2006年8月 4日 (金)

4 都市という山小屋生活

お祭りモードを別の話に例えるとすれば、きっと山登りが適当でしょう。我々は、工業技術や経済政策といった「装備」を使いながら、産業革命以降長い時間を掛けて山を登ってきたように思えます。先を行くアメリカからは、グズグズするなと叱られ、後ろからは中国・韓国をはじめとする東南アジア諸国に尻をつつかれ、ヨーロッパ隊と競いながら山登りを続けてきた訳です。

その結果どこにたどり着いたかといえば、都市という人工的に作られた「山小屋」でした。山小屋は、ふもとからの補給無しには1週間と持ちません。都市も同様で、毎日供給される食糧、電力、ガス、水道、生活用品の補給無くしては、数日しか持たないでしょう。コンビニの食糧は数時間で空っぽになるはずです。つまり、都市は全く山小屋と同じ構造だったのです。

山小屋や都市生活は、補給が続けられている限りは確かに快適です。空調された住宅や事務所、便利な交通機関、人工的なアミューズメントも豊富です。しかし、神戸の震災が雄弁に証言しているように、ライフラインが断たれた都市や山小屋は悲惨です。その日から、とりあえずの水や食糧にも困窮してしまう事になります。

我々は、戦後の復興期以降、高度経済成長期を通じて、一生懸命努力しながら結局は山小屋的生活を選び取ってきたと言う事になりそうです。ではどうすべきかですが、それをこのブログで少しずつ書いて行く事とします。

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3 お祭りモード

2000年頃自分の人生や歩いてきた20世紀の後半の社会をじっくり振り返って見たとき、この時代は100年後に振り返ってみると、きちがいじみたお「祭り」の時代に見えるかも知れないと、しみじみ思いました。バンバン車にのり、ガンガン冷暖房を効かせ、モリモリと美味しい食べものを口にし、ポイポイゴミを捨てる生活は、まさにお祭りにしか見えません。祭りの後には、虚脱感と山のようなゴミが残るだけでしょう。お祭りモードの絶頂は、多分1980年代後半のバブル期でしょう。タイミングの良いことに、1990年代に入るとバブルが崩壊し、「右肩上がり神話」も崩壊したかに見えました。景気の悪化により、資源やエネルギーの消費も少し減速したかに見えました。

しかし結果としてみれば、1990年を基準にすれば、エネルギーの消費は8%も増加していたのでした。産業用は確実に減りましたが、日々の生活に関わる民生用が大幅に増えたためです。どっこい、お祭りモードは終わってはいなかった訳です。政府は必死になって、京都議定書の約束期限である2012年までに、6%の達成のため、声を大きくし、旗を必死に振りますが、今のペースでは多分達成は無理で、結局は、CO2の排出権を金でロシア当たりから買うしかないでしょう。

お祭りモードを出来る限り早く終わらせるのも環境十字軍の仕事のひとつなのです。

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2006年8月 2日 (水)

1 天職

そもそも環境カウンセラーなどというものになろうと思ったきっかけを少々書いてみます。投稿者は30年間某重工で技術屋を生業としてきましたが、世紀の変わり目に立った2000年ごろから自分の人生を振り返って、「自分は技術屋としていったい何をしてきたのだろうか」、「一生懸命モノを作ってきたつもりだったが、結局それらは古くなればすべて廃棄物になるのでないか」、「結局自分は技術屋としてゴミを増やし環境悪化に加担してしてきたのでないか」・・・・・・・と言う強い疑問にとりつかれてしまったのです。

その疑問は日を追うごとに強くなり、結局一度自分の人生をご破算にしてみるしか、その答えが見つからないとまで思い込むようになりました。考えて見れば、その会社はいい会社で処遇も含め不満は何もありませんでした。その上30年間の勤続に対しては旅行クーポンまで支給してくれました。とりあえず2002年春に、そのクーポンを使って、環境先進国と言われていたドイツを視察に出かけることにしました。

いくつかの環境関連の施設、環境コンサルの事務所などを訪ねてみると、確かにドイツは、環境政策に関しては日本の10年先を走っているように見えました。燃やさない廃棄物処理、リサイクルシステム、風力やバイオマスや太陽光発電などの自然エネルギー利用の推進などなど。しかし、帰ってから冷静になって考えてみると、「日本にも江戸時代という、立派な持続可能型社会があったではないか」ということに気がつきました。つまり、日本がまじめにさえ取り組めば、ドイツ型とは違う形での理想的な循環型社会へのアプローチが出来るのではないか、と単純な人間である投稿者は強く思い込んでしまったのでした。

それからと言うもの日中は会社の仕事をバリバリこなし、定時後は天井を向いて「環境問題」について考え込むようになりました。(残業手当はつかない立場だったので、これは決してサボりではないから念のため。)

そこで得た結論は、「環境十字軍に参加しよう」というものでした。つまり環境にやさしいもの造り、環境にやさしい生活スタイルを広めるため、残りの人生をそのために掛けてみよう、と決心をしたのでした。さて具体的には何を始めるかが次の問題でした。世の中にいくつかのらしいNPOやNGOは散見されましたが、もちろん環境十字軍などというものはどこにも存在しません。いろいろ考えた末、とにかく何時までも重工長大の製品を作っている場合ではない、もっと規模が小さく自分の手の中で育てられる「環境にやさしい製品」を作るしかない、と更に決意を固めたのでした。

結局その年の暮れには、長年勤めた会社を退職し、投稿者の考えに同調してくれた中小企業に移ったのでした。給料は2/3に減りましたが、それからの3年余りはかなり充実したものでした。しかし、環境にやさしい製品を「3つほど」形にするなかで、更に深く環境問題を考えることにもなってしまったのです。それについては、追って書いて行くことにしますが、その中で絶対に必要だと感じたことのひとつが、人々のライフスタイルを変えるような「環境教育」の必要性でした。

環境について体系的に学び直すため、53歳にして放送大学大学院の門もたたきました。(現在も学生です)同時に、環境大臣が認定する「環境カウンセラー」にも応募して、経歴や小論文が認められて、まず「事業者部門」、追って「市民部門」のカウンセラーとなりました。

もちろん環境カウンセラーなどと言うものは、現状では職業という訳ではなく単なる認定者に過ぎません。しかし投稿者は、これを職業として世間に認めてもらおうと決心し、しかもそれを残りの人生の天職として選び直したという訳です。

こうしてめでたく?06年7月に「技術屋を完全に卒業し」多分日本で最初の「自称専業の環境カウンセラー」となったのでした。

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