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2021年8月 2日 (月)

3973 地産地消の再考

地産地消は、持続可能な生産と消費という意味では、一つの方向ではありますが、投稿者としてはその意味をもっと厳密に定義して貰いたいと思っています。確かに、ある地域で育てられた農産物などを、その地域で消費することを地産地消と呼んでいますが、ではその作物を生産する際に、完全にクローズした地域の資源だけで完結しているかを吟味するなら、かなりの疑問が生じてしまうでしょう。つまり、作物を育てる上で使われている肥料や農薬や、農業機械を動かすための燃料など、かなりの資源が地域の外から移入されている事実を無視することが出来ないのです。また、それらの作物を消費した後の生ごみやし尿が、焼却された際に出る灰や、下水処理場で処理され排出された汚泥が、何処かの埋め立て場に持ち込まれる「一方通行」も地産地消のサイクルがオープンになっている原因となっているのです。
再度、江戸時代の話に戻れば、江戸の大人口を支えるために、コメなどは確かに大量に移入されてはいましたが、野菜や魚などは近郊で生産され、それを消費した後のごみも、し尿も地域で処理されていた筈です。それ故に、大人口を抱える江戸であっても、街は清潔に保たれていたのです。この江戸時代こそが、真の地産地消の原型とすべきなのです。
では、江戸時代の様な地産地消が今の時代にも実現可能かどうか吟味してみましょう。結論は、一部では可能だろうという曖昧なものになりそうです。戦後のモノの無い時代には、確かに江戸時代に近い地産地消が実現していました。物心がついた頃、我が家は地方の町の外れの方にありましたが、家並みは繋がっている様な地域でした、しかし、家並みの後ろ側には畑があり、小規模ながら養豚場もあったのです。小規模ながら、各家ではその畑で作物を育て、家々から出る生ごみは養豚場の豚のエサになったのです。豚のし尿は、敷き藁と共に堆肥として、畑に戻され、栄養豊かな作物の肥料となったのでした。
ポイントは、この様な持続可能で真の地産地消に近い取り組みは、決して大規模では実現できないという点です。上記の地産地消は、例えば数十戸程度の小さなコミュニティでこそ実現可能なのでしょうが、それが例えば小さくとも地方都市サイズとなると、実現は無理でしょう。そこに何らかの形で、人手では出来ないモノの移動が伴うからです。バケツや手押し車などで間に合う程度のモノの移動しか発生しない、小さなシステムでないと、本当の意味での地産地消は実現不可能だと言えるでしょう。その様な小さなシステムを、数多く作るのが、持続可能性を担保する正しいアプローチだと思ってます。

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