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2021年7月29日 (木)

3970 価値の再考

3769の続きです。S藤幸平も指摘する様に、価値には市場価値と使用価値があるのだそうです。投稿者は、これにもう一つ私的価値も付けくわえたいと思っています。これは、例えば趣味や嗜好などを重視する、いわゆるオタクにとっては、他人から見ればゴミとしか見えないものやコトにも、至上の価値を感ずる場合があるからです。
さて、市場価値についてですが、これはマーケットが、需要と供給の関係で決めた(決まった)価格の事で、需要が増えれば、または供給が減れば、市場価値は上昇するという関係になる価値の事です。しかしながら、いわゆる行き過ぎた市場経済においては、市場価格(または相場)は、力のあるサプライヤや流通業者などによって、かなり意図的に操作(つまりは高値安定に維持)されている場合が多いのです。例えば、野菜や青果などが豊作になった年には、生産地で廃棄し、市場価格が極端に下落しない様に「操作」されることなどが例示されます。一方の使用価格ですが、これは製品が使用者や消費者にとってどれほど有用かという物差しであり、本来は市場価格とは独立して決まるものだと言えます。
現代社会においては、価値と言えば一義的に前者(市場価値)である場合が殆ど(全てと言い切っても良い程)で、それはほぼ全ての商品やサービスが、お金で決済=価値交換される仕組みになっているからに他なりません。例えば、農業においては、市場で売れる品種の種も、種苗会社においてコントロールされ、農家はそれをお金を出して買わされる訳です。農地の草取りも人手が足りないので除草剤を買わされて散布し、害虫対策もやはり殺虫剤を買わされて撒布するわけです。人手不足をカバーするためには、高い機械を買わされ、出来た作物もJAが決めた価格で買い取られ、市場に出ていく訳です。つまり、農業の全てが、市場価値により価格コントロールされているとさえ言えるのです。
付け加えになりますが、投稿者が言う「私的価値」とは、例えばあるモノ(例えば骨董品)のコレクターが、カネに糸目をつけずに、衝動買いしてしまう状況を想像すれば良いでしょう。つまりコレクターとは、市場価値や使用価値を無視して、所有するというココロの自己満足だけのために、お金を使う存在と言えるのです。勿論、将来の値上がりを期待して収集する「不純なオタク」は、ここには入りません。
いずれにしても、私たちは「市場価値」だけに、モノ(やサービス)の価値基準を置いては、判断を誤ってしまうと思うのです。詳細は以下に続きます。

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