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2021年10月28日 (木)

3997 隠れた環境問題

環境問題には、今まさに感ずる事が出来る見えている問題となかなか目には見えにくい、隠れた問題があります。前者の例としては、かつての公害問題をはじめ、ごみ問題や洪水などの目に見える問題を引き起こし始めた温暖化問題などがありますが、では後者の問題とはどのようなものでしょうか。例えば、温暖化問題も始めは隠れた環境問題だったのです。大気中の、温暖化効果ガス(GHG)の濃度上昇など、人間の五感で感ずる事などできませんので、温暖化に起因するとされる目に見える災害が多発している近年までは、やはり隠れた問題だった訳です。更に例を挙げれば、化学物質の環境中への蓄積があるでしょう。PCBは、急毒性のある顕著な例ですが、PCBの生産が続いていた時期やその後の廃棄時期には、違法に投棄されたものが環境に蓄積されていった筈です。取り分け、それが生物に取り込まれ、食物連鎖によって濃縮が起こるケース(例えば水俣湾における有機水銀中毒)は最悪です。急毒性ではない化学物質でも、農薬など広く使われる化学物質が引き起こす、慢性的な生物や人への健康被害も重大問題です。環境ホルモンと呼ばれる化学物質では、爬虫類のメス化が注目されてはいますが、では人体に対する環境ホルモンの影響評価については、未だ研究途上だと言うしかない状況なのです。
放射能汚染は、まさに人類が引き起こした大問題でしょう。放射能の発見者も悲劇的な最期を遂げましたが、冷戦時代に行われた数限り無い原水爆の実験やその内のたった2発の「実戦実験」がこの国の上空で行われた結果の重大さについては、繰り返すまでもないでしょう。放射能の怖ろしさは、直接的な「外部被ばく」だけではありません。核種にもよりますが、半減期が長く環境中に長期間に亘って放射線を出し続けるケースやストロンチウムや放射線ヨウ素の様に、体内の骨や甲状腺に取り込まれてしまって、長期に亘って人体に悪影響を及ぼし続ける「内部被ばく」こそ、目には見えない被害と言えるでしょう。放射線とは区別されがちですが、送電線や通信設備からの電磁波による見えない被害も銘記すべき見えない環境問題と言えそうです。
隠れた環境問題に関しては、五感では感知できない筋合いの問題ですので、兎に角アンテナを伸ばして、この種の情報に敏感になるしか無さそうです。その意味で、このブログでも情報発信を続けては行きますが、次のようなキーワードで、時々は検索をしてみる必要はあるでしょう。「残留農薬」「環境ホルモン」「環境放射能」「環境濃度」「見えない汚染」などなど、です。

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2021年10月21日 (木)

3996 ガソリン200円時代

石油価格の高騰が続いています。コロナ時代の消費低迷による低価格時期が続いたこともあって、ここ数か月の経済活動の活発化による石油価格の値上げは、見かけ経済活動の再拡大に冷や水を浴びせる懸念もありそうです。
しかしながら、考えてみなければならないのは、値上げが続いても、この国の石油価格のレベルは、欧州地域に比べると3割程度低いと言う事実です。原油の輸入価格にそれほどの差があるとは思えないので、価格差は間違いなく価格に含まれる「税金」の割合の違いでしょう。この国の石油価格にも当然の事ながら、消費税の他にもガソリン税(2種)や石油税などが半分程度含まれては居ますが、欧州のそれにはさらに炭素税などの形で、更に多額の税金が含まれているという事なのでしょう。
結果としては、欧州では既にガソリン価格としては、1リッター当りでは200円を超えている訳ですが、だからと言って欧州の経済活動が石油価格によって抑制を受けているかと言えばそうではないでしょう。経済は、「それ」を織り込んで前に進むからです。勿論、石油価格の高騰は、必要な消費と不用不急の消費を分別する方向に働くでしょう。その結果、いわゆるレジャーとしての単なるドライブなどは抑制される一方、石油や電力を多く使う輸送や移動のためのコストは石油価格に連動する形で、1-2割はアップするでしょう。
しかし、前述の様に人々は、そして経済活動はそれ(高い石油価格)を「織り込む」のです。値上げの結果、石油がより必要な消費の比重が高まる事は、結果としては無駄な石油の消費を抑制すると言う意味で、好ましい事だとも言えるのです。残念ながら、石油価格の上昇は、他の物価にも上昇圧力を加えるでしょうが、それもやはり不要不急の消費を抑え、必要な消費の比重を高める事に寄与するでしょうし、例えばごみや食べ残しなど環境負荷の原因も自動的に縮小する筈なのです。炭素税としての石油税アップ、その税収を100%環境改善への振り向ける「目的税化」に賛成する所以です。

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2021年10月17日 (日)

3995 空飛ぶ車を諦める

相変わらず、ネットには空飛ぶ車(Flying Automobile=以下FA)のニューズが引きも切らずにアップされています。一体、誰が自信を持って、近い将来、空に今のバイクやタクシーの様に空飛ぶ車が行き交うとでも言うのでしょうか。そんな世の中は危なくて道も歩けません。平面を走る車でさえ、車同士、車対人、或いはコンビニなどに突っ込む自損事故などの多数の交通事故を起こしているのに、3次元の自由度を持つFAの事故の確率は、交通事故のそれの累乗に上る筈です。航空路が厳密に規定されている、旅客機=定期航空路線でさえも、一定の確率で事故を起こしている事を想えば、無秩序に小型のFAが飛び交う社会など全く想像できないのです。
例えば、複数のモーターとプロペラを持つ、大型ドローンの様なFAであっても、たった一つのモーターの停止でも、機体の姿勢が崩れて墜落するでしょう。有翼のタイプであっても、FAの小さな翼の小さな揚力程度では、低速で動力が失われると滑空は出来ませんので、やはり墜落は免れないでしょう。残されたFA実用化の唯一の可能性は、ホバークラフトタイプの地上数センチに浮上して移動するタイプでしょう。ならば、タイヤを備えている今の車と変わるところはありません。それどころか、ホバークラフトは浮上しているが故に、急ブレーキが全く効きません。そんなFAが地上を動き回る社会など全く想像できないでしょう。
このブログでも、何度となくFAに対する否定的な意見を述べていますが、勿体ないのは、企業やベンチャーが費やす莫大な開発費と優秀人材の浪費です。技術者は、当面のターゲットが与えられさえすれば、種々の課題を克服してある答えを導きます。しかし、それらの技術者と言えども社会インフラを変えるビジョンや実際の行動を起こせる訳でもないでしょう。FAを開発し、それを社会に投げつけ、社会や利用者にインフラ整備や法令整備を丸投げするのは、全くの無責任と切り捨てるしかないのです。SDGsでの望ましいゴール(目標ではありません)を示すまでもなく、社会には他に解決すべき課題が山積なのです。実用化が「事実上出来ない」、おもちゃのFAでお金と暇を潰している時ではないのです。

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2021年10月11日 (月)

3994 公共インフラの劣化

3993の続きです。3993で言及した、水道インフラの他に、道路・橋梁・トンネルインフラや下水道或いは、ダムなど各種の公共建造物の経年劣化は、この国が直面している喫緊で、最大の問題の一つと言えるでしょう。というのも、この国の政治制度では、インフラの新規建造に当たっては、それなりに熱心に検討し、予算も付けるのですが、一方でそのインフラの維持に関しては、計画的に予算化されるケースは少なく、多くは問題が発生してからの後追い対策、後追い予算で対応する場合が多いのです。確かに、4車線化されている高速道路では、部分的な対面通行としたうえで、橋梁や路盤の改良工事は行ってはいますが、地震国であり、水害国でもあるあるこの国の道路の劣化スピードにはとても追いついていない状況です。増してや、他のインフラにおいておやでしょう。
インフラの構造に多用されているのは、言わずもがなですが圧倒的にコンクリートと鉄材でしょう。コンクリートは、経年と共にある程度は強度が増すと言われてきたのですが、一方で酸性雨による脱灰や鉄筋の劣化によって、想定以上のスピードで劣化が進行する場合も多いのです。実際、投稿者にも身近なインフラである橋梁などを観察しても、建造後20-30年程度経過したコンクリートの橋台には、かなりの劣化(ひび割れや脱灰)が観察されるのです。酷いものは、最近補修が行われましたが、劣化部の表面をモルタルで覆った程度の補修でした。
鉄の劣化に関しては、少し議論が必要でしょう。かつての稚拙な技術で製鉄され、橋梁などに使われている鉄材は、実は腐食に関しては耐久性が高い事が知られています。世界で最古と言われる英国の鉄橋が、まだ使用に耐えている事でも証明されています。確かに表面は錆びている様に見えますが、そこで腐食は止まり内部までは進行しないのです。しかし、新しい製鉄技術で作られた鉄鋼は、不純物が少ないものの、一旦腐食が進むとそのままのスピードで腐食が進行する様なのです。実際に国内では、いくつかの橋梁で、トラス部材が腐食の進行(減肉)により破断に至った事例が報告されても居るのです。
インフラや機械設備に関しての常識として、その適正な維持のためには、建造価格に対し、年々低い方の数%程度の維持費を掛けないと、劣化の進行を止める事は出来ないのです。この国の、何千兆円のインフラが存在するか知りませんが、年間たった百兆円ほどの予算で、しかもその内のかなりの割合が、借金の利払いと医療費などに消えてしまうこの国の国家予算では、その内でもインフラの維持に使われる予算など、焼け石に数滴の水と表現するしかないでしょう。今後予算不足のために必要な保守や修理が出来ずに、仕方なく朽ちるに任せて放置される「危険な」公共インフラがますます増えそうな予感がします。残念ながら・・・。

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2021年10月 9日 (土)

3993 水道橋の崩落に思う

W歌山市の水道橋の崩落の実況映像は、かなり衝撃的なものでした。その原因としては、導管を吊っている吊り金具の破断だと想像できます。当然の事ながら吊り金具には、常に水道水に満たされた、重い鉄管を吊り下げる荷重が掛かっています。それは、吊り金具に対しては引っ張り荷重を生じさせますが、エンジニアリングの常識として、それによって生ずる応力は、破断応力に対しては数倍の「安全率」を見込んで設計されている筈です。
事故のプロセスとしては、間違いなく金具が腐食によって肉厚が痩せ、結果として設計応力を超えてしまい、最終的には破断に至ったものでしょう。金属腐食は、引っ張り応力下においては、粒界腐食が進行(=応力腐食割れ)し易い傾向にあり、外観検査だけでは発見不可能な、クラック長さ(深さ)が知らない内に拡大するのです。これを検知するには、浸透探傷や超音波検査などで詳細に金具内部の亀裂を検査する必要がありますが、あの水道橋を写真で見る限り、その様な詳細検査が可能となる様な、検査員のアクセスは出来にくそうに思えます。つまりは、並行する橋から眺めて、外観上腐食の程度を確認する、いわば殆どホッタラカシ状態にあったと想像できます。水道橋に限らず、水道管などの水道インフラの経年劣化の進行が問題になりつつあります。つまりは、背景には高度成長期の市街地域の拡大に伴って、延長、拡張された水道インフラが、揃って寿命を迎えているとの事情があるのです。
ではどうするべきかですが、先ずは金属内部の亀裂を早期に検出できる技術を磨くべきでしょう。内部亀裂は、プリミティブな方法としては「浸透探傷検査」がありますが、超音波や渦電流を使った技術が実用的でしょう。それをコンピュータによる画像化技術と組み合わせれば、検査員の習熟度が低くても十分対応可能と思われます。例えば、安全率が2として設計してあるインフラの場合、部材の肉厚が半分になる以前に補強や部材更新といった修理を行えば、破壊・崩落と言った重大事故は防止できることになります。

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2021年10月 8日 (金)

3992 地震の巣に住んで

この国は間違いなく地震の巣窟です。何しろ、ユーラシア、北米プレートの下に、太平洋、フィリピン海プレートがこの国の真下に潜り込んで鬩ぎ合っている訳ですから、常に地震の恐怖に向き合って行かざるを得ない宿命にある訳です。太平洋プレートからのストレスは、先の東日本大震災で、かなりの程度解放されたのでしょうが、一方フィリピン海プレートで生じている歪の開放される時は、目前に迫っていると推測されています。昨晩の地震も太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界が関わる地震である事は間違いないでしょう。
各大陸プレートは、相対的に年間数センチの速度で衝突し、ストレスを蓄えている訳で、その歪が数メートルに達した時、耐えきれなくなったプレートが、「定期的に」大きく跳ね返るのが、地震のメカニズムなのです。その頻度は、各プレート間の相対速度に関わっているのでしょう。例えば太平洋プレートの潜り込みは年間8cm程度、一方でフィリピン海プレートのそれは、年間3-5cmと言われているので、大地震の頻度もかなり異なるのでしょう。その頻度は、かなり明確に記録されている中世以降の歴史を眺めれば、、概略は分かっていながら、人は何故沿岸の都市に密集して住んでいるのでしょうか。比較的人口密度の低い東日本であれだけの被害を受けながら、人々は東南海トラフの蠢きに比較的楽観している様にしか見えません。
関東大震災の悲劇から既に100年近く経過していますが、次に東南海トラフがストレスを解放する時期は、かなり迫っている筈なのです。昨晩の程度の小さな地震でさえ、都市部では鉄道や水道管などのインフラに被害が出ています。「本物」の時期関東大震災や東南海大地震が起こった場合、この国の東海道トランクラインは寸断され、経済活動の多くは停止してしまうでしょうし、都市部の住宅が壊れ、避難難民となってしまった大勢の人々の受け入れ先は、現在のところ全く見込みが立っていないのです。
大地震で現在の主要な輸送インフラである道路網や鉄道網が寸断された場合、残されるのは津波が治まった後の海上交通しか無さそうなのです。造船大国でもあったこの国は、大型フェリーや病院船や避難用のポンツーンなどの、海上インフラをもっと拡充させるべきだと、素人ながらも強く思っている今日この頃ではあります。

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2021年10月 5日 (火)

3991 何故山に登るのか2

続きです。山に登るのには、当然の事ながらそれに伴う楽しみがあるからです。先ずはアクセスの楽しみです。名山と呼ばれる高い山や山塊の奥に位置する山にアクセスするには、高速道や国道や県道、最後は林道を辿って近づくのですが、その道中は大抵の場合初めて走る道であり、車窓から見る風景は常に新鮮です。勿論、狭まった谷合を清涼な水が流れる渓流は、日本各地に見られる「原風景」ではありますが、やはり土地土地によって、独特の風景が観察出来て楽しいものです。取り分け、有名・無名の滝は、必ず車を降りて近づきたくなります。
山に入ると、多くの木々や植物、花をつける山野草などを目にします。その木々や植物に依存して生きる、動物や鳥や昆虫の観察も楽しみです。クマに出会いたくはありませんが、鳥やチョウなどは苦しい登りでは間違いなく癒しになります。技術用語に多くのメモリーを占められている元技術屋とって、樹木や山野草の名前を憶えるのは苦手なのですが、それでも十回くらい目にし、名前を口すると何となく覚えられて親しみも湧いてくるものです。その中で気づくのは、この国ではかなりの奥山にも人間の手が入っていて、針葉樹が密に植林されている事と、しかしながらその後の枝打ちや下草狩りなどの手入れが行われていない放置林の多い事です。いずれにしても、広葉樹林や混交林や自生している植物の中を歩くのは、人間にも強い癒しになるのは間違いないでしょう。
登山ルートは、当然の事ながら低い標高では比較的緩やかな林間の道、標高が上がると灌木の間の道、更に標高が上がると森林限界を抜けて、岩場が多くなるのが普通です。尾根に出て、気温も下がってきて涼やかな風に当たると、それまでの苦しい登りが報われる感じがします。更に標高を稼げば、周りの山々を眺め、さも自分が神様にでもなって作った様な気持ちになる瞬間が、最も好きだと言いいます。取り分け、シーズンがやや外れ、誰も居ない時に頂上を踏むのが好きです。山に登る時は、レジ袋を持っていき、登山道で見つけたPETボトルなどのごみを拾って帰るのは、環境人間としての密かな自負でもあります。
登山道で誰にも会わず、山中で数キロ以内には誰も居ないと思った時、心細さを感ずると同時に、自分は自分の意志でここを歩いていて、精神的にも完全に自由だと思える瞬間も、山で感ずる快感でもあります。

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2021年10月 4日 (月)

3990 何故山に登るのか

山に入っていたので久し振りの投稿です。登山は、投稿者のほぼ唯一の趣味です。40代半ばで、会社のトレッキングツアーで富士山に連れて行って貰ったのが最初の本格的な登山の始まりでした。それまでにも、学生時代にいくつかの地元の山に登った経験はありましたが、ホンのお遊びの様なものだったのです。富士山では高山病らしきものになりながらも、頂上までたどり着き、高曇りではありましたが、お鉢巡りの時に眺めた「下界」の景色の素晴らしさが、山にハマるきっかけとなったのは間違いないでしょう。
それから二、三度山岳部の山行に混ぜて貰って、登山の基礎などを教えて貰いました。初めて単独で向かったのは、確か「笠ヶ岳」だった様に思い返しています。笠新道の登りの苦しさと、朝テント場から眺めた日本晴れの景色は、その後の登山人生の中でも最も美しい景色として目に焼き付いたのでした。北アルプスの険しい山々、焼、乗鞍、御嶽の山々、遠くには中央アルプスや南アルプスも望めましたし、更にその先には富士の頂上までも見えたのでした。G-グルで測定すると、なんと100㎞ほどの距離になります。
その後は、当時住んでいた岐阜からアクセスの良い、北ア、中央ア、南アなどの百名山の山々を、1、2泊のテント泊で歩いてきたのでした。30/100名山を超えた頃、生きている内に是非百名山を踏破したいと明確に思う様になりました。しかし、その当時は、働き盛りで滅茶苦茶忙しい時期でもありました。精々、年に2、3回山行に出かけるのが精いっぱいだったのでした。別に登山したいからではなく、人生の見直しの中で50歳過ぎに早期退職しましたし、その後数年の中小企業勤めを経て55歳で完全なフリーランスになってからは、少し名山ハントのペースが上がって来たのです。60歳の時に、秋田にUターンし、自由時間がさらに増えて以降は、名山ハントのピッチもさらに上がり、今日現在95/100まで到達できたのです。
さて、何故山に登るのか?、改めて自分に問うならば、それは「心が欲し、山が呼んでいるから」としか答えられないのです。百名山を目指す単独登山では、ほぼ毎回未知の山の未知のルートを一人で歩く訳で、真夏のハイシーズンを外れると、めっきり登山者も少なくなります。そんな時、山深いルートに立っていると、たぶん半径5㎞には、誰も人が居ないだろうと確信できる瞬間があるのですが、たまらなくココロ細くなると同時に、自然と一体化している自分を発見するのです。それにつけても、古希を超えても3000m級の山に登る事が出来る、「ほぼ」健康体に先ずは感謝すべきなのでしょう。

 

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