« 3984 レッテンバッハ村のこと | トップページ | 3986 食品ロスを考える »

2021年9月18日 (土)

3985 持続可能性とは

SDGsでもそうですが、環境保全の基本になっているのは、当然のことながら「持続可能性」です。ところが、この言葉が結構曖昧な部分が多いのも否定できません。というのも、この言葉の背景にある時間軸の定義が何処にも無いのです。例えば、数年単位の短い時間軸で見ると、人間活動の殆どのものが持続可能ではないと判断されるでしょう。環境に対して加えられた「改変」が数年で回復される筈もないからです。例えば、気を1本切り倒して、その跡に新たに植林したとしても、元の様な立派な木に成長するには、少なくとも数十年は必要とするでしょう。つまり、森林に関しては考えるなら、持続可能性は多分家族で言えば3世代を跨いでのタイムスケールで考えなければならないでしょう。
化石燃料を含むエネルギー問題に関して言えば、そのタイムスケールはもっと長く取らなければならないでしょう。化石燃料の採掘による「環境の改変」は本格的には、18世紀の産業革命に嚆矢を見出す事が出来ます。石炭の採掘のためには、地下をアリの巣の様に掘り返したり、或いは露天掘りで地形が変わるほど地面を掘り下げたりした上に、それを運び出して都会の空が常にスモッグに覆われるくらい大量に燃やしたのでした。石油や天然ガスの採掘では、地表の状態は一見変わりませんが、地下にはそれらを押し出すために大量の海水が押し込まれたりしているのです。石油や天然ガス使用量は、石炭の比ではなく、それこそ天文学的な量に上るのです。化石燃料が出来るまでに、何億年を要したかは浅学にて承知していませんが、それを数百年というタイムスケールで、資源の枯渇や燃焼で生ずるCO2やNOxやSOxなどによって深刻な温暖化及び大気汚染を引き起こしている状況は、完全に持続可能ではないと断言できます。
ここで、人間の営みが引き起こす環境改変に関して、持続可能を考える上で、改めてタイムスケールを定義するとするなら、やはり世代間での直接的なリレーが可能な3世代程度とするのが適当と言えそうです。祖父、祖母世代は、自分が子供時代を過ごした環境を、孫世代にそのまま引き継ぐことを使命と考えて行動する訳です。戦後70年余りを掛けて、都市への人口集中と都市インフラ=エネルギー依存社会を積み上げて来たのであれば、今後70年余りを掛けて、逆の流れを作る必要があるのでしょう。多分、時間はそれ以上掛かるのでしょうが、少なくとも昭和世代は、その流れを作る責任からは逃れられないと思うのです。何故なら、昭和世代は環境に協力に働きかけて、それを改変し過ぎたと思うからです。関東平野を新幹線で通るたびに、昔は田園や里山が広がっていたであろう平野が、野を超え、山を越えて道路や建物に完全に覆いつくされている姿を目にする時、今後我々が、この風景を「元に戻す」のに一体何年、何百年掛かるのだろうかと溜息が出ます。持続可能性を担保するためには、我々はかつて存在した「残すべき環境」を正確に記録した上で、常にそこに戻る努力を続けなければならないのです。そのためには、今あるインフラを壊して、元の野原や里山に戻す工事(環境修復工事)も必要になるかも知れません。ただ、その際化石燃料を使わない様な工法を併せて考えないと、環境を修復するのに、逆に環境に大きな環境負荷を発生させるという矛盾を抱える事になってしまいます。さて、ここでは、持続可能性を評価するスパンは一応3世代分(70-80年程度)と定義しておきましょう。

|

« 3984 レッテンバッハ村のこと | トップページ | 3986 食品ロスを考える »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 3984 レッテンバッハ村のこと | トップページ | 3986 食品ロスを考える »