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2021年9月10日 (金)

3980 縄文の暮らし

仕事で青森に出かけた帰路、三内丸山遺跡に立ち寄りました。今から6000年ほど前の縄文集落跡で、凡そ1700年ほど続いた集落の様です。今は海岸からはかなり離れてはいますが、当時は「縄文海進」の頃ですから、たぶん海岸に近い丘陵地にあった集落なのでしょう。湿地に埋もれていた遺構は、保存状態も良く生活に密着した貴重な品々が、殆ど原形を保ったまま発掘された様です。
当然の事ながら、1700年の間には、人々の知恵や文化も随分進み、初期の素朴な発掘品と後期の複雑で意匠を凝らした発掘品とは、雲泥の開きが感じられました。注目すべきは、同じ集落が争いによる破壊も無しに、1700年間も存続したという事実でしょう。一説によると、日本の歴史は2600年ほど遡れる様ですが、当然の事ながら縄文の時代は「有史以前」に当たる訳です。しかし、確かに縄文人はそこに暮らし、豊かで文化的な暮らしを送っていたのでした。
実のなる広葉樹を植え、川や海際で魚や貝を獲り、当然何らかの形での農業も始めていたことでしょう。この地域の自然が与える恵みは、この人口500人ほどの集落を支えるに十分だったのでしょう。その後は地球の寒冷化が進み、北国である青森は住みにくい地域となって、ここに住んだ住民も南に移住を余儀なくされたと想像しています。勿論、人口の少なかったこの時代と、ヒトが満ち溢れるまで増えてしまった現代の暮らしを直接比較する事は出来ませんが、一歩でも二歩でもそちらの方向に踏み出す事は、十分に可能だと思うです。いまだに私たちは、たんぱく質のかなりの部分を海産物に頼っていますし、縄文以降に始まった農業(稲作)も、私たちの食生活の柱になっても居ます。三内丸山で見つかった、土器に漆を塗る技術(漆器)も立派に現代に引き継がれてもいます。
ここで強調しいたいのは、現代の技術や文化を概観するに当たって、産業革命以降の科学技術や文化だけに注目するのでなく、そのベースには縄文時代やそれ以前から、人から人へと連綿として受け継がれてきた、知恵や文化の土壌があって、その上に花開いているという認識が必要だと言う点です。勿論、縄文の知恵の多くは、現代社会にも大いに参考になり、持続可能性を上げ、環境負荷を下げるのに大いに役立つ筈なのです。続きます。

 

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