎた資本主義(=巨大資本の台頭)による害と制御が効かなくなった気候変動に関わる諸問題に対し、新自由主義に基づく資本主義は、火に油を注ぎこそすれ、解決には無力であることを切々と訴えかけています。
返す刀で、しっかり働いた結果ではあるにせよ、高度成長期の果実を受け取った団塊世代含む、今高齢者と呼ばれる世代の「逃げ得」を許さないという強いメッセージも発しているのです。次稿以降で詳細な感想を述べていきますが、若い哲学者である著者の思索が、経済や地球環境や人間社会に蔓延しているパンダミックに至るまで、地球上での営み全体に注がれている視野の広さは、凡人の投稿者にとっては驚くべきことでもありました。
高齢者と呼ばれる私たち世代は、確かに高度成長期を生き延びて、一見国も庶民も豊かさを実感できる時代を体験してきた訳ですが、それは実は「お金」だけで評価された豊かさであるという事には気付かず(或いは気づかないふりをして)に暮らしてきたというしかなさそうなのです。国も、国の豊かさをGDPだけで評価し、公表してきたのでした。
その結果、我々は地域の絆や、家族の団らんや、心の豊かさ(文化活動)等を犠牲にして、馬車馬の様に働いてきたのでした。何も考えずに、目の前の課題(利益率だったり生産性だったりする指標です)だけを見ながら、鞭うたれた馬の様に前進するのは、ある面では楽でしょう。方向やスピードの加減など余計な事を考えなくて済むからです。何しろあの時代、夜遅くまで残業して、仕事を「こなす」事こそがまさに「サラリーマンの使命」だったのですから。
しかし、私たちは馬車馬であったが故に、経済成長のスピードを上げ過ぎたこと、つい最近まで(IPCCが警鐘を鳴らすまで)環境破壊を含む地球の悲鳴を聞く耳を持たなかったことを無視して、経済(景気)優先を是として事を猛省しなければならないでしょう。少なくとも、高齢者と呼ばれる人たちと、今社会を支えている世代の全ての人々は、この新書を手に取り、これからの人類の行く末に思いを馳せるべきだと思うのです。そして、次世代に残すべき「持続可能な社会」の礎の一部でも残して人生を終えるべきなのでしょう。という想いを新たにしたところです。さて、では何をすべきかを以下の稿で考えます。

 

| | コメント (0)

2021年7月25日 (日)

3968 都市化の罪と逆流

どの国でも、都市化(人口の都市集中)の流れは止まりません。特に途上国では都市に人口が集中し、スラム化が進んで、物価も上昇し、そこが住みにくい場所になってもトレンドに変化は生じないのです。この国では、その流れは殆んど止まったとはいえ、高度成長期以降の都市集中のスピードにはすさまじいものがありました。その痕跡は、例えば都市郊外の大規模団地や、里山を削って谷を埋めて作った、郊外に延々と広がる大規模住宅地に明確に残っています。とは言え、都市集中が止まったのは、単に人口がすっかり減ってしまった田舎に、最早都市に出せる人口が残っていない事に原因があり、いわば消極的な都市化の停止であると言えるでしょう。
さてその都市化には、重大な罪があります。つまり、大都市を支えているサプライチェーンやインフラが巨大になり過ぎ、最早人間のコントロールを越えつつある点と、都市を支える物流がほぼン完全に一方通行である点、加えてそれを支えるための莫大なエネルギー供給に、限界が見えている点などが挙げられます。サプライチェーンについて言えば、現状は輸入を含め何とかつながっては居ますが、海外からのサプライが弱くなると、輸入依存率の高いこの国では、すぐにでも食糧を含むサプライ品のひっ迫が生ずると懸念されます。インフラについて言えば、高度成長期以降拡大を続けて来たインフラ(上下水道や道路など)の老朽化が進んでおり、早晩インフラの大規模な更新が必要になる時期に入るのです。
しかし、都市化の最大の罪は都市を支える、物流とエネルギーが環境に与える負荷の大きさだと言えるでしょう。都市に大量のモノを供給するために、船舶をトラック及び鉄道を総動員して日夜運び続ける必要がありますし、一日でも物流が途絶えると、都市は直ちにモノ不足に陥ります。エネルギーについても同様です。都市内部でのエネルギー自給は、全く無理な状況です。代わって、新潟や福島など、遠く離れた場所に立地する発電所に、供給を頼り切っているのです。その事実は、3.11の震災で白日の下に晒されたのでした。福島からは、水力発電の余剰分と原発の発電量のほぼ全量が、東京(関東)に送られていたのでした。
つまり、大都市を支えるために田舎や海外で農産物を生産するための負荷、それを運ぶ物流からの負荷、エネルギーを供給するため、都市外で発生する負荷、都市で生まれた下水やごみを処理する負荷などなど、多くの環境負荷が都市から外部に押し付けられている訳です。その一方で、田舎には最早農業を持続される人が残っていないという有様なのです。このブログでも何度も提案していますが、既に都市化は止まっては居ますが、それだけでは不十分で、都市化の逆向きの人の流れを作り出さねばならない時代なのです。それも、政策や税制なども駆使しつつかなりの勢いをつける必要があるのです。

| | コメント (0)

2021年7月21日 (水)

3967 20世紀は終わった2

20世紀技術の代表として、航空機と原子力を挙げてみましょう。先ず航空機です。言わずもがなですが、20世紀に入ってすぐに、ライト兄弟が数十秒間の飛行に成功して以降、急速に航空機の時代に入りました。それが、二度の大きな戦争でその技術も急速に伸びて、第二次大戦中に開発されたジェットエンジン技術が、戦後に花開いて現代の航空機産業につながっている訳です。勿論、機体の軽量化技術とエンジンの高効率化技術が相まって、その技術は極限まで進歩はしましたが、ケロシンとも呼ばれる石油を燃料とするという状況は、初期型と何も変わってはいない訳です。つまり、航空機技術は成熟し切っており、原理的なブレークスルーは殆んど期待できない状況だと言えます。同時に、ジェット旅客機を利用した旅客輸送のビジネスモデルも、新型コロナウィルスというパワーアップした感染症によって、行き詰まりを見せている訳です。
さて、技術とビジネスモデルで息詰まった、航空機業界ですが、コロナが一段落しても、たぶんV字回復は期待できないでしょう。何より、航空旅客がこれだけ減少しても、世の中がどうにか回っている事を世界中の人々が体験してしまった事は、社会的に大きな出来事となるでしょう。つまり、今後は旅行のための旅行と言った、航空機の利用は格段に減ると思われるのです。それは、レジャーと言えば(海外)旅行しかないという、私たちのライフスタイルの見直しも要求するのです。
さて、一方の原子力ですが、これは20世紀の中盤に実用化された技術の代表なのですが、発端は軍事利用だったのです。東西冷戦の中で、何か月も海に潜ったままで活動できる潜水艦の動力源として、原子炉が採用されたことが発端でした。その後、日本でも1隻だけ建造されましたが、船舶の動力源としてスケールアップが試行されましたが、結局放射能の封止技術が不十分だったため、原子力空母でいくつかの実用例が残っただけで、舶用としての原子炉の実用は放棄されたのでした。しかし、諦めの悪い技術者は、これを陸上の発電所の動力源に転用し、放射性廃棄物の発生には目をつぶりながら、世界の多くの国々で、原発を建設し続けたのでした。確かに、放射性廃棄物の処理や、寿命を迎えた原発の廃炉(日本では事故原発の廃炉)費用を無視すれば、発電コスト的には原発が優位に立っては居るのでしょうが、今だにそれを唱えているのはこの国だけになった様に見えます。
結局、廃棄燃料のリサイクル技術として期待された、高速増殖炉は失敗に終わり、廃炉後の高濃度放射性廃棄物の処理方法の目途も立たず、原発は破綻したのですが、この国ではカーボンニュートラル政策が背中を支える形で、原発を存続させる方向に動いているのです。原発は、軍事産業と重厚長大産業を両親に生き続ける「20世紀の亡霊技術」以外の何者でもないのです。

| | コメント (0)

2021年7月19日 (月)

3966 20世紀は終わった

20世紀人の投稿者としては、20世紀の半ばに生まれ、右肩上がりの社会の中で、21世紀には希望を抱いて生きて来たものでした。しかし、世紀の変わり目に立ち、20世紀を振り返り、そしていざ21世紀になってみると、20世紀の我武者羅で矛盾だらけな姿だけが目に付いて、21世紀はもしかすると20世紀の「尻ぬぐいの世紀」ではないかとすら思えて来たのでした。
20世紀型の技術やシステムはいくつも例示できます。20世紀は、大きな戦争もありましたが、欧米先進国にけん引されての。「便利で快適」な生活の追求の世紀でもありました。それを支えたのは、鉄鋼などの金属資源、コンクリートを作る石灰岩資源、そしてそれを生み出すためと、快適な生活を支えるエネルギーの大きな部分を占める化石燃料≒石油でした。取り分け、モノやエネルギー資源の輸送のための大型船舶や貨物自動車、人の快適な移動を支える、航空機や乗用車は、石油をがぶ飲みする中心でもありました。
しかし、考えてみれば、それらの役割も大きく様変わりしていると言っても差し支えないでしょう。というのも、20世紀型の社会システムや快適な生活を支えるためには、大量の地下資源とエネルギーの消費が必須であり、その結果として多量の温暖化効果ガス(取り分けCO2)の発生が避けられないのです。結果として起こった事は、短期的にはいわゆる温暖化による気温や海水温の上昇、陸氷の融解と海面上昇などですが、長期的に見れば少雨による砂漠化の拡大=耕作適地の急激な現象、気象現象の不可逆的な激甚化、結果としての新たな感染症の蔓延や食糧不足問題などが徐々に顕在化している様に見えます。
確かに20世紀型の技術やシステムは終わった様に見えるものが多くなりました。取り分け大量生産、大量消費、大量廃棄型の社会システムは、積極的に終わらせなければならないでしょう。何故なら、地球資源の枯渇や異常気象の頻発が激しく警鐘を鳴らしているからです。今我々はコロナ下で、航空便が90%も減らされた時代を経験していますが、どっこい人々は生きています。サラリーマンは、車や電車で会社に通勤しなくても出来る仕事も結構多いことが分かりました。会議や講演であれば多くの場合ネットでつなげば事足りるのも事実です。教育のオンライン化は、たぶん十分に成人となって居ない子供たちの情操には良くないかも知れませんが、使い方によっては非常に有効でしょう。長くなりそうなので、次回に続きます。

| | コメント (0)

2021年7月16日 (金)

3965 パワーの均衡・平衡

世の中の動きを眺めていると、常にパワーとパワーのぶつかり合いや均衡に関するニュースが溢れている様に見えます。国内の於ける、企業間のシェア争い、古くはB国とS連の軍事パワー競争、近くはB国とC国の経済覇権争いなどが思い浮かびます。背景を少し考えてみると、この地球上には最早「フロンティア(新天地)」と呼ばれていた、開発余地が殆ど無くなったことに思い至ります。古くは、B国の西部、戦争の種ともなってきた、アジアやアフリカには少し前までは、確かにフロンティアと呼ばれる開発余地が残っていました。しかし、底に複数の大国のパワーが入り込み、互いに覇権を主張しながらそこをドカドカと踏みにじってきた訳です。
争い事は、その地域の資源を求めてだったり、あるいは宗教やイデオロギーが絡んでのケースだったり、その両方だったりしたのででしょう。インドシナでもC鮮半島でも、中東でも、アフリカでも同様の事が起こった筈です。その結果残されたのは荒廃した国土と力で無理やり分断された人たちの心のシコリや小規模な紛争の頻発だった訳です。
つまりパワーとパワーの間に、隙間が有る内は、そこがクッションになって紛争は避けられた時代もあったのでしょうが、地上に人類が溢れ、相対的に地球が小さくなってしまった現代においては、地球の至る所でパワー同士が接触し、均衡・平衡が保たれている内はまだマシですが、それが少し崩れると火の手(軍事衝突)が始まってしまう訳です。Aフガン、中東、Aフリカの複数の国々での主権争い、S閣諸島や南シナ海などの島しょ部(の地下資源)の先取り合戦、果ては北極海の資源先取り合戦まで、パワー同士のせめぎあいの種は尽きません。
問題は、この種のパワーのせめぎあいには、後退は無いと言う点です。一方が、少しでも引けば、直ちに相手方が攻め込んで優位を獲得してしまうでしょう。つまり、パワー同士のせめぎあいは、強まりこそしても、弱まる事は考えられない訳です。勿論、地球の資源は有限ですし、イデオロギーや宗教のせめぎ合いにしても、自陣の勢力拡大は全ての当事者が狙っている事でしょう。残念ながら、パワー同士の衝突は、激しくはなっても収束する事は考えられないのです。

| | コメント (0)

2021年7月14日 (水)

3964 「空飛ぶ車」は飛ばない

このブログでも何度か「空飛ぶ車」に言及していますが、最近でもSロバキアで、スポーツカーに翼をつけた空飛ぶ車がテスト飛行を成功させて、ニュースになりました。しかし、実用化となると話は変わります。先ずは、陸を走り、空を飛ぶ動力源ですが、実用を考えると、このケースの様に、コンパクトで高出力のガソリンエンジンとするか、あるいは航続距離を犠牲にして、バッテリー+モーターとせざるを得ないでしょう。実験機の段階では、いずれもが成功しているように見えます。しかしながら、実際の運用では、システムの信頼性の倍増が不可欠です。つまり、動力源の二重化によるバックアップか、あるいは動力が失われた際でもそれなりの距離を滑空できる性能のいずれかを確保する必要があるでしょう。
今回のスポーツカータイプの空飛ぶ車は、いずれのバックアップも備えていない様に想像しています。それは見かけでも明らかです。地上を走行するために翼が可動で、車体に格納できる仕組みとなっては居ますが、それは翼面積が非常にコンパクトであることを要求します。グライダーを思い浮かべれば分かりますが、滑空を可能するためには機体重量に比べて十分広い翼を必要とするのですが、この車+飛行機の場合には、動力が失われた場合は、急角度で高度を失うのは間違いありません。特に低速の場合は揚力が十分ではない結果、殆ど墜落に近い状態で高度を失う筈なのです。しかし、もし安全性を確保するために動力系を二重にしようとした場合、重量が重くなり過ぎて飛び上がれなくなることは目に見えています。
加えて、車が空を飛ぶ場合、パイロットには車の運転技量に加えて、空を飛ぶための知識と技量が必要となります。また、天候の具合も何時も快晴、無風である訳ではなく、雲や風や雨などの時々刻々変わる天候にも臨機応変で対応することも必要でしょう。それは、自動化されマニュアル化された旅客機の操縦よりも高い技量だとも言えるのです。
そんなに機数が多くない(民間機で800機程度、内個人所有は250機ほど)ヘリコプターでさえ、年間では数件の事故が報告されているのです。個人所有の空飛ぶ車が、ヘリに混じってこの狭い国土の上空を飛び回る姿など、危険すぎて全く想像もできません。今回の考察でも同じ結論ですが、危な過ぎる空飛ぶ車など絶対に実用化されない、となりました。

| | コメント (0)

2021年7月13日 (火)

3963 異常降雨2

テレビに流れる静岡や山陰の豪雨のニュースを何気なく見ていましたが、それがアッと今にお隣の山形県へ飛び火し、翌日にはここ秋田でも集中豪雨に見舞われました。これは、勢力を強めつつある夏の高気圧(太平洋高気圧)の縁を回る様にして供給される、湿った暖気がもたらす、いわゆる「梅雨末期」の豪雨の様なのです。しかしながら、各地で「観測史上最多」を記録し続ける豪雨の背景には何か根本的な(地球規模の)異常現象が隠れていそうです。
勿論、地球規模の温暖化傾向の中で、近年日本近海の海水温も上昇し続けているのは最大の原因でしょう。暖かい海水面からは、大量の水蒸気が供給され続けるからです。しかし、それだけでは、この異常な豪雨を説明しきれていない様に思われます。地上の高温多湿の大気によって、厚い積乱雲群(規模の大きなものは線状降水帯と呼ばれます)が発生するためには、必ず上空の寒気団とのセットが必要となるからです。これに関連て、公開されている250hPaの上空の気流図を眺めていて気が付いたのは、遠く離れたバレンツ海(北極海の一部です)から南下し、中緯度の偏西風に合流して日本に流れてくる冷たい(と思われる)気流が認められる点です。この時期の偏西風は弱いので、かなり複雑に蛇行はしているのですが、確かに日本上空に入り込んでいるのです。
その寒気は、「週間寒気予報」の画面でも確認できます。つまり、北極気団が十分に冷たく、偏西風がしっかり吹いていたこれまでであれば、梅雨はシトシト雨が続き、たまに豪雨が観測されたとしても、大きな災害を起こす事無く梅雨明けにつながったのでしょうが、近年は前述の様に偏西風の複雑な蛇行が増えた結果、思いもよらない遠くのバレンツ海からの寒気が入り込み、結果としての「史上稀にみる豪雨」が頻発する様になったと想像されるのです。
人間の大自然、取り分け気候変動に対抗する力は、それほど大きなものではありませんが、少なくとも「史上稀に見る異常気象」を前提とした、河川など公共工事の在り方や人々の避難行動を考えて行かなければならない時代に入った事は間違いないでしょう。それを認めなければ、自然災害多発時代にあって、痛ましい災害関連死が増え続ける事を回避する事は出来ないでしょう。

| | コメント (0)

2021年7月 8日 (木)

3962 異常降雨と対策

各地が線状降水帯を含め、梅雨末期の集中的な豪雨に見舞われています。梅雨の末期のこの時期は、そもそも気温も高くなっている事もあり大気中の「絶対水蒸気量」が多い季節であり、少しの刺激(例えば海上からの水蒸気の追加供給、前線の活発化など)で、豪雨になり易い時期でもあります。問題は、その豪雨が丸一日、あるいは断続的に数日間続く事にあります。元々、火山性の岩石(例えば花崗岩)やそれが風化した土壌(真砂土)、あるいは火山灰やそれが固化した脆い岩石(凝灰岩など)が国土を覆っていて、しかも山々が急峻なこの国では、短時間の豪雨には耐えられるものの、長時間続く豪雨で、地下水が急激に充満して、動きやすくなっている斜面では、地滑り(山津波)や鉄砲水などの災害が多発してしまうのです。そこに、安易な谷筋の埋め立てなどの行為が重なると事態は、今回の熱海のケースの様に深刻になります。そもそも、建設廃土などを谷に埋め立てるという行為はご法度の筈なのです。集中豪雨で山間道路が寸断される現場は、無理な掘削の結果山側の傾斜が急過ぎてその崖が崩落する場合と、谷筋に土砂を埋め立てて道路幅を確保したヵ所が、谷側に流失する場合に大別されます。
たとえ、これまでの集中豪雨に耐えて来た場所であっても、それを超える今時の豪雨には耐えきれない場合も多くなるのではないかと心配されるところです。土砂というものは、地下水が十分に浸透し、湿潤したものは、さながら液体の様に振舞うものだからです。液体が斜面に置かれれば、ホンの少しのきっかけで、流動化して斜面を流下するのは自然の理でしょう。それを防ぐには、擁壁や砂防ダムの建設程度では無理だと思うのです。谷筋は橋を渡すか、あるいは豪雨時は(排水管では流量が間に合わないので)道路上を直接水が流れても問題が無い様にしてしまうしかないのでしょう。
気温と海水温の上昇傾向はこれからも続くと思われ、過去の記録に比べ、異常豪雨と呼ばれる様な豪雨は今後も発生するのでしょう。道路や河川或いは下水道(排水路)などのインフラは、それを前提に再度安全性を見直さなければならないと思うのです。

| | コメント (0)

2021年7月 7日 (水)

3961 偏西風の弱まり

3960に関連して、偏西風の弱まりも昨今の異常気象に関連していると考えられます。高緯度の偏西風は、極地方に蓄積している冷気=高気圧の吹き出しが、コリオリの力で、さながらその極気団を縛るハチマキの様に流れている強い風の事を指しますが、それが近年かなり弱まってきている様なのです。原因ははっきりしています。それは極地方の温暖化です。とりわけ、北極海の温暖化傾向の中で、夏の間は海氷の大部分が消失してしまう結果、白夜の陽光で海水温がますます上昇するという「悪循環」に陥っているのです。この結果、特に夏場の極気団が弱まり、結果として偏西風も弱まるのです。
偏西風が弱まるとどうなるかと言えば、それは蛇行の原因となる訳です。北極点から見て円形に近い形をしていた偏西風リングが、蛇行を始めると例えば数枚の葉を持つクローバ型に変形し、蛇行の凸の部分では寒気が降りてくるのですが、逆に凹の部分では南から暖気が高い緯度の地域まで入り込んで、異常な高温をもたらすのです。しかも、この偏西風の蛇行は一度始まると、長い期間固定的なってなかなか動かない様なのです。その結果、今回の北米で起こった異常高温も長く続き熱中死などの被害を増大させたと思われるのです。
極地方、取り分け北極地域の温暖化傾向は、前述の様に悪循環の過程に入っているので、今後カーボンニュートラルをいくら頑張っても「悪化傾向」のトレンドは変わらないでしょう。そうであるならば、私たちの残された道は、その温暖化への「適応」しか無さそうなのです。具体的には、効果の見えにくい地道な活動ではありますが、例えば砂漠を緑化して地球のアルベド値を下げる事、深海のミネラル分の多い海水を海面に汲み上げる事などによって、植物プランクトンを増やして、CO2の吸収源を増やすなどの方策しか見当たらないのです。
即ち、温暖化効果ガスを減らす⇒温暖化を弱めて平均気温を下げる⇒極地方の陸氷・海氷を復活させる⇒偏西風を復活させるという、息の長い「温暖化の逆サイクル」を回すしかない訳です。これは数世代を跨がる活動になる事は自明です。しかし、遅すぎるとは言え、今日から始める必要があるのも間違いはないでしょう。

| | コメント (0)

2021年7月 3日 (土)

3960 水蒸気ドーム?

温室効果ガスとしての水蒸気の効果は、忘れられがちですが、温室効果の6割は水蒸気由来で、二酸化炭素の影響はと言えばかなり小さく2割程度であることを銘記すべきでしょう。勿論、僅か50年ほど前には280ppmだった二酸化炭素が、今や400ppmを大きく超えている事を過小評価すべきではありませんが。さて、水蒸気です。水蒸気の形態にもバリエーションがあります。つまり、全く目にも見えない分子サイズの水蒸気もあるでしょうし、雲の様にある大きさ以上の粒径になっていて、目で見てもはっきり分かる場合もあるでしょう。また、その水蒸気の粒が凍結して氷の粒になっているケースだってあるでしょう。
しかし、温暖化に影響を及ぼすのは、間違いなく最初の「目には見えない水蒸気」である事は名違いないでしょう。何故なら、目に見える水蒸気はむしろ上空で、太陽光を遮ってしまって、地上へ届く性器外線をもかなり減じてしまうからです。つまり、温暖化に寄与する気体は、かなり波長の短い可視光も、赤外光も一旦は透過させ、地上を暖めて宇宙に戻る赤外光や遠赤外光をブロックし、地上に押しとどめる性質を持つ筈なのです。その意味で、異常高温が観測されている地域においては、暖気のドームが出来ているのと同時に、ある条件下にある水蒸気のドームも重なって出来ている筈なのです。
その様な暖気ドーム+水蒸気ドームが、Ω型に蛇行した偏西風のポケットに入ってしまった時に、たぶん1週間ほど続く異常高温の原因になるのだ、と投稿者は見ているのです。温暖化効果の最も高い状態の水蒸気ドームがどの様なメカニズムで出来るのかは、まだ説明しきれませんが、火山ガスや砂漠や海洋から発生する微細粒子やミストが関わっているのかも知れません。春先に、黄砂やPM2.5が原因となって空が霞み、同時に春先にしては気温の高い日が観測されることがありますが、この時期の高温も同様のメカニズムで発生し、偏西風が弱いために現象が長く続くのだと考えらます。

| | コメント (0)

2021年7月 1日 (木)

3959 異常高温

北米、取り分けカナダ西部での異常高温がトップニュースとなり、ネット上では「ヒートドーム」などという言葉が躍っています。普通の夏であれば、最高気温での25℃程度の地域で、50℃近い高温が数日間記録された訳ですから、まさに異常です。単に気圧配置の異常であれば、たぶんこの地域でも30℃を少し超える程度の高温なら、夏場には何度か記録されていた筈ですが、冷涼なツンドラ地帯で。砂漠の気温である50℃は、やはり「ひどく異常」というしかありません。
そのメカニズムとして、さも既成事実の様に「ヒートドーム」なる言葉と、そのイラストがアップされていますが、何故例年より15℃も高くなったのかの説明としては十分ではありません。さながら、ある地域が地上からの熱放射をブロックする「半球形の透明なプラスチックの容器」に閉じ込められた様な状況だからです。素人にも思いつくのは、この地域が温暖化効果ガスの塊に覆われた場合ですが、それに対する直接的な証拠は提出されていない様です。北極圏で思い当たるのは、永久凍土の融解によって地中の有機物が分解を始め、メタンガスが発生するというメカニズムですが、では何故この地域にその様な「メタンドーム」が出来るのかを説明できるとは思えません。一方、この様は異常高温は、近年欧州や旧ソ連でも報告されており、今年はたまたま北米で起こっている現象なのかも知れません。
更に想像を進めると、想像ですが、もしかするといくつかの異常高温要素、例えば数日間動かない気圧配置、温暖化効果ガスの集積、温暖化効果物質(例えば火山性のミスト)の集積、などが偶然に重なり、異常高温のスポットが北米の高緯度地域に現れたのかも知れません。
もしかすると、温暖化のメカニズムには私たちがまだ気づいていない、温暖化効果ガス以外にも未知の複数の要素が存在するのかも知れないのです。事態の進捗には、フィードバックでブレーキがかかる場合と、逆にフィードフォワードが働いてアクセルが踏まれる場合がありますが、温暖化に関しては今はアクセルだけが踏まれている状況なのかも知れません。かなり恐ろしい予感ではありますが・・・。

| | コメント (0)

« 2021年6月 | トップページ | 2021年8月 »