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2021年8月21日 (土)

3977 結局パンデミックとは何か

新型コロナは、次々と「なんとか株」に変身しながら、2年近くに亘って人類を攻め続けています。当面収束の見込みは立たない様ですので、更に1年又は数年に亘って人類を窮地に貶め続けるのでしょう。確かに先進国ではワクチン接種が行き渡りつつありますが、そうでない途上国では感染を繰り返し、その中から新たな変異株も生まれてくるのでしょう。勿論、これまでの感染症の歴史が示す様に、変異株は原理上徐々に弱体化する筈ですから、何時かの時点では今回のコロナウィルスによるパンデミックも収束はするのでしょう。
しかし、細菌性にせよウィルス性にせよ、パンデミックが人類を度々襲うのには、何らかの「自然の意志?」が働いていると考えるのが正しいと思うのです。自然には、ある状態を維持しようとする力、すなわちホメオスタシスが働きます。多くの生物は、その自然が許す範囲内で生きてきましたが、唯一人類だけがその「定め」に反して繁栄を続けて来たのです。もし、自然が人類を命の危機に落とそうとしても、私たちは「自然を改変」してでも、それに抗って来た筈です。住宅という人工環境を作り、それを地下から掘り出した化石エネルギーを使って空調し、土地が無理なく与える以上の食糧を人工の肥料や農薬を使って搾り取り、大量のエネルギーを消費しながら、大量の物資を輸送し、人々を移動させてきた訳です。
その自然の改変のスピードは、地球の歴史上も非常に急激過ぎて、地球環境のホメオスタシスをはるかに超えてしまった事は、近年の温暖化傾向が加速している事だけも明らかでしょう。自然界に目を向けると、例えばある種のげっ歯類や昆虫などが異常に繁殖する場合がありますが、自然はその種の数を適正な数量に戻すために、例えばその種間にパンデミックを起こすとか、食糧を減らす事によって、大量死を起こし、その数を抑制しようとするでしょう。では、増え過ぎた人類に対してはどうでしょう。今までのところ、食糧で人口を抑制する事には成功していない様に見えます。大陸における大規模農業では、未だ地下深くの「化石水」が採取可能であり、農産物輸出国がそれなりに存在しているからです。しかし、自然環境は他の手段では上手くいかないと見て、今回は「コロナ攻撃」すなわち、コロナパンデミックという「直接的な手段で人口抑制を仕掛けて来た」とは考えられないでしょうか。投稿者には、どうしてもその様に見えて仕方がないのです。

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2021年8月17日 (火)

3976 温暖化の先行2

気温が同じだとして、モンスーン気候か否かは、もっぱら大気が海洋からたっぷり水蒸気の供給を受けるか否かに係っていると言えるでしょう。つまりは湿度の高低です。雨は、過飽和状態の水蒸気が水滴(時にはいきなり氷の粒)になって、それがくっついて降下してくるものなのですが、当然の事ながら水蒸気の量が多くなっている大気からは、より多量の雨が降る事になります。気象関係のデータによると気温が1℃上昇すると、大気中の水蒸気量は7%程度増えるのだとか。
近年の平均気温は、特に夏場は、体感的にも感知できるレベルで上昇していますから、同時に大気中の水蒸気量も、数十%は増えていてもおかしくないでしょう。
その結果、それが天気図で言えば、東シナ海からの水蒸気供給と、太平洋高気圧の縁を回る湿って暖かい風がぶつかって、いわゆる線状降雨帯を作る頻度が上がる夏場、数十年に一度レベルの豪雨をもたらすのでしょう。河川は、十年に一度程度の豪雨には耐えられる様に整備されてはいるのでしょうが、それを超える様な豪雨には無力で、各地で堤防の越水や、内水氾濫が続発する結果になってしまいます。
この国は、亜熱帯から亜寒帯まで続く細長い国土と、何より国全体が海洋に面していて、直接海からの風や水蒸気供給の強い影響を受けても居ます。その中で、上に述べたように気温と、同時に海水温上昇の影響を受けての大気中の水蒸気量の増加が、日々の気象に影響を与えていると言えるでしょう。つまり、この国は温暖化による気候変動が、他の地域に先駆ける形で、顕在化している国であるとも言えそうなのです。
それでどうなのかと言えば、今更温暖化の後戻りは難しいでしょうから、私たちは現状を追認しつつ、何らかの形でそれに「適応」しなければならないと思うのです。その意味では、私たちは、先ずは「防災マップ」を穴の開くほど眺めなければならないでしょう。その結果、地盤が低く、洪水のの影響を直接受ける地域や谷筋で山崩れのリスクが高いエリアの住宅は、計画的に避難(移動)させなければならないと思うのです。そうでなければ、数年おきに襲う「史上最悪」の水害による悲惨な被害を防止できないのです。床下や床上浸水及び土砂崩れによる悲惨な被害映像をニュースで見るたび、繰り返される悲劇に気持ちが沈んでしまうのです。

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2021年8月14日 (土)

3975 温暖化の先行

IPCCが、温暖化はほぼ人為的な活動の結果起こっていると結論付けました。勿論、自然のサイクルによって生ずる、気候振動もあるにはあるのでしょうが、大きな部分は人間の活動が原因になっているという訳です。ここでは、近年この国を含む中緯度地域で生じている、夏季の異常な高温について考えてみます。
諸説はあるのでしょうが、投稿者が見るところその主たる原因は、北極海の浮氷の減退にこそ見出すべきだと思われるのです。どういう事かと言えば、かつて(数十年前までは)北極海には海の「蓋」として、夏場もかなりの面積の浮氷がありました。それは、夏場でもそれなりの面積で海を覆っていたのでした。しかし、近年は夏場の浮氷はドンドン面積が縮小し、海面が露出する度合いが大きくなってしまったのです。夏場は、太陽が北回帰線に近づき、太陽光が常時北極海に注ぎますので、氷で覆われていない海面は水温が上昇し、ますます浮氷を解かすでしょう。つまり、夏場の北極海の海水温は年々上昇傾向にあり、それが冬場にも持ち越されて、再度結氷した際にも、氷の厚さは年々減少傾向にあるのです。
さて、北極付近の海水温が上昇し、気温も高くなると、特に夏場には「北極気団」が非常に弱くなる傾向になるでしょう。我が国の近辺(中緯度地域)に当てはめてみると、北極気団の手先であるいわゆる「オホーツク気団」も弱まり、代わって南の海で育った、熱く、湿った海洋気団の勢力が優勢になって、夏場の長い期間こ亘って、高温多湿のモンンスーン気候が、この国を含む中緯度地域を支配することになるのです。水蒸気は、強力な「温暖化効果ガス」でもあるので、それでなくとも日照時間の長い北半球の中、高緯度地域の夏場の気温はますます上昇の悪循環に陥ることになるのです。
結論から言えば、現在の様な夏場の酷暑傾向は、今後悪化はしても改善の方向には向かわないでしょう。同時に、モンスーン気候に由来する豪雨の頻発も避けられないと予想できます。中緯度地域の異常な気候は、いわば温暖化傾向の先取りをしているとも言えるのです。つまり、私たちは酷暑とも豪雨ともどうにか付き合って行かなければならない状況に立たされていると言えるのです。

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2021年8月11日 (水)

3974 費用の外部化

資本主義システムの影(負)の部分の一つに、費用の外部化があります。つまり、市場で取引される「価格」には、目には見えない「外部費用」が隠されている場合が殆どだということなのです。例えば、鉱物資源を考えてみましょう。鉱物は、純粋な形で採掘される訳ではなく、殆どの場合は化合物として採掘され、その中でも純度の高い部分を選鉱した上で、最終的には工場で精錬され、原材料として市場で取引されることになるのです。しかし、例えば鉱山労働者の賃金は、過酷な労働の割に低く、また鉱山の付近では、選鉱された際に出る不要な鉱滓は、ごみとしてうず高く積まれ、そのまま放置されていることでしょう。もし、労働者に高い賃金を払い、別の廃棄専用の坑道を掘って鉱滓を埋め戻すとすると、莫大な費用が発生するので、原材料価格はかなりの程度高くなるでしょう。つまり、この場合は将来世代がこの鉱滓を処理しなければならなくなった場合の費用を外部化(隠して)して、現世代の労働者を過酷な待遇で使い、将来世代に廃棄物処理のツケ回しをしている状況だと言えます。
農産物の例では、大産地では大量の地下水をくみ上げ、施肥はするにしても土壌の本来持つ微量を絞り出し、毎年どうにか市場に出荷している訳ですが、土壌を本来持って居る状態に戻すためには、例えば輪作とか休耕とかを組み合わせて、土壌を「休ませる」必要がある筈ですが、それをしないツケは、やがて将来世代へ押し付ける結果になるのです。
製造業でも、ツケを原材料の供給国(多くは途上国です)を買いたたき、或いは非正規の従業員を駆使しながら、つまりかなりの費用を外部化しながら、「市場が求める価格」で製品を出荷し続けるのです。そうでなければ、別の資本によるライバル企業に負けてしまうので、外部化を止める事は出来ない状況に置かれても居るのです。
市場における自由競争は、一見市場価格という基準を生み出し、価格を抑えるという理想に近いマーケットの形と言われますが、結局は費用の外部化が上手い企業が勝ち残る、歪な構造を持って居るシステムだと断ずるしかありません。

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2021年8月 2日 (月)

3973 地産地消の再考

地産地消は、持続可能な生産と消費という意味では、一つの方向ではありますが、投稿者としてはその意味をもっと厳密に定義して貰いたいと思っています。確かに、ある地域で育てられた農産物などを、その地域で消費することを地産地消と呼んでいますが、ではその作物を生産する際に、完全にクローズした地域の資源だけで完結しているかを吟味するなら、かなりの疑問が生じてしまうでしょう。つまり、作物を育てる上で使われている肥料や農薬や、農業機械を動かすための燃料など、かなりの資源が地域の外から移入されている事実を無視することが出来ないのです。また、それらの作物を消費した後の生ごみやし尿が、焼却された際に出る灰や、下水処理場で処理され排出された汚泥が、何処かの埋め立て場に持ち込まれる「一方通行」も地産地消のサイクルがオープンになっている原因となっているのです。
再度、江戸時代の話に戻れば、江戸の大人口を支えるために、コメなどは確かに大量に移入されてはいましたが、野菜や魚などは近郊で生産され、それを消費した後のごみも、し尿も地域で処理されていた筈です。それ故に、大人口を抱える江戸であっても、街は清潔に保たれていたのです。この江戸時代こそが、真の地産地消の原型とすべきなのです。
では、江戸時代の様な地産地消が今の時代にも実現可能かどうか吟味してみましょう。結論は、一部では可能だろうという曖昧なものになりそうです。戦後のモノの無い時代には、確かに江戸時代に近い地産地消が実現していました。物心がついた頃、我が家は地方の町の外れの方にありましたが、家並みは繋がっている様な地域でした、しかし、家並みの後ろ側には畑があり、小規模ながら養豚場もあったのです。小規模ながら、各家ではその畑で作物を育て、家々から出る生ごみは養豚場の豚のエサになったのです。豚のし尿は、敷き藁と共に堆肥として、畑に戻され、栄養豊かな作物の肥料となったのでした。
ポイントは、この様な持続可能で真の地産地消に近い取り組みは、決して大規模では実現できないという点です。上記の地産地消は、例えば数十戸程度の小さなコミュニティでこそ実現可能なのでしょうが、それが例えば小さくとも地方都市サイズとなると、実現は無理でしょう。そこに何らかの形で、人手では出来ないモノの移動が伴うからです。バケツや手押し車などで間に合う程度のモノの移動しか発生しない、小さなシステムでないと、本当の意味での地産地消は実現不可能だと言えるでしょう。その様な小さなシステムを、数多く作るのが、持続可能性を担保する正しいアプローチだと思ってます。

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