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2021年9月14日 (火)

3982 自給自足の難しさ(若者への応援)

地元の放送局で、限界集落に暮らす若い夫婦と子供たちの様子が、定期的に紹介されています。その若い夫婦は、古い農家を無償で借りて、自給できる程度の農業を営む中で、自給自足生活を理想として、工夫を重ねながら、子育てを行っているのです。子供たちは、当然の事ながら、山や川の自然の中で、身近な動植物を相手に遊び、親を手伝い、下の子の面倒を見る中で、逞しく、しかし心優しくのびのびと育っている様子が毎回の放送で伝わってきます。
ところが、今回の放送の中で母親が吐露していたのは、お金の心配の事でした。暮らし向きは、自給自足で賄えてはいますが、子供たちの将来に向けての蓄えが出来ていないというのです。つまりは、暮らしにお金が殆ど掛からないが、教育には全ての面でお金が必要だと言うのです。義務教育でさえ、例えば給食費や教材費を納めなければなりませんし、高校に通う頃になれば、更に高い学費や通学のための交通費か或いは寮費なども必要になる事でしょう。
今の時代、お金の代わりにモノを納める「物納」という仕組みは存在しないのです。自給自足農家が、お金を手にするためには、労働を提供して(アルバイトで)お金を稼ぐか、余分の農作物を作って、地元のマーケットや或いはネットで販売して代金を得るしかないでしょう。そこに出すのさえ、運ぶための車のガソリン代や手数料や配送料金の心配をしなければならないのです。少数とは言いながらせっかく、自給自足の理想を掲げた若者が存在するのに、現代の社会の仕組みが、大きな壁となって立ちはだかっているのです。
それを救う方法は、いくつか考えられそうです。例えば、それなりに裕福な年寄りが、スポンサーになってこの様な若者のスポンサーになるのです。現代の大多数の年配者は、昭和の時代は必死に働き、それなりの個人的な蓄えや、社会的蓄積を積み上げて来た筈です。取り敢えず、竟の棲み家があり、食べるていくには十分の年金があり、自分が入る墓の手当てが済んでいるなら、余裕分は若い世代への応援として提供できる筈なのです。良く聞かれる言葉に「老後の蓄えが十分か不安」などがありますが、年寄りがある年齢以上になると、抵抗力が低下する結果、病気を貰うのは「自然の理」以外のナニモノでもないでしょう。つまりは、これは自然死だとも言えるでしょう。問題は、人間は何歳に到達すると自然死を受け入れられる様になるかですが、それを90歳と言ってしまうと、世の中は寝たきりの老人で満ち溢れてしまうでしょう。70歳になって最近感ずるのは、人生は80年も生きれば大満足かな、といった感慨です。つまりは、体が自由に動かせる年齢まで生きれば、それで十分だと思うのです。ネット社会にもなったので、ぜひ公的クラウドファンディングの様な、上手い仕組みが出来る事を期待しています。以上、ある自給自足夫婦の紹介番組からの連想でした。

 

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